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成功を勝ち取る人は、あきらめない間に、うまくいく方法を見つけて、実行する。
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2010年12月21日
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あきらめなければ、心にある理想像が叶う日も来るという希望。
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交通の問題についても少々考えてみました。日本は山国で北は津軽の半島の果から南は長門の小串の尖(さき)まで少しも平野に下り立たずして往来することができるのでありますが、彼らは必要以上に遠くへ走るような余裕も空想もなかったと見えて、居るという地方にのみいつでもおりました。全国の山地で山人の話の特に多いところが、近世では十数箇処あって、互いに隔絶してその間の連絡は絶えていたかと思われ、気をつけてみると少しずつ、気風習性のごときものが違っていました。今日知れている限りの山人生息地は、北では陸羽(東北地方)の境の山であります。ことに日本海へ近よった山群であります。それから北上川左岸の連山、次には只見川の上流から越後(新潟県)秋山へかけての一帯、東海岸は大井川の奥、次は例の吉野から熊野の山、中国では大山山彙(さんい)などが列挙しえられます。飛騨(岐阜県)は山国でありながら、不思議に今日はこの話が少なく、青年の愛好する北アルプスから立山方面、黒部川の入(いり)なども今はもう安全地帯のようであります。これに反して小さな離島(はなれじま)でも、屋久島はいまなお痕跡があり、四国にも九州にももちろん住むと伝えられます。四国では剣山の周囲ことに土佐(高知県)の側には無数の話があり、九州は東岸にやや偏して、九重山以南霧島山以北一帯に、最も無邪気なる山人が住むといわれております。海が彼らの交通を遮断するのは当然ですが、なお少しは水を泳ぐこともできました。山中にはもとより東西の通路があって、老巧なる木樵・猟師は容易にこれを認めて遭遇を避けました。夜分には彼らもずいぶん里近くを通りました。その方が路(みち)が楽であったことは、彼らとても変りはないはずです。鉄道の始めて通じた時はさぞ驚いたろうと思いますが、今では隧道(トンネル)なども利用しているかも知れませぬ。火と物音にさえ警戒しておれば、平地人の方から気がつく虞(おそれ)はないからであります。
(『山人考』 柳田國男 著 より )
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