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「滄洲翁は江戸でも修行に出た苦労人である。倅(せがれ)仲平が学問修行も一通り出来て、来年は三十になろうという年になったので、ぜひよめを取ってやりたいとは思うが、その選択のむずかしいことには十分気がついている。
背こそ仲平ほど低くないが、自分も痘痕があり、片目であった翁は、異性に対する苦い経験を嘗めている。識らぬ少女と見合いをして縁談を取り決めようなどということは自分にも不可能であったから、自分と同じ欠陥があって、しかも背の低い仲平のために、それが不可能であることは知れている。仲平のよめ
は早くから気心を識り合った娘の中から選び出すほかない。翁は自分の経験からこんなことをも考えている。それは若くて美しいと思われた人も、しばらく交際していて、智慧の足らぬのが暴露してみると、そ
の美貌はいつか忘れられてしまう。また三十になり、四十になると、智慧の不足が顔にあらわれて、昔美しかった人とは思われぬようになる。これとは反対に、顔貌には疵があっても、才人だと、交際しているうちに、その醜さが忘れられる。また年を取るにしたがって、才気が眉目をさえ美しくする。仲平なぞも
ただ一つの黒い瞳をきらつかせて物を言う顔を見れば、立派な男に見える。これは親の贔屓目ばかりでは
あるまい。どうぞあれが人物を識った女をよめにもらってやりたい。翁はざっとこう考えた。」
(『安井夫人』 鷗外漁史 )
日向国宮崎郡清武村(現・宮崎市)に住んでいた安井息軒の妻について書かれた森鴎外の作品である。鷗外漁史がこのような作品を残していることは、案外知られていない。息軒の旧宅は清武の地に残っている。息軒の銅像が、宮崎神宮近くの県立図書館の敷地(文化公園内)に堂々と立っている。
やはり、女性というものは美貌に関心が移りがちであるが、それは移ろいやすいものであり、やがて散り往く運命である。才気というものは、センスや趣味のことと同じであり、これは連れ添うにつれて、深まっていく類のものであるのだ。学歴があっても、才気のない女性はいくらでもある。才気とは、生き生きしたものであるからである。知力と才気とは別であり、才気とは磨けば磨くほど、輝くものだと感じている。
霧山人
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