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天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各〃安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり(つまり、そのような社会を達成することが目的である)。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり(何を学べばよいかということは、別問題であり、自分で探すしかないところが現代の問題ではある)。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、夥多の奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。身分重くして貴ければ自ずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとに由ってその相違も出来たるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺(ことわざ)に云く、天は富貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与うるものなりと(働きに応じたお金しかやってこない)。されば前にも言える通り、人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
(『学問のすゝめ』 福澤諭吉著 より )
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福澤諭吉の学問之勧
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本編は余が読書の余暇随時に記すところにして、明治五年二月第一編を初として、同九年十一月第十七編をもって終り、発兌の全数、今日に至るまで凡そ七十万冊にして、そのうち初編は二十万冊に下らず。これに加うるに、前年は版権の法厳ならずして偽版の流行盛んなりしことなれば、その数もまた数十万なるべし。仮に初編の真偽版本を合して二十二万冊とすれば、これを日本の人口三千五百万に比例して、国民百六十名のうち一名は必ずこの書を読みたる者なり。古来稀有の発兌にして、またもって文学急進の大勢を見るに足るべし。書中所記の論説は、随時、急須の為にするところもあり、また遠く見るところもありて、怱々筆を下したるものなれば、毎編意味の甚だ近浅なるあらん、また迂闊なるが如きもあらん。今これを合して一本となし、一時合本を通読するときは、或いは前後の論脈相通ぜざるに似たるものあるを覚うべしと雖ども、少しく心を潜めてその文を外にしその意を玩味せば、論の主義においては決して違うなきを発明すべきのみ。発兌後すでに九年を経たり。先進の学者、苟も前の散本を見たるものは固よりこの合本を読むべきに非ず。合本はただ今後進歩の輩の為にするものなれば、いささか本編の履歴及びその体裁の事を記すこと斯の如し。
明治十三年七月三十日
福澤諭吉記
(『学問のすゝめ』 福澤諭吉著 より )
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