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道徳

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弱肉強食や自然淘汰を防いできた道徳

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儒・仏の調和

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「十善・五戒は世にいう仁・義などの五常とまったく同じものである。聖人の説く教えは同じではないが

、その善を行うことでは同じであり、天下の人を教え導くのは善だけである。仏の教えが善でないわけが

ない。そういうと、あなたがたはきまってこれを排斥するが、わたしはあなたがたがおおやけのことをお

もい、自分一個の誇りのためにしないようであって欲しい、と思う。聖人の教えは善にほかならないので

ある。いったい聖人の道は正にほかならないのであって、このことはかならずしも僧にかぎらないし、儒

者にかぎらない。僧や儒者は聖人の道をたずねているのである。むかし聖人があって、仏といい、老子

(老)といい、孔子(儒)といったが、その心は同一であって、その道のたずね方が異なるのである。こ

ここで、同一なのは、これらがみな、世間の人が善を行うことを欲している点であり、異なるのは、さま

ざまな学派に分かれて、それぞれが教えを説いていることである。したがって、天下に儒教がなくてもな

らないし、道教がなくてもならないし、仏教がなくてもならない。一つでも欠けるとき、天下の善の道を

一つ損することになり、善の道を一つ損するときは、天下の悪がさらに増大するようになる。わたしの考

えでは、三教こそは互いに助け合って、世の中を正すものであると思う。ただしともに、人智でははかり

知ることのできない自然の理法(冥教自然)にかかわっていて、ひとにはたやすく見ることはできな

い。」              富永仲基 『出定後語』

 江戸時代にやっと三教を大和の精神で混淆させて、心の世界を確立していた日本人だったが、明治維新

後の廃仏希釈により神仏習合が破壊され、神社合祀令によって、氏神を祀るということが滅茶苦茶になっ

た。そして、国家神道なる靖国が強化された。江戸に、神仏と儒学は混淆したが、時が浅く、用意に分離

したが、また、国学の派生により、神儒の混淆は進まず、分離されていった。これは、洋学の影響、特に

わけ隔てて考える、理学(ことわりの学)が盛んになったのだ。これは、科学と呼ばれるようになった。

だんだんと日本人の心の世界が分断されていく。明治になって、それは顕著になり、漱石の時代に死の決

意へと向かう。吾輩は、日本人の心の世界というものの復元を求めている。科学的思考を日本人の心の世

界に踏み込ませた時点で、悪意になっていったのだ。これは、別に西洋文明が悪かったわけではない。科

学の本質が、人間の心の世界に適合しなかったのだ。だから、キリスト教世界で、第一次世界大戦がおこ

ったのだ。あまりにも、機械的で人間的ではない世界を科学技術がつくってしまった。しかし、物事の究

明が進んでしまえば、逆にそれを踏まえれば、人間の心の世界も容認することが可能になる。それが、

「もののあはれ」を知るということである。

                                   霧山人

吉野作造5

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 政治的民本主義の基底にあたるものは、人格主義としての民本主義である。吉野のいう「人格主義」と

