平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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幸田露伴の努力論

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進潮退潮11

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 順境に自らにして生じた張る気でさえも上説の如くである。まして逆境に生じた張る気が如何で持続し得べきや。何らの他の原因なしには幾時日をも持続し得ぬ理である。譬えば退潮時に当ってたまたま風圧や地変によって生じたる進潮の如きものである。また譬えば長潮や小潮たらんとする時に当ってたまたま生じたる高潮の如きものである。その根基において相副い相協わざるものがあるのであるから、持続し得る間は甚だ短い。瘠土に樹を移しても、その小枝繁葉を除去すること夥しければ樹はなお葱色を保って、しかも幾干時ならずして漸く張らざるに至る。旧の地より肥沃の地に移してその勢の張るのは自然であるが、磽瘠の地に移して勢少しく張るのは人為の然らしむるのみであるから、その樹の中に蓄有したる養分の発し竭さるるに及んでは、これに継ぐところのもの足らずして終に勢弛み威衰うるに至るのである。境遇悪変して生ずる張る気は、そのいまだ悪変せざるに先だってその人の有していた潜勢力の発現で、その潜勢力にして費し尽さるれば漸く弛むに至るを免れぬ。土を飡っても戦うという意気は大に張ったのには相違ないが、幺虫残骸が形成したところの食土という稀有な土ならば知らぬこと、普通の土などは飡える訳のものではないから、必定幾日を支うることも出来るものではない。体衰うれば気衰え、筋弛めば気弛んで、一日一日に支うる能わざるに至る理である。人はややすれば境遇の悪変に際しては張る気を生ずるもので、勝つことを好む者などにあっては特に然るけれども、能くその張る気を持続し得るは少い。おのずからにして張る気を持続し得る理のある原因が附加するにあらざる以上は、忽ちにして弛む気その他の気に変じてしまう。前に挙げた婦人の夫を失いて偏孤を擁せる場合の如き、もしその婦人にして特殊の技能や経験を有するとすれば、その技能や経験の力の支うるに依って、張る気を持続することも能くし得るだろうが、然らざる時は一旦は張っても忽ちにして弛漫し萎靡するを免れない。

 (『努力論』 幸田露伴 進潮退潮 より )

進潮退潮10

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 但し境遇の善変によって張る気の生ずるのは元動であり、悪変によって張る気の生ずるは反動である。一は単なる自然であり、一は復なる自然である。一は天数であり、一は人情である。されば善変によって生ずる張る気は持続性であり、悪変によって生ずる張る気は一時性である。明の大軍の我が朝鮮駐屯軍を襲うた時、辟易萎靡せぬ将士の一団は大に張る気を生じたのである。しかしその張る気は一時性であって持続性では有り得ぬのであった。頭脳明敏の小早川隆景が、「わが将卒は土を喰って而して戦う能わず」といったのは、持続性ならざる張る気の恃むに足らざるを喝破した言とも聞き做し得る。ただ逆境に生じたる張る気の一時性なるのみならず、張る気といわず何の気でも彼の気でも、気は実は皆一時性で持続性のものはないが、ここに一時性というのは、その中でも急速に消散し変化し了るのをいうのである。譬えば潮の如きは毎日夜に二回ずつ進潮になり退潮になる。進潮を張る気に比すればその象は殆ど似て居る。さてさの進潮は、進潮になった初から終まで五時間ほどの間を刻々分々に進み満ちるのであるが、満ち尽せば則ち潮止りとなって、それからは引反して退潮となるのであるから、畢竟五時間だけを持続するに過ぎぬのである。一日夜の間について論ずればかくの如きのみである。人の張る気も一日夜について論ずれば十六時間内外の時間だけは、極端の例ではあるが、張る気で有り得るとしても、張る気は終にある時に至って衰え竭きて、弛む気は漸く生じて来るのである。甚しい極端の例を挙ぐれば、二十時間乃至二十二時間、あるいは全一昼夜を通じて張る気で有り得ることもあり然様いう人もあるが、多数人の実際はその気たるや駁雑で、決して純粋では有り得ぬものであるから、一日夜中に二、三時間も張る気を保ち得るものがあれば、それは上等の事業家であり学者であるといってよい位である。とにかくある時間だけで張る気は竭きる、実に是の如きのみである。

 (『努力論』 幸田露伴 進潮退潮 より )

進潮退潮9

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 第二に、境遇悪変の場合もまた張る気を生ぜしむるというのはちょっと矛盾の如く聞える。しかしその理由は、これもまた新境現前が張る気を生ぜしむる傾のあるのと同一で、しかも従来に比して不快不良不適の状態に陥るということが、より多く応変対抗の作用を做し出さしむるというに本づくのであるから、少しも疑うを須いない。是の如き場合に際しては勿論多くの人は萎縮退却して才能も勇気も衰えるのであるが、あるいはまたかえって事情のわれに不利なるだけそれだけ多く反抗興奮の作用を起して、決然凛然として張る気を生ずるもある。幼児を有せる婦人が夫の死に会いて奮発する、前に挙げた例の如きもこれである。忠臣孝子が国運家運の非なるに会してかえっていよいよ奮う如きもそれである。官吏が職を褫(うば)われてかえって勢を発し才を揮うに至る者あるが如きもそれである。戦争が苦境に陥って将卒の意気かえって旺なる如きも是である。およそ是の如きの例は決して少くない。皆その境遇の悪変によって張る気の生ぜしめらるるのである。

