|
冬月は、青島神社の境内の中で思った。この青島は、塩土翁の島だったのではないかと。塩土翁は、白鬚神社の祭神で、彦火々出見命と豊玉姫の仲を取り持った神ということになる。そうなれば、青島は縁結びの神様ということになるのであった。もし、塩土翁に彦火々出見命が出会わなければ、豊玉姫のいる海神の国にいくこともなかったのだ。冬月は、賽銭箱に小銭を入れて、夕子との縁組を願うのであった。
彦火々出見命・山幸彦は、開聞岳の兒水浦まで出向いていって、そこで豊玉姫と出会うのであろう。この近くの長崎鼻には竜宮神社があって、山川港は琉球・奄美とを結ぶ基地として栄えていた。また、成川遺跡という弥生から古墳時代にかけての遺跡もある。日向と薩摩で神話の伝承地の争いがあったのは、明治の頃からであるが、三年も海神の国に行っていて、各地を廻らなかったというのもおかしいであろうし、その子孫達がそれぞれに移り住んだ土地に伝承を伝えたということも考えられる。 また、ニニギノミコトも、妻・木花咲耶姫をおいて、旅に出ているから、子どもが生まれる間に、何度も薩摩のほうに行っていたのではないかと思われる。その間、木花咲耶姫は、宮崎市の木花に、海幸彦と山幸彦と残っていたのではないだろうか。まあ、その後も何度も転居を繰り返したのかもしれない。そして、釣り針の一件を理由に、父を探し続けていたということも考えられる。ニニギノミコトは、薩摩の笠沙町の神渡海岸(黒瀬海岸)に上陸しており、そこから、野間池港へと廻り、加世田市一帯にやってきている。それから、その晩年はこの地を北上して、薩摩川内市にやってきて、崩御なされたのではないか。御陵は新田神社・神亀山にあったが、その森林の深さは上古のものを彷彿させるものであった。ニニギノミコトのくわしい話は、霧山に帰ってからがよいだろう。 青島で冬月と私は、植物の生態の話や御嶽の話や温暖化の話をして、最後に戦前の皇民化政策の過ちについて語っていた。武力で統治ということなしに、国を治めようとすれば、公用語を強制するしかない。結局、イラクやアフガンのようなところも、武力で制圧しなければ、都合のいい国家は築けないというジレンマがあった。戦争の泥沼とは、近代化とは一体何だったのだろうか。神話の世界も現実の世界もあまり変わっていない。進歩しない人類の哀れさを嘆きながら、青島を後にする事にしたのだった。 青島の白い砂浜を後ろに、架け橋を渡ろうとすると、その先に、若い恋人たちが手をつなぎ、青島からの橋を渡っている。とても幸せそうな二人に日本の将来を思う。だが、彦火々出見尊と豊玉姫の別れは、難解な学術の世界の奥に、離婚した亜季とのことを潜めているのも確かであった。 これから向う鵜戸神宮への道は、実は冬月と亜季との思い出の道でもあったのだった。おそらく、冬月はこの思い出が甦らないように、難解なことばかり口走っているのかもしれない。複雑な心理の階層には、学問への想いの下層に、亜季との思い出を秘めている。タクシーの待つ国道に出ると、冬月と私は再び後部座席に乗り込んだ。もちろん、冬月を海側に座らせるのであった。冬月と私を乗せたタクシーは、だんだんと上り坂を登り、堀切峠の開けた光景に向って走り出していた。眼前に広がるまばゆい太陽の光が、青い海と空とにつながって、鬼の洗濯岩の黒さに映えているのだ。冬月の脳裏には、亜季との思い出が浮かんでいた。運転する冬月と助手席で音楽を聞く亜季だった。真夜中の日南海岸のロードを走り抜けたこともあった。あるいは、昼間にご飯を我慢しながら、走ったこともあった。そのような海岸のロードを走りながら、冬月は何を話すのであろうか。 冬月は、素晴らしい光景を目にし、海や空に目をやりながらも、そこに生えている植物をチェックしているようであった。 フィクションです。
|
小説・霧山幻想(リメイク中)
[ リスト | 詳細 ]
|
