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小説・霧山幻想2

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冬月と夕子は結婚することができるのか?







ゆっくりと二十歳の生涯の恋人・荒木田未希の存在が明かされていく。


未婚化や少子化から解放されるような心情をつくりあげたい。

「山人会」に進入して、裏で操る謎の集団“Carmilla”の脅威が訪れた…。

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霧山幻想35 中村為彦

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 「誰か一人を愛するという自信がない。」
 夕子は、冬月の言った言葉が耳から離れなかった。今の冬月に新しい愛を探すという器用さがないということを夕子は承知していた。だから、冬月の過去においての愛についての詳細を許諾していなければ、冬月とはうまくいかないということを思い知らされるのだった。もしかして、つきあったとしても、愛を得られないのではないか。そこに、戸惑いが生まれる。冬月さんには私一人だけを真摯に見つめ続ける自信がないみたいだった。それならば、私が冬月さんに愛を捧げ続けても、いつまでも私の心を見つめてくれないのではないか。そういう恐れが、夕子の胸の内に湧き出してきた。女というものは、愛する男性が自分のことだけを愛してくれているということに満足するものなのだ。だから、冬月の心の中に、まだ別の人が数人巣食っているのを知ると、もう耐えることができない。それでもいい、と言ってくれる女でなければ、冬月の心の傷は癒せないのであった。二十歳の恋愛の傷を癒してくれたのは亜季であったが、亜季も冬月の心の中にまだ二十歳の恋愛の女がいることに最終的には我慢ができなかった。だから、亜季は二人愛し合っていたにもかかわらず、別の道を歩むことになった。冬月は、そういうことを重々承知していたからこそ、誰とも付き合おうとはしなかったのだ。もう、恋愛はこりごりだと逃げているのであった。だが、そういった翳りのある男を女は敏感に察知する。それは、母性とも呼ぶかも知れない。
 夕子は、冬月の心を自分だけに向けさせることができるのだろうか。それとも、孤独の影に敏感によってくる女たちに奪われてしまうのだろうか。結局、七夕の目論見は、進展を何も生み出さなかった。それは、冬月の心の迷宮の複雑さを明らかにしただけだった。霧は雨雲を生み出し、窓の外のドシャ降りの雨は洪水を生み出していた。夕子は、冬月のハートを射止めることができなかった。いや、射止めるのに足りるハートの形状を冬月の心は持っていなかったのだ。もう、冬月の心臓は、恋の駆け引きに耐え切れるような代物ではなかった。もう、ボロボロで、夕子の想いにも応えられないのだった。そういうことを少しは感じていたが、夕子は待てるかしらとつぶやいた。待っても待っても、冬月は来ないかもしれない。それでは、攻めるしかない。でも、そんなにアクティブな女は冬月には似合わないかもしれない。でも、それは運命の決めること。夕子は目を閉じた。
