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悠塾の心得2

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『論語』孔子が周公の夢を見なくなった…。隠者編



人の道は踏み外してから、正しかったのだとわかる。


『論語』がフランスで翻訳されて、啓蒙思想を生んだ。

自分のして欲しくないことを他人にしないようにしよう。


ここでは、老子の大道や孔子の天命ということが学べる。

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其の所を得たり。

 子曰く、吾衛より魯に反り、然る後楽正しく、雅頌各其の所を得たり。

(『論語』 子罕第九 より )

 孔子は言った。わしが衛から魯へ帰って、魯に伝わっている古楽の残欠を補い、次第に整えたので、楽

の声音や節奏が正しくなり、楽中の雅の詩や頌の詩がそれぞれ本来の姿に復活して互いに混乱することが

なくなった。


 楽は声楽と器楽と舞楽から成る。雅頌は声楽に用いられる詩である。雅は朝廷に用いられ、頌は宗廟に用いられる。

 朱子によると、魯の哀公の十一年の冬に孔子が衛から魯に反った。この時、周の礼が魯に在ったけれども、詩も楽もみな残欠して次第を失っていた。孔子は四方を周游して、諸国で聞いた所と、周の礼に規定された所とを参照考訂して詩と楽の説を知っていたから、晩年その道の行われないことを知って、魯に反って楽を正したのである。


 衛で子路に言ったように、魯の国に帰ってきてから、名を正しくして、楽を正しくしたのだろう。

地位もなかったのに有言実行しているところが、孔子の偉いところである。音楽というものは、料理と同

じで、好みによって変節することが甚だしいので、音符も楽譜もない時代に復元することは容易くなかっ

たであろう。

必ずや名を正さんか。

 子路曰く、「衛の君、子を待ちて、政を為さば、子将に奚をか先にせんとする。

子曰く、「必ずや名を正さんか。」子路曰く、「是あるかな、子の迂なる。奚ぞ其れ正さん。」

子曰く、「野なるかな由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋し闕如す。名正しからざれば則ち言順は

ず。言順はざれば則ち事成らず。事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず。刑罰中

らざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子の之に名づくるや、必ず言ふべきなり。之を言へば必ず行ふ

べきなり。君子は其の言に於ては、荀もする所無きのみ。」

(『論語』 子路第十三 より )

 孔子が衛に居た時、子路は孔子が衛に仕えるかと思って、問いを設けて言うには、「もし衛の君子が先生を招いて政を行おうとされるならな、先生は第一に何をなさいますか。」孔子が言った。「わしは必ず名と事実とが一致するようにしようと思う。」子路が言った。「名を正すとおっしゃいますか。先生のお考えはあまりに回りくどく今日の急務だとは思えません。今さらどうして名を正すことなどにかまっておられなしょうか。」孔子が言った。「いやしい男だ、由(子路の名)は。君子は自分の明らかに知らない事は、しばらく除いておいて考え問うもので、そのように軽率には言わないものだ。わしが名を正そうとするのは深い意味があるものだ。名と事柄が正しくなければ、言うことが道理に従わない。言うことが道理に従わなければ、物事が混乱して何事も成すことが出来ない。事が成らなければ秩序と和合とを司る政治上の機関である礼と楽とが興らなくなる。礼と楽とが興らなければ、政が道を失って刑罰が見当を外れてしまう。刑罰が見当を外れて、悪を為す者が免れ善を為す者が罰せられるようでは、人民は不安で手足の置き所がなくなる。名を正さないとこんな結果になるのである。故に、君子は名をつければ必ずその実務に当たってその名の通りに行って言うことができるようにするのである。言うことは必ず実に従って其の通り行うことのできるようにする。そうすれば、事は成り礼楽は興り、刑罰は妥当になるのである。名の正すべきことはこのようである。故に君子は言うことは必ず実に当たるようにしていやしくもすることはないのである。わしがまず名を正そうとするのは決して迂遠ではないのである。」