橋を渡り終わって、青島の砂地に足を踏み入れる。砂浜の周りは奇形波蝕痕という学術用語に覆われていた。鬼の洗濯岩といったほうがいい。青島には何回か来たことがあったが、取材で来たのは初めてだ。冬月は足早に鳥居をくぐっていく。そして、ある古木の方に目をやって、私に呼びかけた。
「これがアコウの木だ。小生も赤穂浪士になろうかなと思ったが、この木は「親孝行の木」「命の再生」を意味するらしいね。クワ科でイチジクの仲間だ。この葉っぱを採取しておこう。やはり、ここは亜熱帯で、海の人々らしい土地だね。霧山の植生とは、大いに異なっている。非常に興味深いではないか。」 「そうなのかい。私にはよくわからないが、命の再生という言葉には心惹かれるね。是非、真坂野交通の再生に、願掛けておかないとね。観光宮崎の再生か。県民の生活がよくならなければ、そこにある会社もよくならんだろう。とにかく、手を合わせておこう。」 私は祈るように、この木を拝んでいた。鳥居をくぐったということは、青島神社の境内にいるということだ。神話の館あり、おみくじを売っている社がある。青島の水は枯れていた。歩を進めると、大きな石碑が建っている。彦火々出見命と豊玉姫の歌である。 赤玉は緒さへ 光れど白玉の 君がよそひし 尊とくありけり 沖津島鴫就く 島に我が寝ねし 妹は忘れじ 世のことごとに この歌を読んだとき、冬月の脳裏には、前妻・亜季との別れが浮かんでいた。冬月は、この歌に潜む思慕の情と、胸に湧き上がる亜季への思いが重なり、思わず涙があふれ、うつむくのだった。冬月は、空を見上げて、さらに神社の奥に入っていった。そのとき、晴れ間はいっそう輝きをますのだった。 実際、この歌は『古事記』にも載っている。彦火々出見命が豊玉姫のお産のシーンを見た後に、姫は海の向こうに帰っていってしまった。姫は八尋鮫(わに)の姿をしていたとあるが、お産のときに仰向けでなく、うつ伏せになっていたことを指した比喩表現ではなかったろうか。信州のどこかで、うつ伏せで出産しているところがある。海から山に登ったのだろう。おそらく、出産における文化の違いが別れの理由だろう。そうであっても、見られてしまったことに恨みを抱いたとしても、恋しい心は忍ぶことができずに、生まれた子どもを養育するために、妹の玉依姫を付添わしている。そのときに、この歌のやりとりがなされた。最初の歌が豊玉姫、それについで彦火々出見命のお返しの歌である。 私は、彦火々出見命と豊玉姫の出会いの方が興味深い。海幸彦と山幸彦の伝説だ。あるとき、山幸彦は海で漁をしたいと思って、海幸彦に申し出て、三度目にやっと、釣り道具を貸してもらった。海で釣りをしていたが、なんと、その釣り針をなくしてしまったそうだ。海幸彦はなかなか釣り針をなくしてしまったことを許してくれない。そこで、海の国へと行く。浦島太郎の竜宮伝説と重なる。おそらく、海の国は、竜宮すなわち琉球であろうと思う。海の人々は、古神道という神道の原型をもっていたのであろう。しかし、この場合、沖縄まで行ったかはわからない。うまし路という潮路だから、黒潮を逆流したとは考えにくく、開聞岳の兒水浦という説が有力だろう。南九州にしぼっているが、倭人文化といえば、海の人々の文化の方が強いような気がする。柳田國男も南方説を押している。とにかく、海神の娘、豊玉姫と出会う。 南島文化では、祭祀というものは、その村々における一門の長者の家によって行われ、その家では女性がその専業をしていたそうだ。その女性は神と人との間に立って神意を伝え、その指導をもとに、肉親の兄弟、父または夫を援けたといわれる。そういった妻の助けで、山幸彦・彦火々出見命は、兄海幸彦を退けるのであるが、豊玉姫というのは、奄美などに見られる祝女(ノロ)と同じではなかったか。 フィクションです。
|
|