 二十歳における決別の愛、亜季への愛、冬月は特にこの愛を大事にしていた。夕子が、冬月との恋愛を成就するためには、この二つの愛を丸ごと飲み込んだ大きな愛を貫かねばならないのだった。だから、単に私だけを愛してね、といった純愛にはなり得ないのだった。冬月はただ愛が欲しかった。それは、ただ涙と胸の痛みが欲しているものだった。タマネギを切り刻んでいるとでる涙と同じなのだが、不意に流れ出てくる涙は深い嘆きの淵に飛び込ませる。車を飛ばしているときの涙は、前を見失わせる。それでも、生きていかねばならない冬月は、ただ不老不死の料理とさまざまな研究に没頭するしかなかった。冬月が高速レストランに移ったのは、料理下手な亜季に料理を作ってやりたいという思いからであった。だが、亜季と離婚して以来、冬月は不老不死の料理を考えながら、若いときの野望・生命の神秘を解明するという二十歳の頃の約束を遂行するためというふうに変わってきてしまった。
 研究室ではミクロな対象だったが、あちこちと旅を続けるにつれて、生命とはマクロなものであるということに気付いた。そのマクロなものとは、縁とか絆とかいう関係性によって、保たれている。それが生命現象だと気付いた。生命を維持するには、外界からのさまざまな摂取がなければいけない。刺激であったり、養分であったり、光であったり、さまざまであるのだ。とくに、人間においては食事を取らねば生きていけない。これが生命現象であるのだ。つまり、完全なる孤独では生きていけないのだ。生きていることの不思議さは、細胞レベルや遺伝子レベルでは解明できない。そう気付いた冬月は、大学での研究を諦めて、高千穂峰の北麓に研究所を創った。そして、フリーターをしている間に、だんだんと社会に溶け込み、そういった研究のことをすっかり忘れ果てていたのだった。だが、今振り返ってみると、すべてはつながっていて、無駄がないことに気がついた。西洋哲学では、人為と自然を切り離した。それが物理法則や科学の発展に寄与した。だが、生命現象に踏み込んだら、西洋哲学は行き詰まってしまった。それは、自我の限界に達したからである。生き物が食物に頼らなければならないように、人間も一人で生きていくということはできない。そういう関連性を抜きにして生命現象は語れないと、冬月は行き着いた。物質の関連性も、人間の関連性も同じである。一人でも生きていけるという人もいるかもしれない。だが、それもお金という媒体を通して、他の人々に依存しているということは事実である。冬月の度重なるフリーター生活は、さまざまな会社において、さまざまな人々が働いて、社会の人々の生活を支えているということだ。それを、経済的欠乏によって破壊してしまったのならば、不況と呼ばれる状況になるのは、当然であった。社会という生命現象を維持するために、人々は働いている。そして、その生命現象が維持されるためには、どんな仕事が必要かと模索している。
 環境問題とは、自我の限界を見極め切れなかったために起った。自然現象を科学技術や経済だけで、操ることが出来ると錯覚していたのだ。熱波、寒波、洪水なんていうものは、警告を発しても、止められない人間の強欲のもたらしたものだ。弱者が滅びるにつれて、いつ自分の番がまわってくるのかわからない怖さがある。弱者が強者を守っている現状があった。だんだんと弱者のハードルが倒されていくにつれて、自分のハードルがいつか倒される日が来る。それが人類滅亡の日だ。冬月は、動物を守ってきたものが植物であると気付いた。料理の修行の合間に、植物の種を植えては、食材や観照用に育てるようになっていた。それが育つとなんとなく喜びが生じてきた。そして、心の哀しみも少しばかり癒されるような気がした。植物に水を与えるという喜びを知った。自分の作った作物を食べるということも充実感をもたらした。都会という自然界から切り離された環境にはない癒しがある。