はカント的意味の人格主義であるが、現代日本においては、一般的な人格に対する儒教・仏教的な人格主

義であってもよろしいでしょう。まあ、吉野の「人格主義」は、すなわち個人を目的価値としてこれに絶

対的尊厳を与えるものである。今の憲法における「基本的人権の尊重」と同じ意味合いだろうか。このよ

うな意味における「人格主義」こそ「デモクラシーの本質」であり、政治的民本主義の淵源もここにあ

る。吉野作造の民本主義は、基督教的精神が強すぎたために、一般の日本人に対して、改宗の意味合いが

強くなったために、一般に受け入れがたいものであったろう。神道、仏教や儒教の道徳が一般道徳であっ

た庶民一般にとって、民本主義というものの本質が普遍性を持たずに、基督教的精神にのみ束縛されてい

た故に、当時の大正デモクラシーは根付かなかったのだった。現憲法によれば、信仰の自由が保障されて

いる。つまり、信仰を基にした人格主義というもの、が尊重されねばならないという事である。現在、人

格というものより、知性というものを重んじる傾向があるが、知性があっても、人格者ではないがために

、犯罪をおかして、道を外れるものがおおくなっている。「デモクラシーの本質」が「知性主義」ではな

く、「人格主義」であるところが注目すべき事柄である。

 吾が日本はもともと基督教国ではなかったが、デモクラシーの発祥した基督教国以外でも、デモクラシ

ーは根付くのであろうかということが昭和中期から進んでいた。そして、昭和の末期に挫折したように見

える。国民総中流意識というものは、「基本的人権の尊重」という意味で、目的を達したものだった。し

かし、突然、マスコミかどっかから、待ったがかかり、人権擁護とともに、暗転していったようだ。

 日本の民主主義は、日本の伝統的精神の系譜から発展しなければならないところも有しており、基督教

精神を接木しただけで、全体に根付くものではなかった。これはイスラム教国の民主主義においても、同

じ事であろう。民主主義が宗教を超えた普遍的な道であること、これは日本において示されつつある。

 また、精神的貴族主義という言葉がでてくるが、これは「武士は食わねど高楊枝」というふうに解釈し

た。物質的貴族主義とは、あの気味悪いほどの貴族趣味のことであろう。精神的であるからして、どうし

ても、質実剛健なサムライの姿を想像してしまうのだ。しかし、「マロは…」というような口調が頭から

離れない。

「選挙とは将来に期待せらるべき自己の発達せる姿態を他の人格に中に求むることである」

                         (「自由主義の根拠」)

 代議士の皆様方は、そのような期待と人格とを求められておるのである。国民の理想像である。

国民は政治家に何を求めているかといえば、政治的判断力よりも道義的判断力を求めている。小村寿太郎

は、そういう意味で、政治的判断よりも道義的判断を下した政治家であったといえよう。道義的判断力か

らいえば、やはり日本人の国民性

の現れと言わねばなるまい。この国民の精神性は、いかにマスコミといえども、影響を加えられない根っ

この部分であったろう。

                                霧山人

http://blog.livedoor.jp/musanjin3/

道徳と同和

道徳の本質が、人類普遍的であることは、人類が社会性動物であることを示している。日本人は、和を重んじる国民性というが、それはある意味、仲間内だけの排他的な和に過ぎない。どの民族でも、キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、イスラム教徒も、異民族に対しては、結構排他的ではある。まあ、そういう面では、日本人だけをわるくいうことはできないのだ。排他的であるということは、視野が狭いということで、ムラ社会とか、自己中心的とか、いうことができる。国際的な視線とは、どの民族も同じ人間であるという思想からはじまる。これは、差別の問題の解決からは、同和ということになる。道徳が人類普遍であり、人間同士をつなぐために必要なものならば、同和をつくりだすものということになる。そして、道徳の遵守と平和は、ルールを守ることでつながってくる。いろいろな民族には、いろいろな言葉があり、いろいろな書物があるが、その文字や言葉の奥にある血脈のようなものを見通さねばならない。つまり、普遍性という血脈である。その文字や言葉の表面だけの違いにとらわれてはならないのだ。その言葉や文字をそのまま解するところから、実際の人付き合いがまずくなるというケースが多い。やはり、臨機応変に発想できることが必要である。そのためには、経験の積み重ねが重要になってくる。身近な経験の積み重ねが、人を育ててくれるのだ。協調から競争への流れの中で、いかにして、道徳という最低限の普遍性を維持するかということが課題になってくるのだが、協調という平等性を破壊せずに、競争という個性の尊重を発揮させるかは、社会に反映してくるであろう。個性を尊重し合うことが、協調性である時代を脱して、個性を尊重することが、競争性である時代になったのだろう。切磋琢磨の時代となったといえる。だが、段階として、国際的強者と田舎的弱者の直接対決は、当然国際的強者の勝利に行き着くことは当然の理であり、この論理は強者必勝の論理であると言うことも忘れてはならない。しかし、たたきあげで、田舎的強者になるものも現れてくれば、面白い競走社会であるかもしれない。まあ、国際協調という言葉があるのならば、田舎協調もあってもよい。国際間では協調があるのに田舎では協調はいけないとなれば、何らかの歪みをいうことができる。国際間の談合は許されて、政治での談合も許される。それなのになぜ、田舎での談合は駄目なのという疑問に発展せざるを得ない。つまり、強者のみが談合が許されるのかということになる。談合が駄目ならば、ある意味国際会議の談合もなしじゃなかろうか。でもまあ、道徳が保たれるならば、弱者をいたわる仁徳が発揮されて、強者が弱者を救済するという流れが生じてくるにちがいない。それが人間性であると思う。その人間性は道徳とか同和とか、国際的強者に与えられた資格みたいなもので、これがなければ、弱肉強食の獣道にしかすぎない世界をつくることになる。
                                    霧山人