冬月と私は、会社の用意したタクシーに乗り込んだ。黒塗りの重々しい車である。二人は、後部座席に乗る。私が先に乗り込み、冬月が後から乗った。そうなれば、運転座席の後ろに私で、助手席の後ろに冬月が乗ることになる。タクシーが動き出すと、だんだん、その意味が分ってきた。冬月は海側で、私は道路側になるのだ。「しまった」と思ったが、冬月の沈み込んだ姿を見ると、何も言えない。仕方なく、仕事の話になる。
「神話の世界なんだが、これはどうも異文化をもった人々の交流の歴史なのだ。小生、植物の生態系や帰化した植物を思い浮かべた。日本原産の植物がいるのだが、後から入ってきた植物もある。後から入ってきた植物には、中国原産の植物もあり、ヨーロッパ原産の植物もある。さらに、温帯に生息する植物や亜熱帯植物も存在する。今から行く青島は、亜熱帯植物の生い茂る所だ。そして、神話においても重要なところだ。」 「あの海幸彦・山幸彦の伝説と関わる島だろう。巨人軍がキャンプの時によく訪れる。なんで、青島なのかよくわからないね。縁結びの神様だろう。」 「うん、その答えは、島に着くとわかるだろうよ。」 二人を乗せたタクシーは、だんだんと市街を離れて行き、センターにフェニックスが植えられ並んでいるバイパスを突き進んでいった。空はだんだんと、晴れ間を覗かせていた。 私は、ホテルの三階を見て廻っていた時に、カエルが小僧に水をひっかけているオブジェを見つけたのを思い出していた。そのオブジェを見て、このカエルは冬月なんだなと思った。しょんべん小僧がカエルにしょんべんを引っ掛けても、カエルの面に水だ。そのカエルが逆に小僧に水をひっかけている。カエルは、多額の負債を抱える真坂野交通でもあるのだ。真坂野社長は、いつも冬月を怒鳴り散らすのだが、冬月にとってはなんということもない。そして、真坂野交通もカエルで、多額の負債もなんということもない。逆境こそ力。七転び八起き。転んでもただでは起きてはいけない。カエルが小僧に水をひっかけるくらいの意気込みがあれば、必ず立ち上がることができる。 こどもの国を通り過ぎて、しばらく行くと、「ういらう」の看板が見えるが、なんて書いてあるのかよくわからない。やがて、おみやげ屋の立ち並ぶ青島の入り口にやってきた。この青島の入り口には、レストランがあった。 冬月と私は、タクシーを下りると、そのレストランに入った。おみやげ屋の雰囲気は南国情緒であるんだが、やはり高速のレストランと似ている気がした。もっと、奥に行き、食堂へと進んでいく。なんだか、庶民的なものである。厨房を覗いて見たが、その料理長はいないみたいだった。 仕方なく、二人は店を出て、青島の方へと向うことにした。細長い小道を進んでいくと、白い砂浜と青い海、澄み切った空が融合していた。青島と陸地をつなぐ架け橋の上に立てば、左にシーガイアのホテルの建物がうっすらと見え、右には白浜の海水浴場が見えた。真正面に、青島が見える。青島は、淡島と呼ばれていたと聞く。また、別名、歯朶之浮島とも呼ばれていたようだ。シダ植物に覆われていたのだろうか。 フィクションです。
|
|
亜季との別れのシーンが浮かんできた。
「あんたは私のことを愛していないのよ。いつも変なことにばかり、首をつっこんで、私たちのことなんか全然考えてないんだわ。」 「お前は、看護婦を辞めて、声優になりたいんだろ。そうすればいいさ。」 それが、最後に交わした会話だった。だが、本当はずっと一緒にいたかっただけかもしれなかった。しかし、冬月の数奇な運命は亜季との離婚へと流れ込んでいくのだった。外は、どしゃぶりの雨が降り出していた。冬月は、一時はタバコをやめていたが、去年の冬から吸い始めていた。心の隙間を埋めるためには、どうしても吸わざるをえないのであった。そして、今回も夕子、綾、さつきと、それぞれの愛の種類を手放していたのだった。愛を一時手放さない限り、大人にはなれない。そんな社会に住んでいる。人々は、愛を見失い、社会で暮らすために奔走しなけばならない。