平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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小説・霧山幻想2

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冬月と夕子は結婚することができるのか?







ゆっくりと二十歳の生涯の恋人・荒木田未希の存在が明かされていく。


未婚化や少子化から解放されるような心情をつくりあげたい。

「山人会」に進入して、裏で操る謎の集団“Carmilla”の脅威が訪れた…。

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 杉原夕子は、高速レストランで、昼食をとっている。須藤さんというパートのおばちゃんが隣に座った。須藤さんは、子供の学費をかせぐために、レストランで働いている。その疲れた頬が動いて、夕子に語りかける。
 「もうすぐ、結婚するんだってね。」
 夕子は、箸を止め、須藤さんの方を見た。
 「結婚か…。」
 そこに、意味深なため息が訪れた。
 「どういう意味?」
夕子は、答えを求めた。須藤さんは、結婚の現実について、話し始めた。
 「恋愛はいい。欲しいものを買ってもらって、美味しいものを食べさせてもらう。そのときにゃ、いいもんだよ。結婚して、新婚夫婦となる。そして、輝かしく新しい生活を始める。ここもいい。ここまで、楽をしていたんなら、ここから先が苦労するよ。」
 「……。」
 須藤のおばちゃんは、女の苦労を滲ませ、先を続けた。
「問題は、子供が生まれてからさ。恋愛は苦労していたほうがいいよ…。あたしも昔はもてたんよ。そして、今の旦那と結ばれたんだけど、そんときゃ、恋愛に疲れていたねぇ。いろいろと、買ってくれたりする男はたくさんいたよ。それでも、なんだか、満たされないもんが胸の奥にあったね。そのとき、あの人が現れたのさ。なんだか、懐かしくて、心が休まった。それで、今の人に決めた。やっぱり、同じような生活スタイルを幼い頃にしていた人の方が、家庭は長続きするんだろうね…。」
 夕子は、心配になって、問いかけた。
 「愛のない結婚って、長続きしないものなの。」
 「愛は耐えることだよ。耐える事から、優しさが生まれる。その優しさこそが、愛だと思うね。そして、それをのりこえなきゃ、到底、子供を育てるなんてことはできやしないよ。うちの旦那なんて、あたしがどれだけこき使ったかわかんないよ。それでもなお、続いているんだ。でも、それで父親になることができたんじゃないかな。人を養うということは、なかなかのことじゃないよ。ブームとか、勢いで結婚しても、おそらく別れが待っているさ。本当の愛は、どんなことがあっても切れないはずだよ。」
 夕子には、その話は重たく、感じていた。
 それでも、結納後の冬月との関係を考えると、まだ苦しい思いばかりさせられていることを思った。それでも、別れを考えようとしないところを見ると大丈夫かなと思った。