                                        つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


   
 

霧山幻想34 中村為彦

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 夕子が仕事場に出勤すると、綾が近づいてきた。綾は冬月とのことがきがかりであるのだった。
 「七夕の日は、どうだった?」
 夕子は、いつものとぼけた調子で答えるのだった。
 「何もなかったわよ。」
 ぴしゃりとそれっきりの会話で打ち切る夕子は、いつも通りだった。
 それでも、夕子の心の中には、冬月と逢っていた七夕の夜の思い出が残っていた。夕子は、冬月の将来には、とても大きな課題を背負っていることを感じていた。そして、それは夕子自身の手に負えるものかはわからない不安を感じた。
 ロマンス・グレーに包まれていくような七夕の夜、二人の距離は再接近したのだった。その夜の可能性は、未来に続く予感を与えながらも、冬月の宿命の重さがもうしばらくの猶予を与えるものに思えた。
 夕子は、このバンガローで描いた絵画を冬月に見せた。緑色で彩られた不思議な絵だった。霧に覆われた緑の森の深い絵ばかりだった。
 「この絵の出来はどのようかしら…。」
 冬月は、夕子の絵を見て、次のように評価していた。
 「君の絵の緑は、光を浴びて生きている緑の色だよ。霧の中の暗い深緑色ではなく、霧の中においても、希望を失わないような明るい緑ばかりだ。君は、本物の緑を知っているよ。農作物や森林の緑も、この緑色の成分がなければ、地球の生き物は絶滅してしまうくらい大切なものだ。私も昔、環境改善の研究活動をしていたときもあって、いろいろな出来事にあったね。」
 夕子は、冬月の意外な側面を改めて知らされた思いがした。それでも、自分の絵を通して、愛情を感じずにはおれなかった。そして、このような関係ではあるのだけれども、自分のことを大切に思ってくれているということだけはわかるのだった。夕子は生け花をするほどに草花が大好きで、冬月も草花が好きで自然環境を守るために何らかの活動をしていたみたいだった。それが理由で、奥に何かを秘めながらも、なぜか、レストランで料理を作り、雑用に追われるような境遇になっていたのだ。そういう冬月をよく見ていた夕子だから、その過去について、興味を持たないわけにはいかなかった。しかし、冬月はそれ以上のことを言おうとはしなかった。話してくれたことは、霧山人のことだけであった。夕子には一体冬月が何者なのかわからなくなった。植物に詳しかったり、料理にはまりこんだり、神話?歴史?今度は環境保護?この人は一体何がしたいのだろう。しかし、そういう神秘的なつかみどころがない冬月に引かれる夕子自身もわけがわからなくなっていた。冬月は、自分が複雑系の中に生きていることを自覚しているだけだった。複雑な内面性を持つ冬月にとって、それを理解してもらうということよりも、単純に傍にいてくれればよいという気持ちもないわけではなかった。冬月は、自分のことを理解してくれる女性というような欲深い気持ちはなかった。男女というものは、その仕事上の理解というよりも、その存在感によってつながっているということが大きいのかもしれない。だから、仕事上のパートナーとは別に、夫婦関係が存在するということが多い。双方が重なり合うということは珍しいことである。冬月は、夕子の霧の中の緑の絵を見せられて、今まで心の中に閉じ込めてきた自然環境への思いが湧き上がって来た。健康も料理も植物も神話や歴史もすべて地球環境が優れていたから成立してきたものだ。そして、夕子の絵は、光ある生きた緑を取り戻すことを冬月に暗示するかのようだった。
 地球緑化プロジェクト。いつの日にか、白紙に戻された案だ。これは、冬月研究所の奥底に眠っている。温暖湿潤の研究。霧をめぐる研究。内閣特務機関。コードネーム・ミスト。石油科学文明の歪み。
 冬月の頭の中に、過去の封印していたことが蘇える。自然環境に優しくない石油科学文明を糾弾していた記憶が浮かんできた。現実的には石油産業全般を敵にまわしてしまっていたから、分が悪かった。そして、冬月は野に下った。地方は不況に襲われており、冬月は各地を転々と職を渡り歩いた。今までの文明の行き詰まりを示すかのような不況に思えた。Q国攻撃と占領。これによって石油帝国は息を吹き返した。原油の値上がりを誘発したからだった。誰も意を唱えることはないが、そろそろ環境産業が復興してもおかしくない。だが、いまだにクリーンエネルギーが代替されるようになっていかない。石油科学文明は、環境を改善する方向性を取り入れなければ、その生き残りは難しい。富を手に入れたが、その使い方が試される時期だろう。いつになったら、ソーラーカーが走るのだろうか。そういった流れが進まないのには何らかの圧力があるのであろうか。そういった憶測もよぎった。だが、冬月は自分のおかれた境遇から未来を築き上げていかねばならなかった。

                                    つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


 

