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やっぱり、吾輩は前世がイタリア人(厳密にはローマ人)だっただけに、洋食の方が作りいい。料理を最初に教えてくれたのも、洋食をしてたそうだ。そういえば、病気のカルミアさんは元気になったかな。やっぱり、和食なんかは修行が大変で、下積みをできるほど、若くないと思い知った。だから、少なくとも、家では料理をつくることにした。ポトフといえば、オーソドックスな西洋の家庭料理で、手軽に何でも入れてつくれる。肉と野菜を入れて煮る鍋の原型だ。カレーやシチューなんかも、これの亜流だろう。 |
食育
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栗金団。黄色は黄金財産。豊かな富を祈願する。商売繁盛への思い。 |
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東洋文明は、いわゆる主観的である。陰陽五行説は、化学の勉強をしない一般人向けの説明納得法としての説であったことがわかった。サイエンスの分野から陰陽五行説を理解するまで、十年を要した。そして、その思考法は、上へ上へというものではなく、下へ下へという思いやりから生まれた説であった。難解な事柄を、陰と陽、木水金火土で説明しようとしたのは、わかりにくいものを恐れる人々を安心させる方便にすぎなかった。実際の治療法は、証といって、患者自身の症状などを細かに探る経験論的な手法であり、現実を重んずるということにおいては着眼点は現在の科学と変わりがなかった。言葉よりも事実を重んじていたのだった。陰陽というものは、化学において、陰が個体・液体で、エネルギーが低い状態である。温度というものは、水の状態を基準にしてつけられた度数にすぎない。陽というものは、透き通っていてエネルギーが高い気体の状態だ。人間の感覚を基準にしたとき、陰陽の概念が見えてくる。東洋人は、気という言葉を用いて、エネルギーの存在を感知していたのだ。それを西洋人は温度計を発明して、数値化し実証したに過ぎない。それは、さておき、五行説はいかにも文学的にすぎるので、無視しておくが、エネルギーを人間が感覚したときに、それを気と呼んだ。氷から発する冷たい感覚を冷気と呼んだり、沸騰した水蒸気を熱気と呼んだり、とにかくこれらは人間の感覚を中心とした思想であったのだ。人間には五感というものがあって、解剖学的にもその機能は解明されている。だが、その機能による連続性は脳による判断によってもたらされるのだった。それを追究してみると、個人個人の判断というものは、人体が感知する主観にたよるしかない。主観に頼ると、個人個人の主張の食い違いがあって、協調や争いになりがちである。そして、信用とかいうことによって、大家とか力のある者の主張が正しいとされるようになった。間違いであっても、正しくなってしまう強弱関係が社会を包むと今の社会のようにどうしようもなくなる。正しいものを正しいと見る眼をもつために、我々は客観的な視点を手に入れたはずだった。それをかつて本物の科学といった。誰が行なっても、同じ現象になる。これが平等という思想に通じていた。 |
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自由奔放で、自然に任せるのが霧山人のやり方。つまり、在り合わせのもので作る家庭料理の素質がある。休みの日に、何気なく料理を作りたくなった。プロの世界では未熟者。主婦の世界では工夫者。そういうわけで、工夫に工夫を重ねるのである。どんな事がおきるか分らない。 |
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仕事が長引くので、植木が枯れ気味だ。さっそく肥料と水をやった。庭や畑の手入れをして、魚の勉強 |



