平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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将来の日本

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高度経済成長のモデルがここにあった。

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 けだしこの問題たるやベルリンの権謀政治家は奇貨失うべからずとしてこれを注目し、ロンドンの哲学者は社会学の材料を発見せんと欲してこれを推究し、ニューイングランドの宗教家はわが東洋異教国中にキリスト教の伝播せんことを思うてこれを思慮し、自由をもってアングロサクソン人の特有物となすの学者は、自由の恩恵は蒙古人種にもなお及ぶことを得るや否やと疑惑し、黄人種の朋友をもって任ずる義侠の白人は日本の将来ははたして独立国たるを得るや否やと掛念し、あるいはわが邦在野の政治家は将来を思うて一穂の寒燈、沈思黙坐するものもあらん。あるいは修業のほか余事なく学窓に兀坐する青年の書生もその机上に微睡を催すときには、忽然としてわが邦の将来を夢みることもあらん。あるいはみずから村閭の政治家をもって任じ、威権戸長を凌ぐの郷紳も、その傍輩と炉辺に距坐するときには、あまりに現今わが邦変化の不思議に驚き、将来はいかがかあらんと相談することもあらん。あるいはまた密室に跪き四辺人なきのときにおいて、ひそかにわが邦将来のことをば積誠を凝らして上帝に祈る熱心なるキリスト教徒もあらん。あるいはわが邦の将来を思い、これを思いこれを想うて禁ずるあたわず、万籟寂々天地眠るの深宵にひとり慷慨の熱涙をふるうの愛国者もあらん。
 かくのごとくわが邦の将来はだれかれの差別なく、何人の脳裡にも必ず発揮する問題にして、しかしてまた何人といえども、これを解釈に苦しむところの問題をばいかにして解釈せんと欲するか。それ過去は遠しといえども、古人の足跡なお存す。もってこれを尋ぬべし。現今は錯雑なりといえども、吾人が耳目に触るるところのものなり。もってこれを知ることを得べしといえども、ひとり将来に至りては、寸前暗黒ただ漠々たる幔幕の吾人が眼前に横たわるを見るのみ。吾人はいかにしてこれを知るを得んや。しかるをいわんや吾人が今日の地位においてをや。それ今日は改革の時代なり。山中の人に向かって川の形勢を問うも、改革の時代にある人に向かって改革の将来を問うも、決して適当なる答弁を得ることあたわざるべし。なんとなれば身そのうちにあればなり。ゆえにもし吾人に向かってこれを問う者あるも、吾人はただ改革の将来は改革なり、洪水の後は洪水なりと答うるのほかはあらざらん。
 過去のことはもって論評すべし。現今のことはもって観察すべし。将来のことに至りてはいかなる達識炯眼の人といえどもただ推測するの一あるのみ。しかして吾人今日の位地はこれを推測することすら容易ならず。たとい、これを推測し、苦言痛語したればとて、はたなんの益あらん。むしろエジプトの敗将、セイロン島の遷客たるアラビーパシャに倣い、日本の将来はただ上帝これを知るのみと安着するにしかざるべし。吾人もとよりこれを知らざるにあらず。しかれども吾人が大胆にもかかる重大なる、すなわち吾人が微力を尽くしたりとてほとんど徒労ならんと思うほどの重大なる問題に向かって推測を試みんと欲するはそもそもゆえあり。けだし何人といえども将来の日本はいかになるべきかの問題中には、必ず他の将来の日本はいかになすべきかの問題を含蓄せずんばあらず。将来の日本はいかになるべきかはもとより吾人が得てあずかるところにあらず。しかれども将来の日本はいかになさざるべからざるかの一問題に至りては、吾人また日本の一人民なり。平生これを忘れんと欲するも忘るるあたわず。つねに吾人を刺衝して寸時も止まらず。しかして吾人は今日に至りて黙せんと欲するも黙するあたわざるを感ず。ゆえに今日において吾人が論弁しうべきだけのことについては、あえて遅疑せず。ただちに胸臆を攄べて、もって直言直論せんと欲するものなり。