 朱子学では、名を正すということは君・臣・父・子等の名分を正すこととなっている。つまり、人倫を明らかにすることが政治の大本とされていたのである。つまり、身分制度を確立して、上下の区別をつけてから、礼楽や刑罰を定めていくというふうに解釈できる。そのように解釈すると、この頃の孔子はまだ若く、周公の道を志しているということになる。その頃の孔子の影響を一番受けていたのが子路であった。

 名を正すということを、文字を正すというふうに解釈すると、当時は、書き文字と話し言葉がバラバラだったということになる。そうなれば、書き文字が正しくなければ話し言葉もそれに従わない。となると、お触れ書きをだしても話し言葉として物事が正しく伝わらないことになり、そのお触れ書きは実行されないことになる。後の秦の始皇帝は、漢字がそれまで地方ごとに異なる字体が使用されていたものを、これを改め、秦の字体を標準字体として採用した。そういうわけだから、孔子の時代にはまだ漢字というものは統一されていなかったということだ。周の伝統を伝える諸侯は、同じ漢字を用いていたけれども、民は文字を持たず話し言葉だけを使っていたのかもしれない。また、別に夏や殷の文字を使っているところもあったかもしれない。そのように、用いる文字や言葉の混乱があったのかもしれない。それを正すことが目下の役割だと思っていたのだろう。だから、教育者としての孔子の姿があるのかもしれない。君子が物事に名づけて、その言葉を言うことによって、民はその言語を信じることができ、それにしたがった礼楽や刑罰を施すことができるようになる。名をつけて言葉を発しただけでは、民はよくわからないから、君子は必ず実行して怠らないのだろう。
 

之を富まさん。

 子衛に適く。冉有僕たり。子曰く、「庶なるかな。」冉有曰く、「既に庶なり、又何をか加へん。」

曰く、「之を富まさん。」曰く、「既に富めり、又何をか加へん。」曰く、「之を教へん。」

(『論語』 子路第十三 より )

 孔子が衛の国へ行った時、冉有が馬車の御者となって車を走らせた。孔子が衛の民を見て嘆息して「多

いことだ。」と言った。冉有が言った。「既に民が多い上は更に何を行いなさいますか。」

孔子が言った。「これを富ませて生活を安全にさせよう。」

冉有が言った。「既に富んだ上は更に何を行いなさいますか。」

孔子が言った。「これを教育して礼儀を明らかにし人倫の道を知らせよう。」


 孔子が「庶なる哉」と歎じた中には二つの意味があるといわれている。
一は民が多くて恩沢を広く施すべきことを幸いとしたのであり、一はそれを治める道がなくてこの衆民に背くことを惜しんだのである。



 衛の国は、蘧伯玉と子魚が治めていたであろうから、民が増えたのだろう。いい政治とは、人が多く集

まってくることだから、蘧伯玉は君子だったのであろう。孔子はさらに富ませて教育しようと思った。

しかし、孔子は用いられることがなく、それは実行されなかった。富ませようと思っても、すべての人々

を平等に富裕にすることはできないから、結局、教育も一部の富んだ人々にしか施せなくなってしまう。

このように、富を与えることと教育を施すことは非常に難しい問題だと言わねばなるまい。

君子なる哉

 子曰く、直なるかな史魚。邦道あれば矢の如く、邦道なきも矢の如し、君子なる哉蘧伯玉、

邦道あれば則ち仕へ、邦道なければ則ち巻いて之を懐にすべし。

(『論語』 衛霊公第十五 より )

