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子曰く、君子は上達し、小人は下達す。
(『論語』 憲問第十四 より )
君子は平生正しい道に従うから、その徳が日に進んで、高明の極に達する。
小人は平生私欲に従うから、その徳が日に降って汙(汚)下の極に達する。
君子小人の志す所の異なることを明らかにしたのである。
上達下達の分れる所は、その始め理に従うか欲に従うかにある。学者はつま
びらかに知らなければならない。
頭の使うところが違うのであろう。
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悠塾の心得3
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仁を問ふ
君子を問ふ
政を問ふ
顔回・子路について
君子と小人
君子を問ふ
政を問ふ
顔回・子路について
君子と小人
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子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。
(『論語』 顔淵第十二 より )
君子は心が厚くて善を好むから、人の善を見れば、これを扶け導きこれを奨め励まして善を成し遂げさせる。人の悪を見れば、これを戒め正しこれを抑え止めて悪を成し遂げさせない。小人は心が薄くて善を憎むから、これとは反対に人の悪を見れば迎合してこれを成し遂げさせ、人の善を見れば妨害してこれを成し遂げさせない。
君子と小人との心を用いる所の差異を述べたのである。
君子と小人は心を用いる所がこのように違うから、学者は戒慎しなければならぬ。
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子曰く、君子は道を謀りて食を謀らず。
耕すや餒其の中に在り、学ぶや祿其の中に在り、君子は道を憂へて貧を憂へ
ず。
(『論語』 衛霊公第十五 より )
道は心を養い食は身を養うもので、共に欠くべからざるものであるが、君子は道を得ようと謀って、初めから食を得ようと謀らない。食を得ると得ないとは謀ると謀らないとに無関係である。農夫が耕すのは食を得るためであるが、凶年などがあって飢えることがある。君子が学ぶのは道を得るためであるが、学が成れば誰かから用いられて自然に食禄が得られる。君子は道を得ないのを憂うるが、貧を憂うるために学問をして禄を得ようとするのではない。
己のためにする学問を明らかにしたのである。
今風に言えば、道は天職のことで、生きる術のことでもある。
難しく考えれば、発明や発見でもあり、芸術的な到達点かもしれない。
世の中に認められることこそ、道を得るというだろう。
尹焞は言う、「君子はその本を治めてその末を卹(うれ)えない。どうして外から来る者のために憂えたり楽しんだりすることがあろう。」
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子曰く、「善人も邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべし。」
と。誠なるかな是の言や。
(『論語』 子路第十三 より )
孔子が言った。古語に「善人でも相継いで邦を治めて百年にもなれば、その善が次第に民の心に染みて、残暴(残虐)の人を化して悪を行なわぬようにさせ、民を善に化して大罪を犯すものなく、死刑を用いないようになる」と。誠である、この言葉は。
善人・・・修養の功を積まないで自然に悪のない人をいう。
善人が久しく国を治める効果を述べたのである。
尹焞は言う、「残に勝ち殺を去るのは悪を行なわないというだけである。善人が相継いで百年世を治めた功はこのようである。もし聖人ならば百年を待たないし、その徳化もまたこれに止まらない。」
程子は言う、「前漢の高祖・恵帝から文帝・景帝に至るまで、万民の風俗が醇厚でほとんど刑罰を措いて用いなかったのは、この古語の辞に近い。」
あれこれ、やかましく言わないほうが世がよく治まったことを言っている。ちなみに、前漢の高祖劉邦は法律を三つだけにしている。
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子曰く、君子は坦らかにして蕩蕩たり。小人は長に戚戚たり。
(『論語』 述而第七 より )
君子は常に道理に従って利害得失に心を煩わされないからその心が平らか
でゆったりとしている。小人は心が利害得失にとらわれているから、絶えず憂
え痛んでいる。
君子と小人との心の異なることをのべたのである。
小人は物質に対する欲望が盛んだから、得なければ得ないことに患え、得れ
ば失うことを患えて、絶えず憂え痛むのである。
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