 親、親戚、墓参り、仕来り、そういうしがらみから抜けようともがいても、そのような関連性からはぬけられない。不思議な因縁がある。でも、生活様式が変わり、伝統的な男尊女卑の家長制は崩れた。そして、神話の世界のような母系社会がもてはやされた。そして、夫が仕事と家事を兼務しなければならない女尊男卑のところまで転がり落ちていった。そして、家庭生活を築くとなると、男の方が拒否するようになる。そこまで、妻に対して施してやらねばならないのかと、男が消耗品にならざるをえない。だから、女は本当に愛する男と結婚しないようになる。愛する男を傷つけたくないし、苦しめたくないからだ。それが、バブル時代の恋愛観、結婚観ということになる。だから、いろいろな現代の家庭というものは、乱れてしまっている。恋というものは傷つけることから始まる。そして、男女がそれを癒し合うというところから、愛が始まる。そして、家庭生活へと誘われる。それが、カネや物を欲しいということで、恋愛や結婚をしてしまうと、服従関係になる。そしたら、子供は育てられない。
 私は、M観光ホテルのロビーで、ある構想を練っている。それは、バブル崩壊後の家庭生活のあり方について、それは生き物としての人間のカップルのあり方が根本にある。それは、冬月が少しばかり話していて、それを気に入ったからであった。そうだな、我等、人間も動物だったと。理性が生き物であることを拒否したために、男女が結婚しなくなってしまったらしい。自然では、理性で結婚するのではないという結論に達した。長続きする結婚は、多分本能的なものだろう。ペンギンとか、別れた相方を三ヵ月後にでも見つけるらしい。子育ては、カラスでもする。そういうことから、結婚というものはいかにも生き物の仕組みだといえるのではないか。人間の主観でいけば、不思議だとか、神秘的だとかいうけど、客観的にいえば、つがいという現象があるということだ。だから、冬月はあれこれ理窟づけて、結婚しようとしないようだ。冬月にとって、結婚すらも実験なのだ。しかし、研究を捨てるというのだから、そうとうな覚悟だと思う。研究所を捨てたくらいだ。つまり、愛の証明に入った。合理主義者・冬月は結婚というものを生物学的に認識しようとしていたんだよ。味気ないなあ。別パターンでは、愛が芽生えて、その後に経済力をつけるということもある。私としては、男女カップルによる協調路線的サクセスストーリーがいい。まあ、芸のためなら女房を泣かすじゃなくて、家庭をつくるために男女が協力していくというのがいいよって、冬月に助言はしておいたけどね。小説を書くのは、愛の手紙だからと、作家の心情は書かざるを得ない。でも、本音は、それで食べている私としては、生活のために書くのだとそれを秘している。食えなければ、趣味と言わざるを得ない。そして、小説で食えないならば、別の仕事をするまでである。そうでなければ、私は冬月のように、結婚できないだろうな。ま、三文作家にはならないようにしているよ。いろいろと危ない生活をして、話のネタにして、破滅するような性格じゃない。今、それなりに売れているから、書いているだけで、売れなくなったら、転職するしかないですね。私はそれだけシビアな人だよ。民主主義のこの国では、結婚ということが、男尊女卑とか、女尊男卑とか、あまりにも片寄った夫婦関係に陥りやすい。しかし、男女の互いを尊重するということが生活になれば、夫婦間の信頼関係というものが必要となってくる。信頼関係というものは、互いの危機において助け合うということから、つくられてくる。夫婦の絆が強くなるということだ。はあ、愛の証明ね。

