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日向の諸地方を旅行すると、たとえば神武天皇生誕の地とつたえられる狭野神社の宮司は、あいにくこのあたりには古墳が少いので、と云って残念がっておったし、また高千穂の町では、この山中には古墳がたくさんあります、この奥の米良にも集団的にあります、と云って威張っていた。とにかく自分の村に古墳があるかないかということが自慢のタネになるという土地風は珍しい。私がそれを訊いたわけではないのに、彼らのお国自慢が自然そこへ行くのである。もっともそれは古来からのことではないらしい。大正初年に日向の古墳群の大調査があって、考古学的に歴史を大修正をするような方法が確立した。その影響が土地の自慢、再評価ということになって、宿の客ひきまでがおらが村の古墳の自慢をすることになったらしいが、しかしその素地は日向古来のものなのだ。たとえば群馬なぞはどんなに古墳の調査が行われてもそんな気風が新しく現れる見込みはないのである。要するに日向は神話の国だ。
(『高千穂に冬雨ふれり』 坂口安吾 より )
神武天皇は実在したと考えられる。ただ、古墳時代よりも前に実在したであろうから、日向からはそれに関する古墳は見られない。また晩年は奈良の方に移ってしまっている。ただ、西暦にしていつ頃実在したかがわからない。まだ、律令国家も近代国家もない時代なので、村々の盟主的存在としての王だったのだろう。村々のレベルなので、大袈裟な遺跡は存在しない。神武天皇の末裔が天皇のレベルにまで偉くなったのだから、神武天皇自体の遺跡はいかほどだったろうかと思う。そういうことから、伝説としておくに限る。
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文学・宮崎
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しかし日向の人々がわがふるさとを神々の土地として愛し護ってきた在り方というものは今日の日向が聖域として俗をたち伊勢の聖域のようにまもられようとしているのに比べて、彼らのウブスナ、むしろ彼ら人間と表裏をなす神格として親しまれるような愛され方であり、それは鵜戸神宮などの俗に徹した信仰の在り方なぞによく表されている。参道の茶店の婆さんたちはよその土地のパンパンのタックルと同じぐらいの勢いでつかみかからんばかり、あるいは哀願して泣訴のおもかげあるものもあり、だいたい日向もはずれのこの鵜戸の地にこれだけの茶店が参道に並ぶというのが意外なことだ。大都会を近隣にひかえた江の島や日光などとちがって鵜戸は主として他県にまして人口のすくない郷土の信仰にまもられなければならないはずだが、それがともかく天下に名高い観光地青島と同じぐらい茶店が並んでいるのである。青島ならば宮崎から三十分の時間だが、鵜戸となるとそう簡単には参らない。元来土地の信仰だけでまもられてきたところなのである。
茶店の婆さんの哀願泣訴のいたいたしさに私は一ツの日向を見た思いがした。パンパンなみのタックルもやりかねまじいすさまじさ。どの土地のどのような人間でも、生きるためには同じことをしなければならないのである。鵜戸の豪快な神話と風光の中においてもそうなのだ。日向のノンキな熊襲族でも生きるためには婆さんがパンパンなみに客引きせざるを得なくなるのである。
要するに生活の条件は全国おしなべて同じことなのだが、日向の古墳だけが盗掘されなかったということは、生活の条件をこえた神話の支えがあったということ、私は結局その力を感ぜざるを得なかったのである。
(『高千穂に冬雨ふれり』 坂口安吾 より )
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さて日向に多いのは古墳群である。もっとも私はこれも古墳の多い群馬県に三年越し住んでいるのでそう驚きもしなかったが、群馬の古墳が大方盗掘されているのにくらべて、この地のものに盗掘のあとがほとんど見られないということに、この地方の特色を見ないわけにはいかなかった。
持統天皇が天皇火葬のはじめとしてそれが仏教信仰のせいのように云われているが、天皇の詔をよむと決してそうでないことが分るのである。天皇は女帝である。そのころ山陵というものは葬って一、二年もたたないうちに盗掘されてしまう。葬って一、二年といえばまだ白骨にもならず肉は腐っているかもしれない。そういう醜いものを人に見られるのはイヤだから、というのが天皇が火葬を選んだ本当の原因のようである。