 (『努力論』 幸田露伴 進潮退潮 より )

進潮退潮8

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 新境の現前が張る気を生ぜしむる原因となることのあるは上に述べた通りである。さて張る気は他の悪気を逐うものであるから、一気大に張るに当っては種々の悪気は掃蕩せられて、おのずからに精神状態及び身体状態を一新する。転地、湯治、海水浴などはその土地状態、温泉成分、海潮刺激などが有効なるのみならず、新境の現前ということが直ちに人の外境に対する対抗応変の自然の作用を開始せしめて、そしてそのために張る気を致さしめ、その張る気の生ずると同時に疾病や疲憊のわが身心より去るを致さしむるのである。神経衰弱症のごときは多くは気の死定もしくは気の失調より生ずるもので、同一のことに長時日の間わが気を死定せしめて使用したり、気の調節をあるいは心理上、あるいは萎む気、あるいは亢る気、あるいは散る気、あるいは凝る気などの為さしむることである。で、新境の現前によって幸に張る気を致すを得れば直にその病を忘れてしまう。すべて疾病は不覚に生じて自覚に成るものが多い。自覚せざるときは病既に身に生じて居てもなおいまだ病を知らず、一たび病あるを自覚するに及んで病は大にその勢を張る。換言すればもし自覚せざれば病はあるもなおなきが如くで、また自覚すれば病はなきもなおあるが如きである。神経衰弱の如きはその病の性質が殆んど自覚病たるの観あるもので、古い支那の諺に、「病を忘るれば病おのずから逃る」というのがあるが、実に近代のこの病のために言ってあるかと思われるほどで、新境の現前によって張る気が致さるれば、おのずからにして病を忘れ、そしてその病は既に治したるが如き観を呈するものである。しかし数日もしくは一、二週間にして昨日の新境も今日の熟境となり了るに至れば、一旦張る気になったのも昨日の夢となって、かえって一旦張る気を生じたためその反対の弛む気を生じたり、その他の悪気を生じて、またその病を自覚することが強くなるものである。この故に転地療養その他の新境現前によって張る気を生ぜしむることを利用する治療法を無効の如く説き做す人もあるが、しかも全然無効として排斥せんよりは、幾分にせよ有効なりとして利用した方が不智ならざる事である。而して世人の多くがこれらの病症に対して、新境現前を有効なりとして採用して居る事の多いという事実は、事実その物が新境現前によりて張る気の生ぜらるる場合の多いということを明白に語って居るのである。

 (『努力論』 幸田露伴 進潮退潮 より )

進潮退潮7

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 人も一定の職業、土地、営養、宗教、習慣、智識などに縄縛釘着せらるる時は、ある度まではたしかに発達しかつ幸福なるも、その後は自然にその縄を脱し釘を去らんことを欲するに至る傾がある。これは人類の生を遂ぐる所以の大法の然るよりして来る歟否耶はしばらく論ぜずとして、世上に多く見るの事実である。稀には科学上にいわゆる安定性の物質のように、十年一日の如くにして晏如たる人もあるが、多くは新を追い旧を棄てんとするの傾がある。この大なる事実をば単にその人の操守の不確や意志の不固や性質の軽浮に帰して解釈しても解釈は出来るのであるが、それよりはむしろ人々の内部に潜んでいる自然の要求が然らしめるのであると解釈した方が、正鵠に中っては居ないであろうか。菽科植物が連作を忌むのはその土壌の養分を吸収し尽くすからであるか、あるいは該植物の発育の有力原因たる一種のバクテリヤ類の乏少に本づくのであるか知らぬが、いずれにしても内的要求が存在して、そして新地に身を置きたがるのである。人と菽とを同一に論ずることは出来ぬが、三代以上純粋の倫敦人は漸く羸弱に傾くという説の生じたるが如き事実は、ただに都会生活の不良なる事を語るのみではなく、人がある状態に縄縛釘着せらるることを幸とせずして、新に就き旧を去るを幸とする内的要求に左右さるるところのあることを語って居るのではあるまい歟。土地にのみではない、実に一切の事物の旧きが厭かれ新しきが好まるるは、けだし生物の内的要求あるがために然るのであろう。
 しかし生物には安定を喜び因縁を恋うの情もある。草木は数々移動せしめらるるを喜ばぬものである。魚族は多くはその孵化地に回り来るものである。地磁気が然らしむるか、記性が然らしむるか、他の何が然らしむるかは不明であるが、魚族の如き単純なる智能を有せるものが故地に回り来るは奇蹟ともいうべきである。狐の首丘の談や胡馬越鳥の喩の如きはしばらく信ずべからずとするも、燕、雁、狗、猫の類の旧を記し故を忘れざるはまた異とすべきである。これらと同じく人もまた故郷を忘れぬもので、郷を懐うがために病をさえ生ずるに至るものである。されば新境の現前は人を利し、人をしてかえって散る気や萎む気などの好ましからぬ気をさえ生ぜしむることもある。新境の現前が必らず張る気を致すものであると思ってはならない。張る気の生ずる原因が幾個もある中に、その一個は新境の現前であるというまでである。
 (『努力論』 幸田露伴 進潮退潮 より )


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