                                    つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。

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 夕子は、高速レストランの仕事の帰りに、冬月の春陽草庵に立ち寄った。冬月が、山人会の料理の競合に出品するメニューを考えていると思ったからだ。しかし、春陽草庵で留守番をしている古城啓介に聞いても、知らないというばかりであった。夕子は、もしやと思い、今まで帰って来た道をさかのぼり、やがて冬月の進化研究所に急いでやってきた。鍵がかかっているはずのドアが開いていた。そして、薄暗い部屋の奥底には、真っ赤に血まみれになった冬月の姿を見かけた。冬月は、チョウザメの腹を割いては、卵を調べていたのだった。そして、あちこちに内臓の積み上がった汚物が散らばっていた。夕子は叫んでいた。いやーーー。夕子は、ポケットに忍ばせていたPower Essence No.8 ROSEと書かれた薔薇の香水のビンを冬月の眼鏡に向かって投げつけた。砕ける眼鏡のレンズと香水のビンが散乱する。辺りには、血の臭いを押しのけるように、薔薇の香りが広がっていった。夕子は、何も伝えることはできなかった。ただ、その血まみれの白衣を見るのが、もう限界だったのだ。チョウザメの稚魚が台風で流れて以来、魚の研究はしないように約束していたのに。それでも、こっそりと夜遅く、働いている私を尻目に研究を続けていたなんて…。夕子は、茫然とした。これで終りかもしれない。
 それから、何日かして、夕子の働いている高速レストランに、小ざっぱりとした冬月がやってきた。冬月は、ひたすら夕子に謝るしかなかった。
 「すまない。研究室は閉鎖する。もう、キャビア養殖なんていう無謀な賭けはしない。もう、生命の探求もあきらめる。ただ、今までの学問的な蓄積は未来の子供たちのために残すことにしたい。もし、子供が生まれたら、お医者さんにしたいんだ。」
 冬月のあまりにも意外な言葉に愕然としたのは、夕子のほうだった。何もいうことができなかった。
「もう、内臓をみるのも、血にまみれるのも嫌になった。どんどん、君が離れていくようで、そして、自分が狂っていくようで、恐怖感に苛まれ始めていたんだ。あの薔薇の香りで、邪悪の魂が消えていったのかもしれない。もう、小生は料理人として、春陽草庵で、料理をつくることにするよ。どういった料理にするかは、家に帰ってゆっくりとはなすことにするよ。」
 冬月の変貌ぶりは、目を見張るようだった。つまり、やっと結婚を意識しているようだ。過去の恋人たちの亡霊が住み、臓物の腐りたる蛆わくところ、黄泉の国を還り見ることなく、黄泉比良坂を駆け降りて、辿り着きたる竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原にて禊ぎ祓いをしてきたという。冬月は、阿波岐原のみそぎが池で手を洗ってきたようだ。そして、過去の恋愛の未練や傷跡を池の水で祓い清めることができるという話をした。そして、禊ぎ祓いをした後、結婚すると、子供に恵まれるというのだった。これは、イザナギノミコトが顔を洗うことで、三人の子供を授かったという神話をもじったジンクスらしい。同時に、生き物を殺めた手を洗い清めるのだった。命を奪うのではなく、産屋を立てようと。キャビアや生物学を諦めることで、博多の女を忘れ、亜季との思い出も終止符を打った。博多の女は12年、亜季との別離は二年の悲しみに耐えてきた。それを拭い去る決意があった。これを乗り切ることなしに、結婚に踏み切ることはできない。この不退転の決意は、夕子に通じるのだろうか。とにかく、冬月はキャビアの研究を辞めたのだった。
 冬月の研究の指針は、もっと実用的なことに移った。食べて治し、健康になる料理づくりを生計の糧にすることにしたのだった。不老不死の料理を研究していたことをもとに、春陽草庵において、健康料理屋を始めることにした。これをもとにして、現実的な家庭を築く計画を立てていた。春陽草庵の中の冬月研究室にいる古城啓介には、前の進化研究所へと移ってもらうことにした。もちろん、清潔に消毒している。そして、春陽草庵はもっと料理屋としての風采をととのえることにした。さて、料理人としての冬月は、純和風の料理を作ろうとはしなかった。雲霧館で、お菓子を作っていたときのように自由な作風があった。それに、健康になるための食材を考慮した料理を作った。グローバルな視点で、健康にいい料理が考えられ始めた。こういう料理になったのは、古風な冬月を変えてしまった夕子のセンスによるものである。夕子がいなければ、冬月は芸術家としても、料理人としても、とことんダメになってしまうということを思い知らされていた。そして、夕子に見放されるたびに、夕子なしではもうどうすることもできない自分に気が付いていた。落ちていってしまうのだ。学者肌の冬月を支えることのできる女性は、夕子以外に考えられない。そして、冬月を役立てるのは、夕子の役目であるのだった。

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※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。

