平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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道徳

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弱肉強食や自然淘汰を防いできた道徳

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 怒りと悲しみの感情の真ん中が誠意になる。

自分の意見が取り入れられなかったら、怒りまたは悲しみに走る。

それで本当にいいのだろうか。怒りは殺気を生み、悲しみは恨みを生ず。

怒る前に、悲しむ前に、誠意が足りなかったのではと省みる。

そうしたら、もっといい考えが浮かぶかもしれない。

大学の要が誠意であるというのは、そのような負の感情を克服しなければ、学業はおぼつかないというこ

とではないだろうかと思った。

精神修養の大事さが窺える閃きだった。

中庸 (てげてげ)

 「偏らないのを中といい、変わらないのを庸という。中は、天下の正しい道で、庸は、天下の定まった理である。」

 「てげてげとは、宮崎弁で『いー加減なこと』を言う。ほんのりといい加減な状態である。」

法律とか政治とかてげてげじゃいかんけど、経済はてげてげの精神の方がいい。

漱石山人の言葉を使えば、生活欲と道義欲の中庸を求めるのがよいとなる。

文明欲と自然欲の言葉でいっても、中庸を求めればいいとなる。

その分量の配合具合はわからないので、てげてげという言葉がいい。

「足るを知る」ということになる。飽食もてげてげがいいし、金銭欲も物欲もてげてげがいい。

貧乏もてげてげがいいし、勤勉さもてげてげがいい。何もかも、てげてげほどほどがいい。

てげてげの精神は、仁愛に近い。多くを求めず、少なきに与えるからだ。

義を言うと、高圧的強制的になって、仁愛が損なわれるから、これもてげてげがいい。

宮崎人の民族性を示せば、この「てげてげ」という言葉が挙げられる。

 一番最初に、必要な知識を習得する。

そして、大学の要である誠意を求める。

誠意とは、物事を正しく実行することである。

誠意を極めるとは、善行を行うことである。

そのためには、良い知識を集め実行することである。

そして、心を正しくしようとするのである。

心を正しくするとは、自然と良い行いができるようになることである。

そして、身を修めることである。

身を修めるとは、必要な技術を身につけることである。礼儀も含まれる。

これを自分についていえば、「明徳」といい、

これを他人についていえば、「民を親しむ」という。

もし、誠意に努めないで、ただ科学のみをするならば、支(取り止めがない)という。

もし、科学に努めないで、ただ誠意のみをするならば、虚(むなしい)という。

もし、正しい知識に基づかないで、ただ科学と誠意のみをするならば、妄(当てどもない)という。

正しい知識とは、道徳に対する知識である。

そして、家を仲良く和合させるのである。

そして、それから国を治めるのである。

そうして、初めて古の明徳が天下に明らかになるのである。

まだまだ未熟な解釈でありますね。

明徳

 天命により賦与された人の本性に根ざしていて、自然に霊妙で明らかなもの。

「性(さが)」を天から賦与された人間の性質、本性と解する点においては、云々、一体何を人間の本性と見るか。

 人間の肉体的・本能的な性質を、「性」ということもある。性の字義として、人間の肉体的・本能的な性質(デザイア)と道徳性の二義がある。

 孟子の性善説には、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心があり、仁・義・礼・智の性と重なるといわれる。

これが道徳性の「性」のことであり、明徳にある本性であろう。

 これが、明治の文豪・漱石山人の言葉によると、
「代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢て得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを近来急に膨脹した生活欲の高圧力が道義欲の崩壊を促したものと解釈していた。またこれをこれら新旧両欲の衝突と見傚していた。最後に、この生活欲の目醒しい発展を、欧州から押し寄せた海嘯と心得ていた。
 この二つの因数ファクターは、どこかで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧州の最強国と、財力において肩を較べる日の来るまでは、この平衡は日本において得られないものと代助は信じていた。そうして、かかる日は到底日本の上を照らさないものと諦めていた。」
 というものがでてくる。

 そして、そこに出てくる道義欲は、欧州の最強国と財力において肩をならべるようにならないと、生活欲との平衡が得られないとある。つまり、経済大国になった二十一世紀において、初めて道義欲―道徳感、道徳―を考え始めるということだ。つまり、衣食足りて、礼節を知るということだ。

 この厳しい世の中で生活欲を満たそうと必死に競争した結果、失業者、失業予備軍、ニート、フリーター、ボーナス減など、ますます厳しいことになっています。その厳しい世の中を何とか緩和したいと思う気持ちは、およそ道義欲に他ならないと思います。つまり、世の中がよくなってほしいという気持ちであります。

世の中がよくなってほしいと願う気持ちが、世の中をよくするためにはどのような仕事をすればいいのかということになって、一体自分の能力で何ができるかを考えるようになる。これが明徳ではないか。つまり、プロテスタントの天職に近い意味に捉えることもできる。



 

 仁がまだ暗くなっていないことを示すのは、

欲に動かされず、私心に覆われていないときだ。

 つまり、則天去私の域に達していることだ。

 だから、貧乏なのは、仁がまだ暗くなっていない証拠だ。

 だから、金持ちなのは、仁がすでに暗くなっている証拠だ。

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