霧山幻想33 中村為彦

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 冬月と会ったあくる日、夕子は揺れる想いに悩まされた。夕子の内部における葛藤が生まれたのだった。それは、男を選ぶにおいて、財力のある男か、優しくて愛を感じさせる男か、というものだった。しかし、まだ、夕子の心は決まることはなかった。常識からいって、おカネを持っている男のほうが断然良い。しかし、どうしても断ち切ることのできない温かい感情を浮かべる心があることも見逃せないのだった。このままでは、悪い女になってしまうと思いながらも、心を決めかねるのだった。冬月も、自分と一緒になることによって、苦難に満ちた人生を夕子に求めてしまうということを考えると、どうしても一緒になろうなどと言えないのだった。二人の関係には、まだ時間がいるのかもしれない。
 冬月は常識的に、自分が裕福になることしか、夕子を幸福にできないと思い込んでいた。だが、自分の人生が窮々亭今旧の人生みたいになってきつつある事に恐怖を感じていた。愛を失った窮々亭は、身を持ち崩して、酒浸りになり、小説を書いては、やくざのような人生を送ってきたのだった。それは、まさに愛に飢えた処遇であったのだろう。愛なしで立ってはいられなかった窮々亭の人生だった。冬月は、そういう人生を間近に見ながらも、夕子を苦難ある人生へ飛び込ませることをためらったのだった。そして、そのような苦難ある人生を冬月と共に歩む人生を夕子が望んでいるかもわからなかった。しかし、現在の女性というものは、おカネに踊らされ続ける人生によって、真実の愛を逃し続けているのも事実であった。裕福な生活と真実の愛、どちらを選ぶのかは、女の人生にとって、自由にちがいない。だが、それが日本という国家をして、立ち行かないものへとつなげていくという危機感もないわけではなかった。その女の自由な人生によって、弄ばれていく男の人生というものもまた哀れにはちがいあるまい。冬月は、心の中に志を抱きながらも、これからの人生を孤独のうちに進んでいかねばならないのだろうか。
 貧乏でも真実の愛を保ち続ける人生と、裕福だけども愛され得ないという人生、そのどちらしか、人は得られないらしい。その両方を得られたにしても、とても長続きするものではない。人間には分限というものがあった。何かを失えば、何かを得る。何かを得れば、何かを失うものだ。禍福は糾える縄のごとしともいう。過去を捨てれば、未来を得られる。しかし、未来を捨ててまで、過去にしがみつくのも得策ではない。まだまだ、二人の間には、常識という垣根が挟まっていた。冬月は、一人で自分の人生を確定しなくてはいけなかった。夫婦が共に助け合って、人生を豊かにするということを置いてきぼりにした。
 冬月の現在の境遇は、過去の筆禍事件の余波にちがいないと思っていた。言論の自由を盾に、冬月研究所において、いろいろなことを新聞社に書き送っていたのだった。正義を守るといえば、建前はいいのだが、自分に災いがふりかかるなんて思って、言論を展開していたわけではなかった。そして、言論にそのような作用があるとは思ってもしなかったのも事実だった。勝ち馬の言論ならばよろしいのだが、世の中のバランスとして、どうしても泥をかぶるような言論に踏み込まざるを得ない嫌な立場も必要だった。誰もが、正しい方に全部がついた場合、その正しいと思っていた言論が間違いだったならば、もう後にはひけないことになってしまう。そのことが、冬月の頭にはこびりついていたので、冬月は大勢が正しいと信じていても、自分の言論が不利になろうとも、今後の未来のためには、不利な言論を保ち続けねばならなかったのだ。