個人と道徳

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道徳が個人にとって、堅苦しいものであるということは、吾輩でも感じます。しかし、道徳というものを排除しつくすということは避けなければなりません。つまり、最低限のルールなのです。自由を謳歌してても、その自由を謳歌するためには、周りの生活環境が整っていなければ、心地よい自由を得ることはできません。そこに、道徳が関わってくるのです。自由を得れば得るほど、孤独に陥っていきます。それは自分中心という罠に落ち込むからです。いろいろな事件がありました。自由を追求しすぎて、法律を通り越していった人間がたくさんいました。何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。自由も例外ではありませんでした。犯罪の自由は、戦争につながります。つまり、行過ぎた自由は恐ろしいものです。心地良い自由を規律するのが、道徳なのです。道を踏み外して、始めて気づく、真実でしょう。孤独に苛まれて、その果てに道徳が見えてくるのです。人と人とのあり方、それが道徳によって、わかりやすく、説かれています。これほど、簡単でわかりやすい文学はありません。すべて、実行できます。
                                     霧山人

学問の道

迷いが遠くかき消されて言った。なぜなら、どうにもならない現実は、天命であるからだ。というのは、天地の間に暮らさねばならない人間の基本の「実」からは、どうあがいても逃れられないからだ。天命を知るということは、知ることを重ねることだ。しることは、処世の経験を積むことである。昔、学問とは覚えるというよりも、実行することにあった。実行できないものは学問とはいわなかったのだ。実行できない学問とは、役に立たない。結局、学校で学んだ知識は実行できないものが大多数だ。ほとんどが大学受験とか、入社試験とかいった科挙制度に必要な知識をおぼえるだけである。そこからの脱却が今までの思索の旅において、得られたものであったのだ。結局、江戸時代の古学に行き着く。実学の精神を生んだ、いかに生きるべきかを工夫することということだ。さまざまな情報・知識があふれる中で、人間に最も必要なことは何かということで、食に携わることになった。人間が、世界を、天を知るもっとも身近なものごとは本草であった。そういうことから、生物学を学んだのかもしれない。科学は客観的事実を追い求めるが過ぎたるが故に、人間的本質から逸脱した領域に迷い込んでしまった。その迷い込んだ果てが、人間の住み心地の悪い社会を形成するにいたった。人間の住み心地とは、主観によって守られている。主観から離れすぎた客観性とは、人間の心が理解して実行に移すまでに、戸惑いと懐疑を生み出す。そうなれば、真の心から発せない行動が起きるわけで、人間の自発性の失われた行動が起きてしまう。そういうところから、事故や事件がおきることになる。客観的事実を追い求めるのも大事だが、やはり人間の心が鍛えられなければ、何事もしっかりとした実行を移すことはできないのだ。心身を鍛えてこそ、科学の恩恵を人間が主体になって利用できるのである。文明が発達すれば、やはり、それを使う人間がしっかりしていなければならない。そのための学問である。学問は実際に使えなければ意味がない。現代の形式的に整備された学問だけではだめだ。生活に沿った、「日用の学」に転じていかねばならない。それが学問の道というものである。ある喜びがあるためにやめられないという学問への自己集中から、さまざまなものへの依頼心の訂正を生み出し、自己の確立を目指すのである。
                             中村 為彦

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