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 杉原夕子は、秋風の中、物思いに耽っていた。冬月と一緒になる道を選んだものの、現実では重い扉を開いたようだった。夕子の過去、これが結納を済ませた後の冬月との間に残る重い扉だった。夕子と冬月の前に立ちはだかった重い扉が一年の空白を生んでいた。その空白の原因は、冬月が「夢のために別れよう」と言った数ある理由のひとつだった。冬月の心の中には、亜季への未練もあったが、やはり大きかったのが、その当時まで、夕子がつきあっていた男性がいたことだった。その男性とは、実はM交通の真坂野社長のご子息であったのだ。だから、私と東国原綾が仲人になって、結納まで進めざるを得なかったのだ。綾は夕子から冬月への想いを告白されたとき、家柄もよく財力もあり、申し分のない相手を断ることは勿体無いと思った。でも、一生、寄り添っていられるかしらという夕子の言葉を聞いたとき、真坂野社長のご子息との結婚をあきらめることに賛同したのだった。本当に好きで結婚をするということは当然のことと思える。でも、社会においては生活をすることができなければ結婚は成立しない。原始の時代ならば、好き同士ならば、親の反対がなければ、自然に結婚するにいたったであろう。しかし、世の中が複雑になり部落が村になり、村が町になり、町が都市になってくれば、男女の仲も複雑になってくる。その複雑に絡んだ赤い糸は、打算のときもあれば、純愛のときもあった。こういった二つの駆け引きが男女の仲で揺れ動き、くっついては離れ、離れてはくっつくという現象を生み出している。簡単に離婚届を出せる世の中では、結婚という儀式はそれほど重要ではなくなった。でも、盛大に経費を使うからこそ、簡単に離婚できないという事実もある。もし、愛のない結婚に気付いた場合、どんなに衣服や宝石で着飾ったところ、その心の寂しさを埋められない。また、その寂しさに耐えることができるだろうか。夕子は、その寂しさに耐えられると思っていた。でも、引き寄せられる運命の引力は強い。どんなに強い女を装っても、その心の空虚と痛みだけは事実だった。孤独というものは、真に強い人間だけに与えられる試練だ。その孤独を知るものは、互いに引き寄せられた。暗い影の引力は、影を増す。そして、やがて消滅する。
 冬月がM交通を追放されたのは、やはりこの一件が尾を引いている。でも、いろいろな思惑なり、不満なりが爆発して、結局、このように流れたのは神のみぞ知ることだった。愛のある結婚であっても、生活が苦しければ別れることもありうる。愛のない結婚でも、寂しさを我慢できれば、裕福な暮らしを満喫できる。この二つの予想が夕子の心の中で揺れ動いていた。裕福さを取るか、愛を取るか。女心はわからない。ただ、きらびやかにイルミネートされた文明社会の中では、愛を犠牲にして、物欲に溺れる女が多い。そして、愛を犠牲にするということは、相手の男性を虐げているということだ。女が物欲に溺れれば、その物欲を満たすために男は奴隷にならざるを得ない。そういった関係には、当然愛はなかった。そのどちらかが、隷属的関係に陥る。そういった裕福さは罪である。男には愛情はあるが、女には愛はない。これが、現代日本の抱える愛の実体であろう。愛より物欲。夕子は、物欲よりも人格や知性に惚れ込んだ。夕子も現代女性の悩みを抱えてはいた。それでも、好きなものは好きという素直な部分があった。そういう素直でナチュラルなところが冬月は気に入っていた。文明で着飾った女性というものは、どこか武装して戦地にいるところがある。でも、結婚生活に入ると、もうそのままの姿で接するようになる。恋愛においても、だんだんと武装を解いて、だんだんと肌が触れ合うようになっていく。そういう平和的なものを愛と呼べるだろう。「でも、愛を信じられるかしら」と、夕子は思った。しかしあれだけ、冬月を追い立てながらも、内心ではこのように思うところが女心のわからないところである。
