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憂悒の義の「いぶせし」は気噴狭しの意にして、憂うる者の気噴きは暢達寛大なる能わざるの実に副うて居る。これも、悲む時は則ち心系急に、肺布き葉拳って上焦通ぜずと拳痛論の説けるに応じて居る。「いきどおり」は怒りて発する能わず、気の屯蹇して徘徊りて已まざる「いこもとおり」の約ででもあろう。厳し、厳つし、厳めし、啀むの類の語も、深く本づくところを考うれば皆気息に関して居るかも知れぬ。これらの語は気の「いき」の義なることを表わすと同時に、気息に係けて人身状態を表わして居るので、実に気息は人の心理や身状と離れぬ関係があるからである。気あるは則ち生あるので、気を失えば則ち死するということは、韓嬰の伝を待たずして自から明らかなることである。 |
幸田露伴の努力論
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人の気の盛んに騰るを「いきる」といい、物の気の騰るをも酡(いき)るという。「いきり立つ」は即ち人の意気壮烈なるので、「いきまく」は即ち人の気の風動火燃せんとするをいい、「いきざし」は心の向い指す所あるを心ざしというに同じく、人の意気の向うところあるをいう。「いきほひ」は気暢もしくは気栄の義、「いかる」は気上るの義にして、古書の拳痛論に、怒るときは則ち気上るとあるに吻合して居るのを見ても、地に彼此の別ありて人に東西の差なきを思わずに居られぬ。 |
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この点においては邦語は言霊の幸わう国の語だけに甚だ面白く成立って居るので、気の「いき」は直にこれ生の「いき」であり、生命の「いのち」は「いきのうち」である。気息の古邦語は「い」で、「いぶき」は気噴であり、病癒ゆの「いゆ」は気延ゆの約、休憩の「いこふ」は気生ふである。言説する義の「いふ」は気経であり、鼾声の「いびき」は気響きの約である。萎頓困敝の「いきつく」は気尽くで、奮発努力せんとするの「いきごむ」は気籠むである。現に「生き」は「いき」にして「生命」は気の内なれば、気の「いき」の義は一転して人の精神情意とその威燄光彩の義となる。 |
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気に気息の義、即ち「いき」の義あるは普通の事である。前の条に挙げた「にほひ」の義の如きもこれに通ずる事で、物の香は即ち物の吐くところの「いき」である。呼気、吸気、出気、入気は即ち「いき」で、仙人の餐芝服気といい、道家の導気養性といい、亢倉子の気を嚥み神を谷い、思を宰し慮を損し、逍遥軽挙すといえるのも、『抱朴子』にいえる郗倹が空冢中に堕ちて、大亀の口を張りて気を呑むを見てこれを学んだ事や、〈『史記』亀策伝、早く人の亀の気を引くを学ぶことを書し、蘇東坡の雑著、晩れて同様の事を記して居る)気を吸して以て精を養うと関イン子の言えるや、彭祖は閉気して内息するともいえるも、気を食うといえるも、気を呑むともいえるも、皆これ気を「いき」とのソ解しては妙味を殺ぐが、しかも大略「いき」と解して差支えない。人の気を存するのは即ち人の生の存する所以で、気絶ゆれば則ち生絶ゆるのである。 |
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医家ほど多く気という語を用いたものはあるまい。従って気に関する至言もまた少くはない。医家の書に見ゆる気はその指す所のもの一ならず、従ってその意義甚だ多く、一概に談じ去ることは難い。太始天元冊に見えて居るという丹天の気、キン天の気、蒼天の気、素天の気、玄天の気などというのは、天の四方及び中央に五色を配した空言なるが如く、何の特別意義もなきかと見ゆる。然様いう価値なきに近き言もあるが、決気篇に見えた精、気、津、液、血、脈の六者の一たる気は、上焦開発して五穀の味を宣し、膚に薫し身に充ち毛を沢す、霧露の漑ぐが如し、これを気というと説いてある。これなお今のいわゆる神経というものを無形物と見做して、而してその作用を気と名づけたるが如くに見える。気府論や気穴論に見ゆる気の義の如きは、今の語を以て的解を下すに難む。衛気篇に見ゆる営気衛気は、浮気の経を循らざるものを衛気と為し、精気の経を行く者を営気と為すとある。衛気行篇を見れば衛気の行くことを説き、日の行くこと一舎にして、人の気の行くこと一周と十分身の八と説いて居る。営衛の気のことは古の医道にあっては太だ重要のことに属し、その言はなお解すべきも、肝気肺気腎気などと、気の一語を濫発多用すること機関砲より弾丸を飛ばすが如く、風気、寒気、熱気、燥気、湿気等を説き、陰気陽気を説き、天気地気を説き、金気土気木気等を説き、天運の浩々たるより神経の微々たるまで、その間には気象の事、臓器の事、気息の事、何も彼も気の一語に摂し尽して、而してこれに宗気だの元気だの邪気だのということをさえ加えらるるに至って、衆語を綜べて一解を下さんことは到底不可能であって、古医書に見ゆるところの気の一語は多義多方にわたって居て概言すべきにあらずというを正当とする。これを詳言して、あるいは析ちあるいは合して、某々の気の義は何、某々の気の意は何とせんことは、煩瑣をだに厭わずば為し能わざるにあらずといえども、強いてこれを力むるもけだし労多く功少からんのみである。 |





