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田舎の料理というものは、野味というものがある。これは、洗練された味を好む現代人にはわからないかもしれない。だが、その野味というものは、その風土に特有なものを含んでいて、その風土をイメージさせる要素を多く持っている。田舎がどうしても都会になっていかないのは、その土地の気風があって、食材にしても、人柄にしても、その気風に染まってしまうからである。もし、その気風を拭い去らせようとしたら、その土地の地勢をすべて破壊しつくさなければならないだろう。要するに、この霧山ならば、その山並みすべてを根こそぎ平らにせねばなるまい。そのようなことは不可能であるからして、その土地に合った生き方をする必要がある。だから、地方には地方の郷土料理というものが出来上がって行くのだ。その味を美味しいか、美味しくないかで判断するのは、愚かなことである。なぜならば、その味というものは、その土地の野味から出来て居るものであって、その食材を通して、その土地柄を理解することの方が、美味しさよりも重要だといえるからだ。その味から、風土や歴史を知ることができるものである。味の世界は、恐ろしく深い。その風土を野味として、知ることを心がけたい。 |
食育
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去年はいったいなんだったのだろうか、と戸惑う。しかし、やっと趣味の料理がつくることができた。 |
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霧山人の料理は、主婦レベルだというのはご尤もだ。主婦でも、舌のよい人は料理上手である。吾輩も |
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器用貧乏、これが霧山人にあてはまる言葉だ。経済的に好転しないために、料理もあまり作ることができない。さらに、努力が報われないごとに、その能力が増えていってしまうということもある。何でも、そこそこやり遂げると、周囲がそれは向いていないといい始めて、オジャンになってしまう。これは、困った現象である。 |
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温泉に行って来たが、なかなか疲れが染み付いていてとれないので、料理の出番だと思って、作ってみ |