 冬月は、研究所を空けて、霧山の山麓を眺めて廻っていた。実は、山人会のメンバーが美味しいものを食おうということになって、料理を考えねばならなくなったのだった。確かに、霧山の地には、採れ立ての食材が溢れていた。惜しいかな、それを知るものがなんとも少ないことか。料理以外にも興味の対象が多すぎる冬月にとって、料理の真髄を極めるという作業はむずかしいかもしれないが、それなりに舌と手先をもっていた。だから、料理の修行も続いてはいた。研究室にこもる昼と夜以外は、修行に入っていた。そういう生活をしていたから、夕子をほったらかしにするのは仕方がないことだった。実際、霧山人を継ぐものとしての宿命をおいていたものの、山人会の束縛からは脱することができない。山人会は、冬月に不老長寿の料理を考えさせた。でも、食材の効能だけでは、不老長寿の良薬とは為りがたし、との結論に達し、健康の維持を心がけるための食事を考えることとなった。冬月の研究所には、霞仙女も訪れていた。冬月に想いを寄せたこともあったが、冬月が結納を済ませることによって、その想いを断ち切り、冬月の研究の手助けをしにやってきていた。そして、医食同源の追究に余念がなかった。山人会の老師・楚山人は、長年の日本の行末を案じ、日本の根幹は地方である田舎にあるとし、金銭的な行き詰まり、あの莫大な国家財政の累積赤字に対して、食生活を守ることこそが日本の未来を守ることだと行き着いた。食生活を守ることが堅固であれば、そのうち国の借財は返済し終えるに違いない。国民が飢え死にしては、税収も減り、多額な借金を返すことは不可能になるのだ。すでに、インフラの整備も終え、国土開発の重要性よりも持続的可能な発展のための環境を配慮する時代になった。これ以上の文明的な発展は危険であり、地球そのものの滅亡を生み出す。だから、人々は逆行というより、自然回帰へと向かった。あまりにも自然回帰に走りすぎたため、文明システムが疎かになり、国家はいい加減になった。文明と自然の調和をまだ日本は得ていない。文明を扱うことと、自然を大切にすること。この両者は、すでに切り離せないほど、生活に入り組んでいる。では、どういった具合で調和させるのかということは、実際の生活において試してみるしかない。料理においても、自然と文明の協調によって、出来上がっている。自分たちの生活自体が文明と自然の中におかれていることを実感しなければならない。冬月は、霧山において、生活の進歩を思った。井戸水から上水道になり、薪からガスになり、道路は舗装され、田畑はだんだんと、宅地やショッピングセンターになっていった。土地の変遷は激しく、激しいからこそ、人々の入れ替わりも大きかった。バブル崩壊後の混迷は、霧山の地でも激しいものだった。店を閉めるところもあれば、店を開くところもあった。冬月はたらい回しにされた。それでも、生きることが続けられた。そして、料理をつくるということに行き着いた。遅すぎた料理への道だ。それでも、冬月の心には、芸術性が存在し、山人会において、さまざまな芸術的可能性を試していた。芸術は人間の美への可能性だ。美とは調和である。味の調和、色彩の調和。一番重要な調和は人と人とのつながりだと知るようになった。それが、食を通して通い合う。いくら美味しい食材があっても、つくる人と食べる人が調和しなければ、料理は死ぬ。食べる人のことを考えなければ、意味がないように思えた。自分が美味しいと感じるのではなく、相手が美味しいと感じるのである。これは愛と同じように思えた。幾度の憂目に遭って、心がなくなってしまった冬月にも、料理を通して、心を芽生えさせられるようにはなってきた。それでも、まだ人を信じる心が生まれないために、冬月は料理をつくることができなかった。個人的な料理をつくる技術は高くとも、心がないために、冬月は料理をつくることができない。それは、霧山人を継ぐものとしての欠陥性である。芸術を求めるのは、なぜか。それは、冬月にとって、人の心を信じられる何かをつかむためであった。科学を追究することによって、冬月は心というものを失った。生命現象を追及することが、他人との接触を失わせ、それが結果的に心を失わせることとなった。だから、他人とのつながりなしに、心というものの存在はありえないようだ。そのような心の喪失を料理の修行によって取り戻させたい。老師も冬月の心の喪失を心配していた。食膳における人々の触れあいこそが、人間関係の基盤であることを伝えたかった。しかし、極度に人を恐れるために、心の触れあいを避け、逃げ続けている。他人のおかげで生かされていることを知っているのに、自分一人で生きて行かねばならないと錯覚しているようだ。頭の中に、ずっとずっと孤独の闇が住んでいて、それがどうしても拭い去れない。拭い去れないが、どうしてもいろいろな人々と付き合わねばならない。内側に向かわずに、外に向かうべきだ。とにかく、冬月は、人間との接点を料理に求めた。