今までの二十世紀文明によって、汚染された環境をもとに戻すために、または戦争でこれ以上犠牲者が増えないためには、是非とも避けては通れない道というものが存在していた。それを避けて通った場合、負の連鎖は延々と続き、地球は破滅してしまうかもしれない。そういうことがわかっていて、そういう言論を快く思わない勢力が自分達よりも強大で敵わない場合でも、言い続けなければ、さらに状況は悪化し続けてしまうとわかっているならば・・・。たとえ、負けてしまった場合でも、未来が続くならば、という思いだけでも残せれば・・・。そういう立場に立たされたとき、人々はすべてのために犠牲にならざるを得ないものなのだろうか。そのような言論というものが存在しなければ、やがて未来は立ち消えてしまうとわかっていたとしても・・・。誰かが言わなければならないことを言うことによって死刑になるとすれば、言わないことによって滅んでいったかもしれないのだ。ここが要めだと思った。
 冬月は、夕子にはそのような事件のことは何一つ話さないのだった。そして、冬月の持っている自然との共存、文明との共存ということも・・・。冬月は、このままの文明のあり方では地球が滅んでしまうと考えるようになった一人であった。今までの人類が遭遇したこともないことに突き進んでいく現代文明の行く末に危機を感じる一人であった。現代の科学文明は、石油資源によって作られた物質によって支配されている。その物質は、公害を生み、従来の自然環境や生態系を脅かすものであった。冬月は、いろいろな苦難を受けることによって、そういった文明の担い手達と共存することによって、改善策を作り上げようと思うようになった。しかし、言葉というものは、儚いところもあり、理解することが出来なければ、ただ力によって対立するということで終わってしまうのだ。そして、理解してもらうためには、力ではなく、寛容と忍耐が必要と知った。そして、共通の話題がなければ、相互の理解はなかなか進まないということも考えた。薩摩とイギリスが和解した共通の話題は、黒船であったということもある。北朝鮮は、ミサイルではなくて、ロケットが作りたかったとも。
 冬月は自然環境をとりもどすための環境産業の夢を抱きつつも、現実に追われて、だんだんと料理の世界に没頭していくことになっていった。だが、文明と自然において共存する人類の共通点は、食を掌るということにあったのだ。さまざまな遺伝子技術によって、食糧問題を解決しようと思っていたが、そのようには進展せず、自然から離れたような異物が出来上がってしまった。そういった科学の研究の行く末を見届けた後、冬月は霧山のふところに戻り、ふつうの実用的な研究というものを模索し始めたのだった。科学技術がどれほどまでのものかを見極めるところまでは行かなかったのだろうが、それでも何だか変異な道に進み続けてはいないかという思いがでてきていた。そういた懐疑主義から、冬月は人類が滅亡しないための方向性として、今までの文明の方向性に対して注意を促したほうがよいのではないかと思い、人類の持続してきた従来の道というものを模索するようになっただけなのだ。未知に踏み込む時には、どうしても今まで古来の道も知っておく必要があると思ったのだ。その方向性に踏み込めば踏み込むほど、奥が深くなり、虜になったようになる。それでも、進歩に必要なものは、振り返ること、初心に戻るということだということだと確信していた。これ以上のエントロピーの増大に立ち向かうためには、森林に入ることが必要であるという直感を信じたのだった。そして、冬月は科学的知識と東洋的な哲学を駆使して、ようやく人類に必要な無駄のない社会という持続可能性に到達する予定であった。しかし、その道は、料理の世界と同じで、長く険しいものであるみたいだった。