愛が煙たいわけではないが、深い愛では、どうにもできない世の中なのかもしれない。情に流されては生きていけない非情な世の中だ。 冬月は、ベッドの掛け布団の中にもぐりこみ、今までの一件が取るに足りないものだと思った。すべてをみんなに与えてしまえばいいではないか。そう思うとすっと身が軽くなる気がした。そして、この地の安らぎは、今まで自分は小さな天秤の上にいて、その天秤がもっと大きな天秤の上に乗っかっていることを気が付かせるのだった。 冬月は、枕元から『古事記』を取り出した。これは小説『たまゆら』にも出てくる。神話の地・宮崎にならではの書物である。冬月は、霧山の高速レストランにいる間、さまざまな試練の中、この神話の秘密が次々と頭に昇って来ることを感じていた。これは、いわゆる夢幻能というやつであろうか。そして、心身がこの地にやってきたとき、ほぼ、それらの問題が終結したことを意味したと思った。冬月は、霧山を降りて、宮崎の市街にやってきた。だが、ここで悟ったのは、真実は正解であるとは限らないということであった。だから、神話を語るときは、常識と諮って、語らねばならない。その常識が破れる機を知らねばならない。そこまで、神話と考古学と歴史がつながることには、審議が必要であると考えた。 やがて、夜がふけてていくにつれて、愛欲のつるは断ち切れ、利害得失からも離れ、たたえやそしりからも煩わされることはなくなってきた。だんだんと、冬月の心は落ち着いてきた。私欲と栄華なんて、どうでもいいんだ。功名心というものもない。それは、楽園ならではの効用なのであろう。 「ものみなうつり変わり、現れては滅びる。生滅にとらわれることなくなりて、静けさと安らぎは生ま れる。」 冬月は、部屋に備え付けてある仏典もそばにおいていた。それでもやはり、冬月は、すべてのものを失っていた。すべてを失って、初めて得られるものもあるかもしれない。 次の朝、冬月は、再度、『たまゆらの湯』につかり、睡眠後のだるさを洗い流していた。そこで、何もかもを失ってしまったにもかかわらず、そこに、人と人とのつながりを覚えた。だんだんと、懐かしさがこみ上げてきたのだろうか。新会社で働くことはできなかったが、別の仕事を与えられている。新会社との縁は切れてしまったけれども、そこでの仲間たちとの縁は切れないだろう。料理の師匠や友人、そういった絆は残っている。 風呂上りの着流しの冬月が、一階のロビーに現れる。私は、コーヒーショップのチャットルームで、コーヒーをすすっていた。冬月が向い側の椅子に座ると、これからの取材のことについて、話を始めた。冬月は、なかなか神話の話はしたがらなかった。冬月は、草木の話しかしたがらない。冬月は、もともと、理系の人間で生物学を専攻していたのだ。だが、科学的な研究における心理的な行き詰まりで、やがて、社会科学の方に目を向けていったみたいだった。その冬月との会話の中に、冬月の苦悩を感じた。冬月は、ある悟りの道に入ろうとしているのではないのか。そのように、私は、冬月に思うのだった。冬月の険しかった苦難の道は、ようやく、春となって、冬月のまわりの人々に幸せを与えた。そのことが、冬月の幸福感となっているに違いあるまい。私が、そのように思うのは、眼を真っ赤にしながらも、安らぎに満ちた冬月の姿を見るからかもしれない。私と冬月は、これから仕事を共にするのだが、そのような冬月の心境というものをいつも眼にするだろう。冬月は、会社の利害関係から離れ、この地の楽園に赴いて、まことの安らぎと静けさを得ている。それが、この『たまゆら』の地だったのである。観光宮崎がリゾート地として、社会に役立つのは利害関係から解脱した環境であるからこそだろう。そこが宮崎がパラダイスである由縁なのだ。 風呂上りでさっぱりした冬月は、ぼそぼそながら、つぶやくのだった。 「すばらしいね、ここは。まるで極楽なんかにいるみたいだ。」 「ああ、君を見ていると、そのように思えるよ。