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※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。

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 ボウモア12年物。私は、『霧山の歴史』をまとめていた。ガラスの向こう側の夜景をのぞみながら、12年の歳月を飲み干す。バブルが崩壊したとはいえ、まだまだ、その悪影響に気付かずに、繁栄を謳歌していた1994年。勝者と敗者の分岐点があったように思えた。このボウモアは、冬月からもらったものだ。冬月も、琥珀色の液体に閉じ込められていたようだ。そして、それは、この12年ものの恋の傷が癒えずに、一度目の結婚の失敗、婚約後の別居を続けるという悪酔いから抜けられない結果をもたらしていた。冬月は、心境をこの酒に託した。まだ、研究所から出てこようとしなかった。もう、七ヶ月になるだろうか。チョウザメとの出会いは、二十歳の初恋への未練を示していた。この未練がある限り、冬月の心は埋められないのかもしれない。そして、その未練、生物学への未練をチョウザメ、そしてキャビアの夢に乗せているのだった。キャビアが、あの博多の女への贈与品となることを欲した。しかし、そうだとしても、歳月は八年もかかるのだった。それでも、忘れることができず、あきらめきれない冬月の醜い執念があった。その女との約束が、学問にあったのだ。必ず、学問で大成する。だが、それは叶わず、俗世に落ちた。そして、放浪のようなフリーター生活となった。
 チョウザメにあって、冬月は変わってしまった。あれだけ欲した夕子との新婚生活の夢も忘れ、過去の世界に埋没していく日々、もはや取り戻す事のできない二つの愛を焦がしていた。だが、一度は別れる事こそ愛だと決意したはずだった。だが、真実の愛を知り、それを失ったとき、その決意はガラガラと崩れ落ちるのを聞いた。そして、私が冬月のことを心配して、夕子との縁組を調えて、結納まで済ませてしまったのに、冬月の心は閉ざされたままになっていた。冬月は、亜季との別離のことは、心の整理をつけてしまっていた。だが、それ以前の古傷がまだ邪魔をしていたのだ。実は、亜季と結婚していて、なかなか同居しようとしなかったのも、この二十歳の古傷のせいでもあったようだ。そして、その挙句、離婚してしまったのだ。この古傷を、実は夕子も感ずいていた。夕子は、冬月の心をのぞいて、どうしても奪う事のできなかったハートに恐怖した。でも、夕子の方が奪われてしまっていた。冬月の方も、身体の方は、その毒がまわっていたが、どうしても傷まみれの心だけは、さらすことはなかった。そして、チョウザメとの出会いが、この傷まみれのハートに刻み込まれた二十歳の初恋の未練を呼び戻すことになった。だが、それは遠い遠い筑後川の向こう側、どうしても届かぬ恋と知りつつも、夢中でチョウザメの稚魚と戯れていた。
 そんなある日、研究所に夕子が現れた。少し、やつれた様子だった。部屋に入るなり、冬月を問い詰めた。
 「チョウザメと私、どっちが大事なの。」
 「…。」
 冬月は沈黙を続けた。
 「生命の探究ですって、私たちの生活はどうなるの…。」
 「学問は小生の生命なのだ。これを奪われたら、生きていく力を失ってしまう。どうか、許して欲しい…。」
 「私は構わないわ。でも、明るい新婚生活と不幸な研究生活のどちらが望ましいとおっしゃるの。」
 「小生は、不幸だとは思っていない。これは天性なのだ。」
 「果たして、そうかしら。私と出会ったことが運命だと思わせて見せるわ。」
 冬月のもとから、夕子は立ち去っていった。それでも、冬月は追いかけることはしなかった。まだ、冬月の心の中では、過去との戦いが続いていた。
 夕子が帰ってから、数日が経った。冬月の胸はなんだかおかしかった。穴が開いたようになって、まったく力が入らないのだった。あれだけ、読み漁っていた専門書も見る気がしなくなっていた。これは、おかしいと思いながらも、コーヒーをがぶ飲みして、気合を入れるがどうしても、やる気がしなくなった。胸がおかしい。魂を奪われたみたいだ。ああ、どうしてしまったのであろうか。でも、夕子のもとに走ったら、幸福であろうとも、あまりにも現実的な結婚生活が待っている。冬月は、新婚の後も知っている。やはり、亜季との結婚生活があるからだ。結婚生活の重たいことも知っていた。そして、子供を育てるとなると、もはや研究は困難であろうということもわかっている。過去の未練を、未来の現実を妨げる理由にしているのは明白だ。そして、現実の困難からも逃避していた。
 冬月の葛藤をあざ笑うかのように、南九州に台風が上陸する。現実が激しく冬月を打ちのめした。チョウザメの稚魚のいる池は水浸しになった。冬月の胸に開いた穴は、開ききっていた。冬月の研究の道を閉ざしていた。愛は大きくなっていくが、夢は遠のいていた。茫然とする冬月の脳裏に、「運命よ。」と囁く夕子の声がした。ブルブルとふるえる冬月は、宮崎の女の霊力を知るのだった。霧山の天神地祇を鎮めし巫女の末にて、響く声、滅んでもなお、及ぼし続ける結界の守り主。冬月は、宿命を知りながらも、科学というものによって、宿命を縛ろうとする者だ。だが、合理的に考えれば、考えるほど、縁というものの存在を認識せざるをえなくなる。言葉と言葉の及ぼす記憶と記憶の結合。その偶然が織り成す連想の波紋。この波紋が広がりを見せることによる影響力の拡散。右の脳のもたらす作用だ。研究所にこもっても、逃れる事のできない運命がある。霧山人を継ぐもの。日本の伝統文化の継承者。研究所に逃げ込むことは許されなかった。夕子、日本の運命を知る女だ。冬月の脳裏に、未来の日本の政治が浮ぶ。カネ社会の限界、田舎の温存。冬月に課せられた問題は、古城啓介のもとに、政治の宿題がたんまりあった。政治とは、日本をプロデュースすることだ。つまり、日本をつくることが本当だ。田舎をどうする。今までの日本の文化は、自由とは何か。いろいろと難点を抱えているが、あくまでも都市化する社会は限界にあった。地球の環境悪化は、さまざまな生物種を危険な目に合わせていた。地球が滅べば、東洋も西洋もない。日本の伝統文化が、いかに日本の風土にとって合理的であったかを知るだろう。そして、冬月はついに現実に投げ出される事になる。池の底に、ヌマエビの桜色に染まるのが沈んでいた。