                                  つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。

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 私は、綾がホテルの一室にやってきたときに、冬月と夕子の間を近づけてやろうと考えたのだった。それは、冬月の過去の出来事のつらさを知っているからであった。そのときのつらさと亜季との離婚、そして夕子との別離の三重苦に苛まれていれば、彼の仕事は苦痛を抱えながら逃避のためのものとなってしまう。冬月が恋愛や結婚でうまくいかないという原因は、二十歳のときに運命の出逢いを逃してしまったとずっと思い込んでいるからであった。そして、十年ほど経っても、実はそのときの想いを心の奥底に残し続けているようなのであった。二十歳の恋は、遠く筑後川を隔てて、離れ離れになってしまっている。いわば、引き裂かれてしまったようなのだ。そして、亜季とも別れ、夕子とも離れ離れのハイウェイということになってしまったのだ。冬月は孤独に影を潜めるかのように、難題ばかりに囲まれていた。
 綾は、私に冬月と夕子が出会う日にちを七夕の日と決めるのだった。彦星の運命と織姫の運命は、仕事に追われる男女の宿命のようなものである。ロミオとジュリエットは、西洋の彦星と織姫のようなものである。引き裂かれた二人は、すれ違う運命ではあるが、その心の中にはくっつくはずの運命も備えているという不幸も持っていた。それをくっつけてやろうという優しい社会が望ましい。しかし、運命はほとんど皮肉さによって、偶然を引き起こす。冬月と夕子は、霧山を挟んで離れ離れになっている。
 冬月は、鹿児島県側の雲霧館の近くにある料亭で料理の修行をしていた。冬月研究所の古城啓介から送られている薬膳料理の食材の資料を勉強しては、それぞれの体質を改善するような料理を考えているのだった。それは、不老不死の料理を研究していると言い換えてもよいだろう。しかし、時間的にも空間的にも個体的にも複雑な人体に適合したそれぞれのレシピを考慮するのは、遥かに遠く思える作業に思えた。しかし、冬月の心の中には、夕子への想い以前の延長上に、その不老不死の料理への遠い約束を思い出しているのだった。冬月の心に深い傷跡を残した二十歳の失恋の酒浸りの日々を振り切り、医学の勉学に日々を費やすことによって乗り越えてきたことを思い出した。そして、亜季や夕子との別れも同じような境遇だと割り切って、料理や勉強に取り組むだけであった。
 夕子は、冬月がいなくなった後の高速レストランを切り盛りするかのように、忙しく動き回っていた。冬月が去った後、いろいろな人たちも去っていったけれども、天候には案外恵まれ、売上も上々であった。これも、冬月がどこかで頑張っているおかげだと夕子は思っていた。そして、どこかで見守ってくれているのだと、自分を勇気づけるのだった。それでも、心の中の寂しさはどうしようもなく、涙を流すことも多くあった。それでも、夢というもののために、頑張るしかない儚さを抱くのだった。
 夕子が机に向かっていると、綾が話しかけてきた。綾の口から、冬月の名が出て来るとは思わなかったので、少しびっくりする夕子だった。しかし、なんだか、その名前を聞いただけで安心するのだった。
 「冬月さんは、今度の七月七日に、御池のバンガローに来るらしいわ。あなたは行ってらっしいよ。」
それでも、綾は冬月の所在は夕子に教えないのであった。
 「うん、考えとく…。」
 夕子はあまり乗り気でないかのような返事をするのだった。それだけ、仕事が忙しくて、手を放せないのだった。