大和朝廷の勢力がどうやら定まりはじめた当時において、山陵はすでにそういう危険にさらされていたのである。天皇の陵ともなれば副葬品も一財産であろうから、盗人にとっては大仕事というわけだ。盗むなら品物のいたまぬ早いうち人に盗まれぬ早いうちがよいことは当然だから、泥棒も仕事を急いだであろう。
日向の古墳がほとんど盗掘されていないということは、日向が盗人の手のとどかない田舎だからという理由だけではすまされないように思われる。日向は南国でわりあい物資にめぐまれているかもしれないが、とにかく日本には万人が泥棒せずにすむような本当に豊かな土地というものはないのである。そして時間というものはおのずからすべてを変えるものなのだ。山陵の山林は焚木に好適なものであるし、山林をとりはらえば古墳のゆるやかな山の形そのままで畑にすることもできる。それが時間というものである。その時間の魔手も盗人の魔手も日向の古墳にだけは及ばなかったということは、やはりそこに神々の土地という伝説があってそれが支えとなっておのずから郷土がまもられてきた、またおのずから郷土をまもってきた、そのはたらきと認めるのが至当ではないかと思う。
(『高千穂に冬雨ふれり』 坂口安吾 より )
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ともかく天孫降臨の伝説の地に行って見いだすものは、八紘一宇の塔なぞとはおよそちがった大らかな平和郷と荒々しい熊襲や武神たちとは類のちがった温和で素直な住民たちとである。高天原伝説を史実に合せた窮屈さはここでも充満しているごとくであり、また事実その不合理も充満しているのであるが、その基盤をなしている里人の生活というものには窮屈も不合理も見ることができない。天真ランマンで温和でノンキであるというだけだ。
たとえば彼らの神楽に岩戸神楽というのもある。そして岩戸村もあれば天の岩戸神社もあって岩戸神楽ならば岩戸神社で演ずるのが何より適していそうなものであるが、そういうことは行われた例がないのである。彼らの神楽は必ず部落部落の農家を選んで行われる。彼らの祖先は朝廷に召されて神前で神楽を奉仕する例があったにもかかわらず、神に神楽を奉仕するということが彼ら自身の生活としては全然行われていないのだ。岩戸神楽があり岩戸神社があってすらそうなのだ。神楽は彼らにとって人間同士の娯楽であり、またあわよくばそれによって美女の心をひき美女に愛されたいための必需品的なものなのだ。神楽の成り立ちから彼らにとってはそうであり神楽を神に奉仕するという観念は昔から一貫して欠けているのだ。こういう点についてみても、彼らが自分の村に所有している高天原や岩戸神社と実は精神的に結びついているものがないことが分るし、この村におけるそれらの聖地の発生というものが案外無邪気な理由からなんとなく出来上がったにすぎないものではないかということが察せられるのである。しかも彼らの生活にはそういう根本的な矛盾を合理化しようとし、旧来の習慣を変えて岩戸神社で神楽をしてみようというような無理な努力については考えられた跡もない。観光客へのサービスのために国見の丘という聖地にコンクリの便所を設けることにも一向に不都合を感じておらぬのである。心底から天真ランマンであるにすぎないのである。
(省略)
(『高千穂に冬雨ふれり』 坂口安吾 より )
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高千穂では竹の筒に酒を入れて焚火でわかして野天で酒をのむ。これをカッポ酒という。この肴には鶏の丸焼を主として用いるということだ。しかしカッポ酒というのは里人が常用するものではなく、土地の農家の人々が竹の筒に入れて焚火でわかして野良の休息にたのしむのは主としてお茶だということだ。カッポは酒よりもたしかにお茶に適しているようだ。野良の休息に酒をのむということも日常においては考えられず、土地の人々の常用するカッポがお茶だということの方がこの土地のノドカな風物にもふさわしい。もっとも夜神楽の時には猛烈に酒をのむそうであるが、それはカッポではないそうだ。ショーチューが主だということである。
カッポは竹の味が酒や茶にしみて独特の味をだすところに妙味があるということで、そのシーズンになると、客が遠い土地から集って国見の丘というところでカッポをやる。それで近ごろは竹も取りつくして大そう残り少くなってしまったそうだ。
(省略)
(『高千穂に冬雨ふれり』 坂口安吾 より )
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