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子曰く、過って改めざる、是を過ちと謂ふ。
(『論語』 衛霊公第十五 より )
人は過ちがあったならば急いで改めなければならぬ。
過って改めなければ無心の過失が反って有心の罪悪となる。
これを真の過ちと謂うのである。
人に過ちを改めることをすすめたのである。
人は過ちのあることを免れない。故に君子は過ちを改めることのできないのを患うるのである。
日本語が分かる者であれば、ここに西洋と東洋の区別はないことがわかる。
日本語は、神・佛・儒の言葉によって、現実を理解しよう努めた歴史があるので、それらを取り払うとただの獣になってしまうのだ。
これは文明開化後の大問題であり、今でも東洋とか西洋とかの区別をしてどちらかを排斥しようとすると、日本人の本能を抑えているストッパーが外れて暴走する恐れがでてくるのである。だから、このような語を排斥することは愚かなことである。東洋の語と西洋の語を翻訳する事が望ましい。
吾輩は、この雰囲気およびイメージのために、現状のような形態を維持しているにすぎない。
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悠塾の心得2
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『論語』がフランスで翻訳されて、啓蒙思想を生んだ。
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子曰く、人能く道を弘む。道の人を弘むるに非ず。
(『論語』 衛霊公第十五 より )
人づきあい以外に道はなく、道を見つける以外に人にはなれない。
人とは自分の道を見きわめたものである。人種・ホモ・サピエンスのヒトではない。
だから、人とは悟る心があり、道は自ら何もするものではない。
故に人は自分の道をいろいろな人に伝えて広めることはできるが、非道は人を広めることだ。つまり、物欲の世では、人間を増やしすぎると災いが生じるから、なるべく質素倹約にして多くの人を養えるようにしましょうということだ。
ちょっとした慈悲的な解釈でもある。仁愛による解釈でもある。
人に道を覚ることを責めたのである。つまり、人間本位ではない道というものの存在(自然環境)を表わしている。人力では制御できない自然の脅威というものが存在する。自然環境がたくさんの人を養えないということを防ぐためには、たくさんの人間が住めるために、自然環境を確保しなければならない。
朱子は人が能く道を弘めることを説いて、「道は扇のごとく、人は手のごときものである。手は能く扇を動かすが、扇はどうして手を揺かすことができよう。」と曰っている。
『旧約聖書』もだが、『論語』も『仏典』も紀元前の書物であるから、どうしても科学的にその時代のニュアンスを汲み取ろうとすれば、人間性が欠如して、獣臭い解釈になっていくので気をつけたいところである。これは戦前の書物の事柄にも当てはまるので注意を要したい。
道というものの解釈も時代によって進化しているのだ。
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子曰く、其の身正しければ、令せずして行はる。
其の身正しからざれば、令すと雖も従はず。
(『論語』 子路第十三 より )
民を教化するのは命令ではなくて、上にいる人の一身にある。
もし上の人が自ら正しいことをして民を率いれば、命令しなくとも、徳化が自然
に行われる。
もし上の人が自ら正しくないことをしておれば、いくら命令しても民は従わない。
政を行うにはまずその身を正すべきことを述べたのである。
大学には「其の令する所、其の好む所に反すれば民従はず」とある。
顔淵篇には季康子に向って「子師ゐるに正を以てせば、孰か敢へて正ならざ
らん」とある。
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子曰く、群居終日、言義に及ばず、好んで小慧を行ふ。難いかな。
(『論語』 衛霊公第十五 より )
君子が会合するのは相与に徳を完成するためである。
もし群居して終日の久しきにわたるも、その言う所は道義に及ぶことなく、好ん
で小ざかしい知慧を行って私利を営むならば、徳に入ることができないばかり
でなく、患害を免れることは難しいことだ。
学者を戒めたのである。
朱子は「言が義に及ばなければ放辟邪侈(欲しいまま、かたよる、よこしま、ぜいたく、つまりわがままかってな悪い行いをいう。)(孟子梁恵王篇)の心が滋く、好んで小慧を行えば険を行って僥倖する(中庸第十四章)機が熟する(小人の知慧というのは危険なことを行って望みを達する機会を熟させる)」と言って居る。しかし、厄害を患うということから逃れることは難しいようだ。
東洋人(アジア人)が西洋人(欧米人)の真似をすると、なぜか禍(思わぬ不幸)を招いてしまう。なぜだろうか。やはり、東洋人が近代化をして、わずか150年しか経っていないので、猿真似にすぎないからだろう。嘆かわしいことだ。実際に、どういう結果を招くかということを考えることなしに、領土とか、主権とか、義務とか、訳の分らぬのに、口先で言ってみても、結局、口論となり、謝罪がどうとか、賠償金がどうとか、喧嘩になるばかりだ。この醜態があまりにも恥ずかしすぎて、欧米人が目を塞いでいるのがよくわかる。まだ、見捨てられていないだけ益しであろう。
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斉の景公 馬千駟あり。死するの日、民 徳として称するなし。
伯夷叔斉 首陽の下に餓う。民 今に到るまで之を称す。
(誠に富を以てせず、亦 祇に以て異なりと) 其れ斯を之れ謂ふか。
(『論語』 季氏第十六 より )
斉の景公(景公)は馬を四千匹も持っていた。誠に富貴な人である。しかし死んだ時に、民は景公の徳を指して称するものはなかった。伯夷叔斉(伯夷、叔斉)の二人は周の粟を食うことを恥じて首陽山の下で餓死した。誠に貧困な人である。しかし民は今に到るまでこれを称美している。(「名の称せられるのは富によるのではなくて徳の常人に異なるのによるのである」とは)景公と伯夷叔斉のことを言うのであろうか。
人に徳を修めることを勉めさせたのである。
「其れ斯を之れ謂ふか」の前に顔淵篇の「誠に富を以てせず、亦 祇に以て異なりと」が来るのであろうと胡寅がいってるから、この説に従って本文を補って講義しておいた。
『論語』の解釈には歴史がある。
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