 一方、冬月のほうには私が電話をかけて、夕子が御池のバンガローに来ると伝えておいた。冬月も、たまには気晴らしもいいかなと、一つ返事をした。これで、なんとかお膳立てをしておいたが、何にせよ、七夕の日であるから、二人の進展はどのようになるかはわからない。二人の感情が合致したときにはうまくいくのだろうが、もう三ヶ月以上も会っていなかった。さて、会って何を話したものかと戸惑うだけであった。しかも、冬月の心中は複雑であって、心の中で、運命の女たちが錯綜し続けていた。そのような混乱した心境で、夕子と何を話せるだろうかと悩むばかりだった。しかし、会えるのならば、会っていても別に悪くはないだろう。
 冬月は夕方に雲霧館を出発して、夕子は仕事帰りに高速レストランを出発した。霧山を挟んで、北へ南へと回り込む。そして、高千穂峰の東側にある御池で落ち合うことになる。そうであっても、二人の関係というものは、一体どういう組み合わせであるのかもわからない。というのは、冬月の度重なる運命の試練が夕子のことを恋人なのか、仕事仲間なのか、もっと別の運命の女神なのか、わかりにくくしているのだった。二人が近づくと、急に晴れ間が差し込むということは当たり前のようになっていた。この不思議な現象は、冬月と夕子の関係を常識によって引き裂く結果をもたらしていた。つまり、未知の仲であるということになるのだ。冬月は、杉原夕子の中に、女神を感じていた。それは、邪馬台国の女王・壱与なのかもしれない。壱与は、実は台与であったという説もある。台という字は、旧字では臺と書き、トと読む。つまり、イヨではなく、トヨと呼ぶのが本当だろう。壱と臺を間違えたらしかった。そして、卑弥呼が天照大神ならば、台与は豊受姫命ということになろう。つまり、この二神は伊勢神宮の内宮と外宮にあたるのであった。実は、冬月は二十歳の恋のときに、かの女に天照大神を感じていた。そして、熊本の地を追放されたスサノオ・冬月は、霧山の地でヤマタノオロチを退治して嫁を娶るのである。そういう運命を感じては、冬月は研究所を霧山の地につくった。また、別のストーリーでは、旧制五校を出た冬月は、東京の帝国大学に移る予定だったが、時代は戦後になっており、三四郎は仕方なく勉強を続けるために、自分で学問を続けるために、冬月研究所を立ち上げたということもできるだろう。
 だが、どうして冬月はそこまで夕子に惹かれるのであろうか。夕子の存在が気にかかるのであろうか。夕子が冬月の感性と同じものを抱いていたのならば、冬月もその感性を活かせるであろうが、夕子がその感性を封印していたのならば、もう冬月は夕子に何ものも求めることはできないという時代になっている。冬月は、夕子に邪馬台国の女王にあるものを感じていながらも、夕子はその感覚を捨てて現代人の知性によって身を律している。冬月が常識に身を委ねれば、夕子も身を委ねてしまう。この両者の天秤のような関係が、この霧山の高天原を経営している。だから、二人は常識という天の川を渡って出逢えるのは、特別な七夕の日だけということになる。恋人というよりも、もっと強大な深遠な仲である。常識では計り知れない特別な二人である。精神のつながりによって、二人は世の中を治めているのであった。
 冬月が先にキャンプ場への細道に入ると、それに続くように夕子が細道に入ってきた。それは、計算されたかのタイミングであった。やはり、通じている二人なのである。冬月がバンガローの近くに車を停めると、夕子もその後方に車を停めた。冬月と夕子は、やがて特別な空間に入るように無言で何かを交信した。曇り空には、晴れ間が差し込み、だんだんと青い空にオレンジ色が混じり始めた。そして、日が落ちて暗闇と星たちが夜空を支配し始める。一日だけ許された、古来の戯れに二人は身を任せる。太古の鼓動が聞こえてくる。しかし、明日になれば、再び二人とも現実に戻るしかない。二人の夜は更けては、その穏やかな時間だけが永遠に続くことを信じていたかった。