何者も納得するにちがいあるまい。」 私は、これからの仕事の重要性を考えた。私は、しばらく声がでなかったが、冬月にやっと言い出す。 「これから、我々は、この極楽を守らねばならない。さて、そろそろ仕事に取りかかろうか。」 冬月は、涅槃に達したように、すべての咎から抜けたような顔をして言った。 「ああ、よいだろう。まだまだ、世界は広大なようだ。」 世界と自分が融合した。それは世間に認められるということだろう。しかし、そういうことって、道に到達したっていうことなんだろうか。私は、心の中でつぶやいていた。だが、それ以外に何も言わない冬月を思い、とにかく彼の仕事を支えることにするのだった。 フィクションです。
|
|
冬月は、心身共に疲れ果てていた。長年つれそった亜季との思い出を胸に抱いて、窓の外、遠くをぼんやりと眺めている。並び立つアパートのベランダに立つ主婦の姿を見ながら、あこがれた家庭の夢を見た。亜季とは結婚して、すぐに別居してしまっていた。だから、冬月には、家庭というものを築くことができなかったという後悔があった。冬月が研究所をつくり、亜季の父、窮々亭今旧と悠々塾という活動をしていたけれど、冬月の収入においては、一向に恵まれないのであった。亜季は看護婦として自立した女性であった。
やがて、窮々亭が死に、亜季との離婚という顛末が訪れてしまった。冬月は、亜季との家庭を築くために懸命に働いていたが、亜季との家庭という目的を失っていた。だから、冬月はこの別れを忘却するために、高速レストランで死に物狂いで働いたのだった。やがて、新会社が発足するというので、ますます仕事に熱心に打ち込んだのであった。冬月は、窓の風景を眺めながら、何にも感じずに、ただボーっとしている。しかし、その身には、神話の研究や歴史学、考古学の課題も重く圧し掛かっていた。冬月は、他にも、さまざまな顔があり、その身にあまる好奇心によって、芸術や不老不死の研究なども抱えて、頭を悩ましているのであった。 冬月は、空腹感を覚えて、ホテル内の汐菜という日向料理の店にやってきた。ぼんやりとしている冬月を促すように、店長らしき人が誘った。やがて、冬月は窓際の席に座り、ウェイトレスなのか、仲居なのかわからないような店員に、飲み物の注文を勧められた。冬月は、諸塚産の秘境蔵という米焼酎を頼んだ。諸塚は、宮崎県内にありながら、霧山の地から泊りがけで行かなければならないほどの秘境であった。そのとき、冬月は、車の中に寒さに震えながら、眠ったのを思い出した。まだ、暗い森の中に眠っているようなほろ酔いが、お湯で割った秘境蔵の辛口の味覚から呼び覚まされる。眼を開けると、外の夜景が、大淀の水面を打ちながら、飛び込んでくる。街の灯りは揺れながら、冬月の心を揺らしている。やがて、小鉢が運ばれてくる。刺身をつつきながら、運ばれてくるままに、食していく。南郷町の定置網でとれた直送の魚だそうである。山の酒と海の幸を食べる。日南海岸の海魚といえば、マグロである。戦前、油津の港は「マグロ景気」を迎えた。今回の酒の肴から言えば、酒が主であり、料理が従である。だから、日向料理は、まさに酒の肴として最適である。酒の味を傷つけない淡白なものが出てくる。赤みそ汁には、本当にあっさりした魚身が入っていた。 これは、鰆だろうか。鰆なら今が旬なので、そうかもしれない。とにかく、酒がすすむ。最後の魚の揚げ物がなんだったか、思い出せない。ぶつぶつとうんちくを垂れながら、独り身の幸福を寂しく味わっている冬月がいた。宮崎は焼酎王国でもある。 幸福とは、このようなものだろう。すべてを失ったような深い悲哀に震えながら、このホテルの幸福感に身を預けていた。なんというささやかな幸せだろう。宮崎とは、なんという優しい土地なんだろう。疲れた心身を癒してくれる。冬月は、亜季との別れの後、杉原夕子との料理の仕事のことを思い出していた。 フィクションです。
|