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 冬月の心は、研究に蔽われていた。半年も、研究室の中に閉じこもって、魚の研究をしていた。魚のほかにも、不老不死の研究もつづけていた。薬膳料理である。その研究への没頭は、過去のえぐれた傷跡を忘れるためのものであった。魚を解剖して、血まみれになっても、涙が流れ落ちていた。前の妻・亜季のことを、どうしても忘れることができない。だが、忘れることができないでいても、忘れるときはきっと来る。夕子と婚約しても、忘れることができないものは、忘れることができない。その別離の重たい心の傷をかかえながらも、夕子とのこれからを築き上げる自信はない。だから、冬月は完全に過去を吹っ切ろうとして、狂気さながらに、研究に没頭するのだった。その重たい心の傷は、ぶつぶつと独り言を唱えさせた。完全にノイローゼ状態だといえた。だが、会社を追放され、愛する人を失ったという二重の苦しみは、冬月をそのような状態にしないはずがなかった。そして、正気の人間ならば、必ず精神的な打撃を受け、放浪または自殺するにいたるに違いなかった。だが、冬月の場合、もう二度目の精神崩壊である。二十歳の頃、完全に壊れてしまった。そして、人間の道から外れて、狂気に覆われたのだった。酒と旅に逃げ、何もかも捨て去った。それでも、壊れてしまった自分を支えていたものがあった。それが、学問であった。大学を卒業してからのほうが、冬月は勉学に励んだにちがいない。そして、勉学に励むことによって、壊れた精神を修復し、さらに大きい人間に成長したように見えた。だが、そうなれば、世間から見れば、浮き出た存在になってしまう。
 冬月が立ち直るために、あくせくしているときに、亜季と出会った。貧乏でも、冬月を支えてくれたのが、亜季だった。看護婦の亜季は、冬月の学問に対して、理解があったというわけではない。ただ、医学の面では、共通の話題があったのは確かだった。だが、その父、窮々亭今旧が死んだことによって、冬月と亜季との間に大きな溝が芽生えていたのだ。夕子は、冬月と亜季との過去を少ししか知らない。でも、亜季の同僚に、夕子の妹がいた。まだ、よくわからないことが多い。冬月と亜季が別離の方向に進んだのは、何か不思議な思いが働いたのかもしれない。亜季は去ってしまった。家の建物ごと、消えてしまった。そのショックは計り知れない。そして、職場を去っても、どうでもいいような虚無感も同時に抱えていた。亜季との別れは、夕子の思いの強さが生んだのかもしれない。そして、引きずられるようにして、離れられない関係にまで行ってしまった。それでも、冬月の心の奥には、夕子に申し訳ないなんとも言えないしこりが残っていた。それが、冬月を料理の世界から進化研究所に閉じこもらせた一因であった。冬月は、根っから学者肌であった。その研究熱心さが、亜季との別離を生んだのかもしれない。とにかく、女を置去りにするのだ。そして、冬月を捕まえた夕子もまた、同じようになっている。夕子が冬月の妻になるのならば、学者の妻として、小説家の編集者のような、社長ならば秘書のような、そのような心構えがなければならなかった。単に恋愛関係では終われない。それが、冬月と結婚することであり、霧山人の妻になるということであった。冬月の部屋には、本はもとより資料が散乱している。その整理に追われるのは必至である。亜季は、そういった結婚生活に怖れをなしたのかもしれない。ただでも患者の世話に忙しい毎日があるというのに、冬月のそういった生活の犠牲になることはできないのだった。