 (『将来の日本』 徳富蘇峰 第一回 洪水の後には洪水あり(緒論) より )

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 かくのごときはひとり吾人が耳目に触れ来たる政治・社交・衣食住のことにとどまらず。さらに進んで形而上のことを観察したらんにはいかん。道徳・信仰・交際・体面・思想等の標準のごときすべて一顧一倒せざるものはあらず。もし一々これを描写し、これを旧時のものと対照比較するを得せしめば、ずいぶん奇妙なることもあらん。ただ吾人は充分にこれを観察するにあたわざるに苦しみ、たといこれを観察するも、これを描写するあたわざるに苦しむなり。されば今日の老輩にして封建時代の破壊より、明治時代の今日に至るまでを経過したるの人は、あたかもこれ邯鄲枕上盧生の夢、仙人棋辺王質の斧柄も、もってこれを形容するあたわざるの心地するならん。これを要するに現今の時代は疎枝朽幹なかば枯死せるの老樹が端なく大風のために吹き折られ、かえってその残株よりしてさらに一個の新芽を発し、雨露これを湿し、陽光これを沢し、亭々然として雲を凌ぎ、天を衝くの望みを有せしむる、もっとも前途に希望あるの時代となれり。ゆえにこれを日本の変化といわんよりむしろ日本の復活再生というの当たれるにしかず。なんとなれば旧日本はすでに死せり。今日に生存するものはこれ新日本なればなり。
 しからばすなわち日本の将来はいかん。将来の日本はいかん。政治家は日本政治の将来はとやあらん、かくやあらんと心配し、商業家はその商業の前途はいかんと掛念し、学者なり、宗教家なり、いやしくも現今の形勢を観察したるものはあわせてその将来をも知らんと欲し、これを欲してやまざるはまことにやむべからざるの理といわざるべからず。しかりといえども社会は単分子の結晶体にあらず。実に異種異類雑駁なる分子の集合体にして、その雑駁なるほど、その自他の関係は至密至細に赴くものなれば、ただその一部を採りてただちにその将来を卜せんと欲するは、けだし難かるべし。今日の政治社会かくのごとくなるがゆえに、将来の経済社会もまたかくのごとくなるべしと断定することあたわざるべし。なんとなれば将来の政治社会は、今日の政治社会によりてのみ制せらるるものにあらずして、富の分配、知識の分配等のごときものによりて相制せらるるものなればなり。経済社会の将来もまたひとり今日の経済社会によりて制せらるるものにあらずして、あわせて政権の分配、知識の分配のごときものによりて相制せらるるものなればなり。かくのごとく社会の分子はたがいに原動をなし、反動をなし、原因となり、結果となり、主因となり、主果となり、客因となり、客果となり、その現象は千差万別、海浜の砂石もただならずといえども、たがいに相接し、あいともに連帯一致の運動をなすものなれば、その一部の運動を知らんと欲せば勢い全体の運動を知らざるべからず。なんとなれば全体の運動なるものは各部の運動の協同によりて支配せらるるがごとく、各部の運動なるものはまた全体画一の運動によりて支配せらるるものなればなり。
 ゆえに日本将来の政治を知らんと欲する者も、日本将来の経済を知らんと欲する者も、そのほか宗教・学術・文学等を知らんと欲するものも、みなその尋問の点をば全体に拡げざるべからず。すなわちわが邦の社会に現出する将来のことを知らんと欲するものは、その知らんと欲することはいかなる点にもせよ、みなその尋問の鉾先をば全局面なる日本の将来はいかんという点に向けざるべからず。これ何人の思想をもみなこの問題なる中心点に向けて相帰着するゆえんなり。

 (『将来の日本』 徳富蘇峰 第一回 洪水の後には洪水あり(緒論) より )

