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頭ばかり使うと、筋肉がつかない。頭ばかり使うと、脳でブドウ糖やアミノ酸を使いすぎるので、腕や足や胸の筋肉がつかない。食べても、食べても、どこに消えるのだろうかと思う。脳の広大なる記憶群を保持しているだけで、ブドウ糖やアミノ酸を消費し続けているのかもしれない。だから、ガリ勉というのかもしれない。筋肉のタンパク質は、アクチンとミオシンのフィラメントからなるが、それらは多数のアミノ酸の構造物でできている。もし、体内のブドウ糖やアミノ酸のようなエネルギーがなくなったのならば、筋肉のタンパク質は分解されて、アミノ酸になり、エネルギーとして消費されることになる。神経伝達物質もアミノ酸からもたらされる。つまり、筋肉質と神経質とは対称的な性格だといえる。職人というものは、両方の性格を有していなければならない。筋肉がなければ、力を込められないし、神経が敏感でないと、細かい作業が苦手となる。そういうわけで、職人技にはその両者が求められる。職人が無口なのは、無駄な神経を使わないためかもしれない。口からやる気が洩れるようだ。吾輩は過敏すぎる神経を筋肉で取り囲まねばならない段階にいる。そのために、今でも修行を続けている。チョウザメの肉のように、少しずつしか筋肉がつかない。チョウザメと同じように消化器が弱いのだろうか。同じ悩みを抱えている。吾輩が太る手立てを考え付いたならば、チョウザメも太ることができるかもしれない。 |
科学
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環境というものにも、いろいろな場所や気候がある。教科書で、日本の気候は温暖湿潤気候と習い、 |
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疲れたときに、栄養ドリンクだけ飲むのは禁物である。飲む前に、ちゃんとご飯やパンなどの炭水化物を食べるべきである。栄養ドリンクにブドウ糖溶液が入っている場合はいいけれども、入っていない場合は、次の日あたりにがくりと疲労がやってくる。そして、体重が減るだろう。それは体内のエネルギー源を消耗してしまうためで、あまり元気は長続きしないのだ。だから、ちゃんと食事を摂ってから、栄養ドリンクは飲むべきなのである。栄養ドリンクばかり飲んでいると、糖尿病になりやすくなる。まあ、ちゃんとしたデータは取れないから、確実なことではないかもしれないが、日頃の経験でそういう感じかなと思うのだった。やっぱり、毎日のバランスのとれた食事というものは、基本中の基本だと思う。もう、誰かが調べているはずだと思うけど。 |
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去年からせっせと食材の成分を調べておいた。薬物と食物の違いは、効能の即効性と副作用の有無である。薬物は、その用量を守らないと副作用がでることがあるので、できるだけ食材から栄養素の成分を摂取する事が望ましい。過度の疲労などには、栄養剤などの医薬外品等も必要だが、軽度の場合、食物による栄養の摂取で十分まかなえるだろう。今は、さまざまなサプリメントが普及して、食材の効能が見落とされがちだが、食事を十分に取らないで、サプリメントだけに頼るならば、風邪をひきやすくなったりと、基礎体力を落とすことになりかねないので注意したい。とにかく、食生活をきちんとすること、それにサプリメントで補強するならば、鬼に金棒であることは間違いない。健康を維持できるばかりか、仕事の頑張りが続くようになる。アスリートにもお勧めである。 |
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数学というものは、科学の基礎力とされている。実際に、数学の一次式、二次式を解いてみても、これは人間が四次元時空を簡単に表現するに至るために考えだしてきたものとわかる。三角形や円を表す公式はたくさんあって、三次式で球というものを表現することに成功した。球体を言語でなく、座標軸を作って、数式で表したことに驚嘆するが、しかし三次式では止まっている物質しか表現できないという欠点があった。そこで、ベクトルの概念がでてきた。物理学の力学では、動くということを念頭において、形成して来たようなのだ。三次元の縦・横・高さに加え、時間の概念が入ってきたときに、学者たちは身動きできなくなった。微分方程式を駆使して、動いている時空を瞬間でとらえようというふうに考え出したまではよかったが、アインシュタインが光の速度という時間との関係を言い出したときに、古典力学の世界は終ってしまったのだった。三次元までは静止しているが、四次元の場合動くということを考えねばならなくなった。物が動くということは、人間の認識によって判断されるわけであった。このように、数字で世界を理解しようとしてきたのだが、経済というものも、この流れにのってできあがったのだった。つまり、正の数が黒字を表し、負の数を赤字と称したのだった。これを科学の目で見ると、その会社の現象における数値化にしか見えない。そこに生殺与奪の権限は実際にはあろうはずもない。経済から、物理学へと目を戻すと、物質というものは原子や電子によって造られていると習うだろう。しかし、この原子の存在を数値で表そうとすると非常に厄介なことに巻き込まれてしまうのだった。それは、その原子は同じ所に留まっていないということなのだ。だから、その座標軸を定めて、原子の動きを数値で表そうとしても、的確にポイントを打てない。そこで、確率論に入っていったようだ。確率の雲という。そのような四次元時空の動いている事象を数値で表そうとしたのが、量子力学だったろうが、物事の現象が複雑になればなるほど、数式は難しくなるばかりで、理解不能に陥っていくという難点がでてきた。万人にわかりやすいというのが科学であったが、難しくなれば実用化から遠ざかり、一般的でなくなる。数字で物事を表すよりも、言葉を使ったほうが楽である。動いている事象を「泳ぐ」とか「飛ぶ」とか示したほうが、よりわかりやすかった。そこで、数字で現象を表現する事をやめてしまったのだろう。数字の優位性が、日本を滅ぼすのも時間の問題だろう。 |



