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悠塾の心得5

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美玉あり。

 子貢曰く、「斯に美玉あり。匵(とく)に韞(をさ)めて諸を蔵せんか。善賈を求めて諸を沽らんか。」
 
 子曰く、「之を沽らんかな。之を沽らんかな。我は賈を待つ者なり。」
 
(『論語』 子罕第九 より )
 
 子貢が言った。「ここに美しい玉があります。これは天下の大宝でありますが、櫃(ひつ)に入れてしまって置きましょうか。または善い価(果)を求めて売りましょうか。」
 孔子「大宝は私物にすべきものではない。売ろうよ。売ろうよ。わしは善い価(果)で買う人を待つ者である。」
 
 恐らく孔子の弟子たちが生活に行き詰ったときの話であろう。困った弟子たちのために、美しい玉を売って、生活の糧にしようと思ったのである。生活に困った人々がいる場合、どんなに財産を持っていても無意味なのである。そういう場合は、分け与えてやればいいのである。大宝より貨幣のほうが賤しいけれども、それが生活のためには必要なのである。必要であるからには、そういった財産を投げ打ってでも、生活に困った人々を救うべきなのである。現代は、欲張りが多いから、こういった美玉を私物にして楽しんでいる。貧者を見るのに、それを見ないようにしている。欲望を満たしてくれる人々を生かしておいて、困った人々を見捨てるのはなんとも忍びない世の中だと思うのだ。だから、国債の格付けが落ちて、国債を買う人が減っても、借金が増えなくて結構なことだと思う。なぜなら、我々は国家が借金しても何一つ恩恵があるわけではないからだ。だから、「之を売らんかな。」って感じになる。それを売って、本当に社会に還元してくれれば、世の中はよくなるだろう。ただし、売るためには税収入を増やさなければならないんだっけ・・・。
 
                                       霧山人

夫子は為けじ。

 冉有曰く、「夫子 衛の君を為(たす)くるか。」
 
子貢曰く、「諾、吾将に之を問はんとす。」 
 
入りて曰く、「伯夷叔斉は何人ぞや。」
 
曰く、「古の賢人なり。」
 
曰く、「怨みたりや。」
 
曰く、「仁を求めて仁を得たり。又何ぞ怨みん。」
 
出でて曰く、「夫子は為けじ。」
 
(『論語』 述而第七 より )
 
 冉有が子貢に「先生(孔子をさす)は現在の衛(出公輒)をお助けになりましょうか。」と言ったので、子貢は「さよう、私がお聞き申してみましょう。」と言って、孔子の室に入って孔子に面会して、子貢「伯夷叔斉はいかなる人物でございますか。孔子「古の賢人である。」
 伯夷叔斉の二人は孤竹という所の君の子である。父が遺言して弟の叔斉を立てることにしたが、父の死後、叔斉は兄の伯夷に譲った。伯夷は父の命であるといって遂に逃れ去った。叔斉もまた立たないで国を去ったから、国人は中の子を立てた。この二人は後に周の武王が君の殷の紂王を討つのを諌め、周の天下になってからは、周の粟を食うことを恥じて、首陽山に隠れて餓死したのである。子貢は衛君父子の国を争うのと伯夷叔斉の国を譲るのと全く相反しているから、伯夷叔斉のことを問うて孔子の意中を知ろうとし、孔子は伯夷叔斉のことを問うて孔子の意中を知ろうとし、孔子は伯夷叔斉の一は父の命を重んじ一は兄を重んじて共に国を逃れた行いを賢人であると評したのである。
 子貢は更に「二人は国を譲って後、心に怨み悔ゆることはありますまいか。」と問う。孔子「二人は国を譲って仁を行おうと求めて仁を行い得たのである。又何で怨み悔ゆることがあろう。」
 子貢はもし伯夷叔斉が国を譲った後心に怨み悔ゆることがあるならば、衛の君輒(ちょう)が父を拒むのもなお恕(じょ・ゆる)すべき所があると思ったけれども、孔子が前には伯夷叔斉を賢人であるといい、後に怨み悔いていないと言われたので、孔子の意中を悟って、孔子の室から退出して、冉有に向って「先生は衛の君をお助けにはなりますまい。」と言った。
 
 孔子の古の人物を論ずるのを見て、子貢が、衛君父子の相争う際に、孔子のいかに身を処するかを知ったことを述べたのである。
 
 衛の君は出公輒(しゅっこうちょう)という人である。これより先に、衛の霊公という君が、その世継ぎの蒯聵(かいかい)を追い出したので、霊公の薨去した後、国人は蒯聵の子の輒(ちょう)を立てて衛の君とした。これが出公輒である。時に晋の国では蒯聵を納れて衛の君としようとしたから、輒はこれを拒んで国へ入れまいとして父子相争うことになった。当時孔子は衛に居り、衛の人は蒯聵は父霊公から罪せられた人であるし、輒は霊公の嫡孫であるから、輒が君となるのが当然だと考えていたから冉有は孔子がいかに考えられるかを疑って、子貢に問うたのである。
 君子はそのいる国の大夫さえも誹らないから、ましてその君を誹るようなことはしない。故に子貢は直接に衛の君のことを問わないで、伯夷・叔斉のことを問うたのである。(朱子の説)
 
