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子路曰く 「君子は勇を尚ぶか。」
子曰く 「君子は義を以て上と為す。君子 勇ありて義なければ乱を為す。
小人 勇ありて義なければ盗を為す。」
(『論語』 陽貨第十七 より )
子路 「君子は勇を尚(とうと)びますか。」
孔子 「君子はただ義をとうとぶ。義において為すべきことは奮然として必ず行うが、義において為すべからざることは断然思い止まる。勇だけをとうとぶのは君子の行いではない。有位の君子(なんらかの統率者)が勇だけあって義がなければ、その勇にまかせて道に逆らい分を犯して反乱を行う。無位の小人(単なる個人)が勇だけあって義がなければ、その勇にまかせて欲をほしいままにして妄行して盗みを行う。」
義というものは、おそらく守るべきものである。義は解釈が難しい。義には動機があってそうするのである。目的みたいな。義のイメージは、命を賭してでも達成しなければならないようなところがある。古人がそのようにしてきたからこそ、言葉の意義は重かったにちがいない。それは、義が勇に負けているから、命が危険にさらされたのである。子路の生き方そのものを義ととらえてしまったのだろう。
子路は勇敢であり、剛強であったので、守るべき意義というものを大事にするように戒めたのである。孔子は、子路が匹夫の勇にならないように、意義を教え、暴発しないように努めていた。しかし、その心は子路には伝わらなかったらしく、非業の死を遂げた。あれほどまで、注意したのに子路は憤死してしまった。その孔子の嘆き悲しみはいかほどであったろうか。事あるごとに、子路の勇を戒めていた孔子の仁愛は深いものがあった。なぜ、義をとうとぶことが大勇なる大袈裟なことであったろうか。ここに維新志士たちの悲劇を見るようである。命を粗末にしてはならないということも、仁という立場からいえば義である。勇というものの使い道には、義というものがなければならない。
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2010年11月25日
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君子は、利益というよりも義益(造語)を重視したい。
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福澤諭吉は、right(権利)を権義と訳していた。
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貧富の差がある時点で、平等思想よりも仁の方がリアリティがある。
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愛はお金であるという考えは、墨子の兼愛交利の思想に行き着く。
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