                                  つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。



 

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 私は、冬月が去った後に、頭を抱えていた。それは、冬月が私が書いた文章を読んで、君の文章は年収一千万以上の文章だよ、と言ったからだ。そして、君の親父だったら、年収三百万以下の文章を書くよと言い足したのだった。真坂野社長から、罵倒された冬月だったが、ホテルに滞在している間に、今までの二十代に経験してきたことについて、考えたようだった。冬月は、ずっとフリーターとして、あまり恵まれた生活を送ってきたとはいえなかった。そして、真坂野交通の高速レストランにおいても、不遇な待遇ばかり与えられていた。しかし、それは、不況下における霧山一帯の境遇であって、カネはめぐりのよい土地とめぐりの悪い土地があるということを身に以て知らされることとなった。そこで、生活する人々は粗野で、不親切で、野生的といわんばかりのものであった。しかし、冬月は、今まで出合った経験から、「衣食足りて、礼節を知る」ということは事実であるということに到達したのだった。そういうことを考えれば、年収一千万以上の人々は礼節をつくせるが、年収三百万以下の人々は礼節をつくせないということになる。礼節とは、礼儀作法を守るとか、法律を遵守するとか、そのようなところに通じてくるものである。特に、食事をきちんと摂取できない場合、そのような体力を維持できないので、礼節は乱れがちになってくるということが言えそうである。だから、真実が正解であるとは限らないのだ。
 冬月が新会社に残ることをあきらめ、とうとう下野してしまったのは、浜口内閣の改革の総決算のためだったのかもしれない。政治において、すべてを救うということは困難であるということである。聖がいなければ、真の生活の改善はできないのである。経世済民の心得は、「衣食足りて、礼節を知る」ということになる。そこまで、達していない者たちをどのようにして、その満足するところまで導くのかは、学問の役目というしかなかった。人々が、自分で労働して、自分の生活を満足させるための根本は、食生活を充実させることから成立すると行き着いた。そういう心を知ったとき、冬月は自然と料理を作ることが好きになったといえよう。医食同源、医は仁術なり。されば、食も仁術であると。
 救うことの出来た民と、救うことの出来なかった民がいるとなれば、民主主義の困難さは、言うまでもないと思った。信仰心というものは、困窮においてのみ、生じてくるものだと知る。だから、私も冬月も信仰のある者に対して、その信仰を捨てるようにいうことはできない。ただ、傍から手を差し伸べるしかないのだろう。私は、冬月の批判を深く感じいった。それは、作家として致命的な欠如であるとさえ思った。現実の厳しさを両脇において、幻想の甘さに酔いしれるその姿は、私の弱さそのものに違いないと思った。冬月の苦しさも、庶民の生活の苦しさも分かち合えずに、どうしていい作品が世に通じようかと思う。確かに、私は受けのよい物語を作成したいという気持ちがありながらも、冬月といると、もはや、そのような作品は薬にもならないと言われそうで、いつも脅えていた。やがて、ホテルに閉じこもっては、作品の良し悪しだけを気にして、世の中の役になるような作品を書いていないではないかと、誰かに言われそうで恐ろしくなるのだ。楽しければいいじゃんと、綾はいうが、本当は売れる文章と役に立つ文章は違うと気がついているのだろう。しかし、文筆で食べていくには、エンターティメントの要素がなければ、いけない世の中らしい。だから、文章は書けない。娯楽は書けても、文章は書けないのだ。師匠も、親父も賞を取ることはできなかったけれども、やはり読むだけの価値はあるように思えた。だが、売れないことには、よい作品を書いても世に出ないではないかという思いではちきれるだけなのだ。
 私は、このホテルの一室に残ったが、冬月が霧山の地へ帰ってしまったのは、やはり何らかの使命感を捨てきれないからであろう。冬月のその重い責任のようなものには、解決の方法というものも与えられていないという苦痛があるだろう。クラシックをきいても、おいしいものを食べても、その重圧からは逃れることはできない。だからといって、すんなりと解決する方法を見つけることができるかといえば、そういうわけにもいかない。頭の中に、読むべき本が浮かんでくるが、それを読む以前に、生活が押し寄せてくるようだ。日々のやり取りが続くが、私はこれから先のこの国の行く末を占うことすらできなくなっていた。それは、このホテルに監禁されているように、世の中の状況を知る事ができなくなってしまったからである。それは、ときどき新聞や資料なんかを見たりするが、それが一体何を反映しているかなんて、具体的にわかりっこないと思っていた。私には、ただ書く事しか出来ない。だが、冬月には生活のスタイルだけでも示してほしいと願った。貧乏でも豊かな生活というものは可能であるということだ。私も、それが風流ということであるということくらい知っている。だが、このホテルにいては、その風流心を知ることはできないのだ。本当に、風の流れのような感覚に豊かさを感じるという日本の心というものを、知る事の出来ない私は不幸かもしれない。だが、裕福と幸福は異なるということも知らないわけではない。ただ、年収一千万以上と言われた私の文章の中には、風流は込められそうにないと言うことだけは気づいているのだった。文明のところどころに、風流を残すことはできるが、完全なる文明の中には、風流が残存する事はできない。その微妙な配分こそが、私と冬月の異なる生活の交流によって、表現されるのかも知れなかった。貧乏すぎてもいけないし、裕福すぎても幸福とはいえない。そういった心は、人間と言うものは文明だけでは満足することのできない野生という悦びも少しばかり残るから、存在するのかも知れない。そういう悦びは、カネとか物ばかりでなく、恋人とか、家族とか、子宝とかいった様な当然の幸福がいつの世にもあると言うことだけを、冬月の心の深い嘆きから知ることになったような気がするのだ。

                                  つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


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