 この話を読んで、まず脳裏に浮かんだのは、日本神話の国譲りである。大国主命が高天原に国を譲ったのは、仁を行うためである。そこに怨みや悔いがあるわけがないのだ。全面戦争になれば、苦しむのは民草である。自らが身を退くことによって、多くの民草の命が救われたのならば、大国主は仁を得たことになるので、どうしてそこに恨みや悔いが残っているであろうか。同じように、大政奉還での政権返上や昭和天皇の人間宣言も仁を行おうとし仁を得たのである。国民は、それを理解しないから、天皇陛下がいまだに国家を欲し国民を支配しようと望んでいるなんでいう戯言をいうのだ。だから、天皇陛下を利用して地位と富を得ようと思う人たちがいるのであろうと考えるのだ。日本は国民国家であるのだ。
 国家を守り国民生活をよくしようとするのが政府の役割であり、国会でもあるのに、いまだに衛君父子のような国を争うようなことばかりしている。恥を知るべきであろう。それよりも、伯夷叔斉のように、国を去ってもらったほうが国民にとってどれほどましであろうかと思う。国民をそのような争いにまきこむくらいならば、古の賢人のように国を去ってもらったほうがましである。だから、「夫子は助けじ。」という。
 
                                     霧山人

文と謂ふなり。

 子貢問うて曰く、「孔文子は何を以て之を文と謂ふや。」
 
 子曰く、「敏にして学を好み、下問を恥ぢず、是を以て之を文と謂ふなり。」
 
(『論語』 公冶長第五 より )
 
 子貢「孔文子は、何故に文という諡(おくりな)をされたのですか。」
 
孔子「文子は生れつき覚(さと)りがよいけれども能く学を好み、高い地位にいながら己より下の者に問うことを恥じない。諡の法に『学を勤め問いを好むを文と為す』といっている。これは人の行い難い所である。孔文子が文という諡を得たのはこのためである。」
 
 孔子が子貢の問いに答えて孔文子が文という諡を得たわけを述べたのである。孔文子は衛の大夫で名を圉(ぎょ)という。
 
 生まれ覚(さと)りの好い人は学を好まず、位の高い者は下の者に物を問うことを恥じるのが常である。蘇東坡が言うには、「孔文子は太叔疾の妻を出させて、己の女を太叔疾に妻わせたけれども、太叔疾は初めの妻の娣に通じたので、文子は大いに怒って、これを攻めようとして、孔子を訪うた、孔子は対えないで車を命じて去った。太叔疾は宋の国へ出奔した。文子は先に太叔疾に妻わせようとした女を疾の弟の遺に妻わせた。文子はこのような人物であるのに文というりっぱな諡をされたのを疑って子貢が質問したのである。孔子は文子の善行をかくさず、このような善行があるから文という諡をされる資格があると言われたのである云々。」
 
 文というものは、質ではないようである。質とは、あんまりしゃべらないが言語動作が立派で、心の忠信誠実があることである。自分の本質以上の場合を文というから、文飾という。文を実行して身につけることによって、質になっていく。だから、剛毅木訥のような質が重要であり、仁に近いというのだろう。巧言令色の場合は文であり、質になっていないので仁が少ないというのだろう。
 
                               霧山人

文章と性と天道

 子貢曰く、夫子の文章は得て聞くべし。夫子の性と天道とを言ふは得て聞くべからず。
 
(『論語』 公冶長第五 より )
 
 子貢が言った。先生の文章は得ることができて聞くのである。
 
          先生の性と天道は得ることが出来ないけど聞くのである。
 
 子貢には、文章のことはわかったけれども、それが本来、何を表しているかはわからなかった。不可得而聞也。孔子は弟子に身をもって現すことが多かったが、それを見ても子貢はわからかなったのでいちいち聞いていたのであろう。料理では見て覚えろと言われる。似たようなものであろう。
 
                                    霧山人

爾の及ぶ所に非ず。

 子貢曰く、「我、人の諸を我に加ふるを欲せざるや、吾も亦諸を人に加ふること無きを欲す。」
 
 子曰く、「賜や、爾の及ぶ所に非ず。」
 
(『論語』 公冶長第五 より )
 
 子貢が自らその志す所を述べて言うには、「自分が他人からされることを好まないような事柄は、自分もまた他人にしないようにしたいと思います。」
 孔子がこれを聞いて言われるには、「賜(子貢の名)、これはまだ汝に出来ることではない。」
 
 子貢の志す所は恕(じょ)である。『論語』の衛霊公篇に子貢が「一言にして以て終身之を行ふべき者あるか」と孔子に問うた時、孔子が「其れ恕か、己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と言われたのを見ると、恕という徳は子貢の行い難いものであったとみえる。
 
 孔子の思いやりの言葉である。自分が他人からされることを好まない事柄ということは、自分がそのような嫌な事柄に遭遇したことがなければ、容易にわかることではない。子貢は、タフな人間ではなく、口達者な人間だったので、賢く、苦難に遭うことが滅多にないタイプの人間であろう。だから、人の痛みもわからないし、自分が他人からされると嫌なことなんかがわかるはずがない。だから、わざわざ苦難を経験させて酷使させることを避けさせ、さらに子貢の身の程を判らせるために言った言葉であろう。『論語』は、世の辛酸を嘗めた人たちに愛読される書物なので、子貢のような、経験ではなく、頭だけの知識の人間には、仁とか、恕とかわからないことであるということを教え戒めたのである。だから、苦労をあまりして欲しくないという心もあり、逆に苦労を知らなければ人の痛みはわからないということが交じり合ったような複雑なことになってくる。もし顔回が生きていれば、ガンジーのような人物になったであろう。
 
                                     霧山人

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