 孔子は言った。真直ぐな人だ、史魚という人は。

邦に道がある時は正義を直言して少しも曲げないことは矢のようであり、邦に道の無い時でも正義を直言

して屈しないことは矢のようである。世の治乱に拘らず、正義を守って曲り屈むことがないから、直とい

わねばならぬ。

君子というべき人だ、蘧伯玉という人は。邦に道が行なわれている時は仕えてその道を行い、邦に道が行

なわれていない時はこれを巻いて懐に隠すことができる。道を行うのも道を隠して行わないのも聖人の道

に合しているから、君子といわねばならぬ。

 史魚と蘧伯玉とを評したのである。

 史魚は衛の大夫、史は官命あるいは氏ともいう。名は鰌、字は子魚。蘧伯玉も衛の大夫である。

 史魚の直はまだ君子の道を尽くしていない。蘧伯玉のようにして初めて乱世に処して禍いを免れること

ができる。史魚の矢のようなのは、巻いてこれを懐にしようとしても懐にすることができないのである。

(楊時)


 真直すぎる人は、乱世でないときは素直に正義として貫けるが、君子だとは言い難い。法律や道徳なん

かも同じように厳格に剛直に適応されておればいいというようなものではない。要は、法律で決定されて

いるということが、天皇陛下の命令だから、というが如く強制的なものであってはならないということで

ある。適応の緩慢さを物事に従って中庸に設定していなければならない。とくに乱世の場合、世の中の善

悪の針が左右にぶれるものだから、現実的に法律や道徳を厳格にしすぎると、人間は住みにくくなってし

まう。なぜならば、厳格さをもって人間の活動を規制してしまうからである。だから、真直ぐすぎること

は、人間の人情を踏み潰し、正しいことばかり行わねばならないことになってしまい、結果的に人間の活

動を奪ってしまうのである。正義とは、人間が決めることであるから、勢力争いによって決定されるとい

う側面があるので、君子のように道理といった客観的な視点で判断するのである。だから、君子は道が行

なわれているか行われていないかによって、道を行ったり行わなかったりするのである。

未だ能はざるなり。

 蘧伯玉人を孔子に使はす。孔子之と坐して焉に問うて曰く、

「夫子何をか為す。」対へて曰く、「夫子は其の過ちを寡なくせんと欲す。而して未だ能はざるなり。」

 使者出づ。子曰く、「使ひなるかな、使ひなるかな。」

(『論語』 憲問第十四 より )

 衛の蘧伯玉が人を使わして孔子の安否を伺わせた。孔子がその使者と坐して問うて言うには、

「夫子(蘧伯玉先生)は平生何をしていらっしゃいますか。」使者が答えて言った。

「夫子は平日自分の過ちを少なくしようと心掛けておられますが、まだ思う通りにできません。」

 過ちを少なくしようと心掛けているがまだ思うようにできないといえば、身を省み己に克って常に及ば

ざるがごとくすることがわかる。使者の言葉はいよいよ謙遜して主人の賢はいよいよ顕れる。

深く君子の心を知って善く応対した者である。使者が退出した後、孔子は言った。

「りっぱな使いだ。りっぱな使いだ。」その使者をほめたのであった。


 蘧伯玉は衛の大夫で名を瑗という。孔子が衛にいた時、その家に宿泊して親しんだことがある。

その後孔子は魯に帰っておられたから、伯玉は使者を遣わして安否を問わせたのである。

 蘧伯玉は五十の歳に過去四十九の非を知り、又六十年に六十化したといわれる人である。

蓋し、徳に進む工夫は老いても倦まないから、徳を行うこと篤実で徳の光が著れており、使者がこれを知

るばかりでなく、孔子もこれを信じたのである。(朱子による)



蘧伯玉は孔子が認めるほど徳が高くて立派な御仁のようだ。能力があるからといって驕り高ぶることがな

いように、いつも自分の過ちが少なくなるように心掛けていたから素晴らしいのである。いつも自分の行

いを反省し、自分に克つために意を無くし必を無くし固をなくし我をなくして、中庸の徳を守ろうと努力

しているのだった。そのようなことは、いつも自分を律して戒めていなければ、とてもできたものではな

い。いつもそのようなことを考えているので、「まだ思う通りにできない」と、どんどん自分の反省点を

見つけるくらい自分に厳しいのである。人に優しく自分に厳しい人なのであろう。
 


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