 朕が後には洪水あらんとは、これルイ十五世が死になんとして仏国の将来を予言したるの哀辞なり。今や洪水の時代はすでにわが国に来たり、吾人また波瀾層々のうちに立てり。もし人あり、吾人に向かってわが邦の将来を問うも、吾人はさらにいかなる言を発して、もってこれに答うべきか。
 人のつねに知らんと欲するところのもの、将来よりははなはだしきものはあらざるべし。しかしてことにわが日本の将来よりははなはだしきものはあらず。なんとなれば現今のいわゆるバベルの原野において天に達せんとするの石塔を築かんと企てたる上古の文明より、北荻蛮人の継続者が鉄と電気とをもってほとんど地球上の表面を一新する近時の文明に至るまで、およそ人類の記憶に存する時代の歴史をもってこれと比較せんと欲するも、ほとんどその比類を尋ぬるに苦しむほどなる一種奇々怪々喜ぶべく驚くべきの
時代なればなり。
 それ変化なるものは万有の大法大則なれば、わが邦にして昔時の面目を一変したりとて、さまで訝るべきことにはあらざれども、その変化のあまりに快活にしてかつその方向の意外なる進路に向かって奔りたるの一点に関しては、何人といえども一驚を喫せざる者はあらざるべし。かのドレーパー氏のごときは情けなくも、東洋文明の命運は唯一の墳墓あるのみと放言したれども、わが邦の文明は三十年前気息奄々として前途はなはだ覚束なきの旅行をなしたるにもかかわらず、不思議なるかな、電光石火にその方向を一変し、その針路を一転し、さらに快活なる意気をもって泰西文明の蹤を追走し、もってこれと競争せんと欲するがごときの形勢を現出したるは、吾人がかつ訝りかつ祝するゆえんにして、かの欧米人士の注意を惹起するに至りたるも、もとよりゆえなきにあらず。もし試みに徳川将軍家斉公全盛のときに死したる江戸の市民をば、今、墓中より呼び起こし、銀座頭街の中央に立たしめよ。その街傍に排列するの家屋、その店頭に陳列する貨物、その街上を往来するもの、その相話し、相談ずるものにつき、これを見せしめよ。彼らはいかにしても、これをもって彼らのいわゆる江戸ならんとは夢にだも解するあたわず。あたかもかの夢想兵衛が飄飄然として紙鳶にまたがり、天外万里無何有の郷に漂着したるの想いをなすならん。
 けだし今日の変化は退歩の変化にあらず、進歩の変化なり。今日の戦場は最後の戦場にあらずして初陣の戦場なり。今日の門出は絶望の門出にあらずして希望の門出なり。看よ看よ人をして第十一世紀欧州暗黒時代の境遇もかくはあるまじと追想せしむるところのわが封建社会の顚覆したるは、ただ十余年の前にあり。人をして第十九世紀欧州議院政治の制度より脱化し来たるものならんと予想せしむるところの国会の開設はすでに四、五年の後に迫れり。奴隷たるの平民はたちまちにその階級を上り、主人たるの士族はたちまちにその階級を下り、すでに同地位に邂逅せんとせり。昔日においては人として長刀を横たえざるものは人にして人にあらざるのありさまなりしも、今は剣を帯ぶるものとてはただ常備兵・警官のほかはまた見るべからず。昔は土足をもって蹂躙したるキリシタンの十字架も、今はキリスト教としてそのもとに拝跪するものさえあるに至れり。試みに思え。鎖港の論より海関税全廃・自由貿易の論に至るまで、攘夷の説より内地雑居の説に至るまで、いくばくの日子といくばくの時代を経過したるか、これを想い、これを思えば夢のごとく幻のごとく、処世大夢のごとしの妙句もあたかもこの時代を評するために設けたるものなりというも不可なからん。

 (『将来の日本』 徳富蘇峰 第一回 洪水の後には洪水あり(緒論) より )

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