 亜季の祖父は、救急亭独斗留と呼ばれて、この辺りでは有名な医者でもあった。戦時中は、公安委員長を務めるほどだったらしい。だが、かつての敗戦により、家は没落した。そして、息子の窮々亭今旧は、幼い頃のの栄光を忘れることができず、生活を変えることができずに、家を持ち崩してしまったのだった。窮々亭は、妻と離婚した後、小説を細々と書き、生活していた。そして、冬月たちと出会って、壮絶な死を迎えたのだった。ほとんど、餓死に近いであろう。脳を削り、腸を削り、それでも生きている生命力であった。冬月にも、助けることができない現実があった。助けていたら、自分が同じようになりかねない社会の現実もあった。亜季は母親の方と暮らしていて、父と容易に会えない。その逢えないつらさが、当時の冬月にはよくわかっていた。そして、こっそりと会わせてやっていたのだ。冬月が、高速レストランに勤めるようになって、事が一変した。M交通の経営状態の最悪さが、冬月を仕事に縛りつけ、一年、二年経っても、アルバイトの身分から上れないのだった。それは、料理という専門の仕事であったため、その技能を身につけることには時間が要したからであった。一ヶ月に一回しか会えないという事になる。財布の状態もよろしくない。だんだんと二人の関係は冷却していった。その一つ前の仕事のときには、もうゴール間近といえたところまできていたのだった。窮々亭とその奥さんを和解させ、亜季の家族との付き合いも進んでいたのだった。それが、完全に崩壊し、破局したのだ。七年も続いた関係は終焉を迎えた。貧乏でもいい、とついてきてくれていただけあって、真実の愛だと信じていた。涙は悲しいから、流れるのではない。ポトリと自然に落ちるものだ。車を運転していても、涙が止まらない。前が見えないのに、運転を続ける。そういう日が何回も何回も訪れる。そして、そのまま、ガードレールにぶつかってしまえば、とても楽になるのに、そのように思い続けた。カラオケに行けば、亜季を思い出す。つい、楽しかった頃を思い出す。魂の歌となる。もう、酒は飲まなかった。二度目の過ちは犯さなかった。それでも、過去は戻らない。
 夕子と冬月がくっつくのは、それでも必然的であった。亜季と同じものを感じた。それだけで、十分かもしれない。亜季と一緒になれば、おそらく学問への道は途切れるだろうと、うすうす感じていたのかもしれない。夕子は憧れにも似た感情を冬月に持っていたのかもしれない。そして、惹かれあう二人は、引き裂かれた愛をすり抜けるようにして、入れ替わった。亜季も、冬月の理想の妻に近づこうと努力していた。それでも、越えることは出来ない運命だった。ときに運命は残酷だが、出会いは祝福である。残るは、心の問題である。冬月の心の傷が癒えるのを待つ夕子は、寂しい。寂しいから、会いたくなる。会いたくなるから、愛したくなる。愛したいときに、愛はなく、愛ゆえに孤独。孤独は愛を欲し、愛する故に孤独を求める。人間は、勝手な生き物だ。それでも、愛するということは自然なことなのかもしれない。片思いは、思い込みが生み出す。だが、両思いは両者が自然と引き合う。それは運命というほかない。不思議なものだ。片思いは、片方だけの反応であり、両思いは、雌雄の現象に他ならない。実に不思議な現象である。それは、人間の思慮を超えたところにある。運命の赤い糸は、本当にある。ただ、気付かないものだ。そして、それは理想を物ともしない。ただ、惹かれあうだけのものだ。そして、くっついたり、離れたりする。それは、思慮によるものだ。生存というものが、赤い糸を紡ぐ。それは、らせんを紡ぐ遺伝子の織り成す意図である。男と女の生存が、赤い糸を紡ぐ。そして、子々孫々という脈絡となる。まさに、生命の神秘が恋愛には潜んで居る。子孫繁栄、それはチョウザメを表わす言葉だった。人類は、危機を迎えていた。経済的にも、環境の変化においても。長く子孫を残してきたチョウザメは、二億年前から地球に住んでいる。それも、絶滅に向かっていた。古代から棲息する魚である。冬月の心は、このチョウザメの虜になっていた。夕子と冬月がめぐり合ったように、冬月とチョウザメもめぐり合ったのだった。これが、十年も待った結果なのかもしれない。

                                 つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


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