平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

日本の四季を大切にしよう。引越し先でも閲覧可。下の一言が入り口↓ 容量2GBを超えたので引越ししたよ。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

君子は勇を尚ぶか。

 子路曰く 「君子は勇を尚ぶか。」
 
子曰く 「君子は義を以て上と為す。君子 勇ありて義なければ乱を為す。
 
小人 勇ありて義なければ盗を為す。」
 
(『論語』 陽貨第十七 より )
 
 子路 「君子は勇を尚(とうと)びますか。」
 
孔子 「君子はただ義をとうとぶ。義において為すべきことは奮然として必ず行うが、義において為すべからざることは断然思い止まる。勇だけをとうとぶのは君子の行いではない。有位の君子(なんらかの統率者)が勇だけあって義がなければ、その勇にまかせて道に逆らい分を犯して反乱を行う。無位の小人(単なる個人)が勇だけあって義がなければ、その勇にまかせて欲をほしいままにして妄行して盗みを行う。」
 
 義というものは、おそらく守るべきものである。義は解釈が難しい。義には動機があってそうするのである。目的みたいな。義のイメージは、命を賭してでも達成しなければならないようなところがある。古人がそのようにしてきたからこそ、言葉の意義は重かったにちがいない。それは、義が勇に負けているから、命が危険にさらされたのである。子路の生き方そのものを義ととらえてしまったのだろう。
 
 子路は勇敢であり、剛強であったので、守るべき意義というものを大事にするように戒めたのである。孔子は、子路が匹夫の勇にならないように、意義を教え、暴発しないように努めていた。しかし、その心は子路には伝わらなかったらしく、非業の死を遂げた。あれほどまで、注意したのに子路は憤死してしまった。その孔子の嘆き悲しみはいかほどであったろうか。事あるごとに、子路の勇を戒めていた孔子の仁愛は深いものがあった。なぜ、義をとうとぶことが大勇なる大袈裟なことであったろうか。ここに維新志士たちの悲劇を見るようである。命を粗末にしてはならないということも、仁という立場からいえば義である。勇というものの使い道には、義というものがなければならない。

一言

貧富の差がある時点で、平等思想よりも仁の方がリアリティがある。

一言

愛はお金であるという考えは、墨子の兼愛交利の思想に行き着く。

全1ページ

[1]


.
霧山人
霧山人
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

エコロジー

日本的なもの

標準グループ

感覚として

健康について

わーるど・ネット

小説家たち

政治勢力

料理ひと

Yahoo!からのお知らせ

友だち(8)
  • RYUMYAKU
  • 杉山 浩司
  • ゆきの@冬地蔵
  • ayumu
  • cafeherb
  • oxauco
友だち一覧
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事