平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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古典

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 丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖

海上人、その外も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたる

に、各々拝みて、ゆゆしく信起したり。

 御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。こ

の獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めず

や。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふ

に、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立

てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童ど

もの仕りける、奇怪に候ふ事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらに

なりけり。

(『徒然草』 兼好・作 )

 すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。或人の子の、見ざまなど悪しからぬが、父の前にて、人

と物言ふとて、史書の文を引きたりし、賢しくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともと覚えしな

り。また、或人の許にて、琵琶法師の物語を聞かんとて琵琶を召し寄せたるに、柱の一つ落ちたりしか

ば、「作りて附けよ」と言ふに、ある男の中に、悪しからずと見ゆるが、「古き柄杓の柄ありや」など言

ふを見れば、爪を生ふしたり。琵琶など弾くにこそ。盲法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。道に

心得たる由にやと、かたはらいたかりき。「柄杓の柄は、檜物木とかやいひて、よからぬ物に」とぞ或人

仰せられし。

 若き人は、少しの事も、よく見え、わろく見ゆるなり。

(『徒然草』 兼好・作 )

すべての人は、無智で無能であるべきである。ある人の子どもが、外見が悪くはないのだが、父親の前で、誰かと話をすると言って、中国の『史記』『漢書』のような歴史書の本文を引用したりするのは、賢いように聞えるけれども、目上の人の前では、そのようにしなくてもよいのにと思えたのである。また、ある人のところで、琵琶法師の物語『平家物語』を聞きたいといって琵琶を取り寄せたので、琵琶の弦ののっている柱が一つ欠如していたので、「新しく作って琵琶にとりつけよ。」と言うと、ある男がいて、この琵琶は別に悪くはないと見えるのであるが、「使い古した柄杓の柄がありますか。(古くは使い古した柄杓の柄を使うとよいとされていた。)」などと言うのを見ると、雅楽用の琵琶を爪弾きするときのように、わざわざ親指や中指の爪を長くしていた。目の見えない法師のひく琵琶であるのに、そのような大袈裟なことは必要がないことである。道に心得ている様子であろうかと、聞くに堪えなかった。「柄杓の柄は、檜物(ひのきの薄い板で作ったわげもの)に使う木とか言って、琵琶の柱には適しているものではない。」と、ある人はおっしゃっていた。
 若い人は、少しの事も、すばらしく見え、またわるく見えるものであり加減を知らない。

 想夫恋といふ楽は、女、男を恋ふる故の名にはあらず、本は相府蓮、文字の通へるなり。晋の王倹、大

臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。これより、大臣を蓮府といふ。

 廻忽も廻鶻なり。廻鶻国とて、夷のこはき国あり。その夷、漢に伏して後に、来りて、己れが国の楽を

奏せしなり。

(『徒然草』 兼好・作 )

想夫恋…雅楽の曲名で、平調の、唐楽の楽曲。「サゥフレン。日本のサルテイロ(琵琶)で演奏される、ある楽曲、または、舞曲」(日ポ)

 想夫恋という楽曲は、女が、男を恋しがるという名前ではない。元来は相府蓮といい、読み方が同じなのである。晋(実際は宋と斉の国)の王倹という人がいて、大臣をしていたが、家に蓮の花を植えて愛していた時のことをなぞらえてつくられた楽曲である。これによって、大臣のことを蓮府という。
 廻忽も唐楽の楽曲で廻鶻(ウイグルのこと)と読み方が一緒である。廻鶻国として、未開の外人種として強力であった。その外人の国が、中国の王朝に降伏してから後に、日本にやって来て、自分たちの国の楽曲を演奏したのだった。

 秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下

に心うかるべき事なり。

(『徒然草』 兼好・作 )

 万の事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべ

からず。こはき者先づ滅ぶ。財多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才ありとて、頼むべから

ず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。顔回も不幸なりき。君の寵をも頼むべからず。誅を

受くる事速かなり。奴従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変

ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。

 身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。左右広ければ、障らず、前後遠けれ

ば、塞がらず。狭き時は拉げ砕く。心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に逆ひ、争ひて破る。緩く

して柔かなる時は、一毛も損せず。

 人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性、何ぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これ

に障らずして、物のために煩はず。

(『徒然草』 兼好・作 )

 すべてのことは信頼できない。愚かな人は、深く以下の物事を頼りにするから、恨み、怒る事がある。権力があるからといって、頼りにするべきではない。強力な者はすぐに滅びる。財宝が多いからといって、頼りにするべきではない。わずかな時間でなくしやすい。才能があるからといって、頼りにするべきではない。孔子も時勢に乗じて、世に用いられることがなかった。徳があるからといって、頼りにするべきではない。孔子の弟子の顔回も不幸であった。主君の寵愛も頼りにすべきではない。その怒りに遭えば、たちまち、罪を背負って殺されることがある。下僕が忠実につき従っていても、頼りとすべきではない。背いて逃げ出すこともある。他人の好意であっても頼りにすべきではない。必ず心変わりがある。約束であっても信頼すべきではない。信用できることは少ない。
 わが身の上のことも、他人の上のことも、信頼しなければ、うまく行った時は喜び、うまく行かなかった時にも恨まない。左右に広ければ、さまたげるものがなく、前後が遠ければ、行き詰まりがない。狭い時はつぶれたり、砕けたりする。心をくばる事が少な過ぎて余裕にとぼしい時には、物(他人)にさからい、他人と争って、自分が傷つくのだ。心がゆったりとして柔軟な時は、身体の一本の毛もいためることがなく、禿げない。
 人は天地の霊である。天地は限りない。人間の本性も、どうして、この天地の無限性と変わるところがあろうか。ゆったりとして大らかであり、極限する所がない時は、たとい、喜びや怒りが起こっても、この広大な本性の邪魔とはならないで、物(他人)のために苦しみ悩むことがない。


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