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冬月は、雲霧館の近くにある料亭で料理の修行をしていた。家に帰ってからは、食物や薬草の勉強をしているのだった。冬月は、なぜ高速レストランを去らねばならなかったのかを考えていた。前々から、その経営のずさんさに気づいていた冬月は全く重要な仕事をしようとせずに、皿洗いや生ゴミ捨てや調理ばかりの仕事をしていた。冬月は、責任者でも何でもなく、ただのアルバイトであった。しかし、去年の十二月になって、契約社員になったものであるから、少しばかり仕事の内情を見ることになってしまったのだった。再生機構が入ってきていたので、利益の出るやり方に変更することになっていた。真坂野交通は帰路に立たされていた。冬月は、少しばかり頭が切れるので、そのやり方にピンと来た。そして、改善するために尽力を尽くそうと思った。しかし、冬月は下の立場であり、何の権限も責任も持ち合わせていなかった。それでも、経理の杉原夕子は、そのような冬月に呼応するように、会社のやり方を改善する方向で協力してくれたのだった。今でも、それは正しいことだったと思う。しかし、今までのやり方を変えたくない人たちは非常に面白くない。安い給料で食いつなぐためには、どうしても食費を浮かすために、食材をちょろまかすことが必要だったのだろう。だんだんと、改善が進むと、きっちりと仕入れと売上げを出して、利益をだすことができるようになっていった。しかし、食材というものは、多く仕入れすぎると長持ちしないために腐ってしまう。その分が廃棄として損失となる。だから、なるべく、損のでないように仕入れるようにしなくてはいけない。客が増える昼のピークに揚げ物を揚げすぎて、余らせたりしないために、無駄な作業をしないようにもしていた。そのようにして、だんだんと職場は改善されていったのだった。しかし、ある棚卸しのときに、帳簿と棚が合わないということが発覚して、その責任がうやむやになったということがあった。冬月は責任者でなかったので、その理由はわからなかった。だが、それは霧の中の穴として、何十年として積上げられた山のようなものではないかと思っていた。そういった責任は、棚上げにされて、新しい会社として独立することになっていった。会社が小さくなれば、その分だけ会社のやり方も楽になるからだろう。冬月は、更なる改善のために、夕子たちと頑張るはずだった。 |
小説・霧山幻想2
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冬月は、霧山の南麓の雲霧館に滞在していた。雲霧館の中には、喫茶室および陶芸室・ガラス工芸室があり、民芸品の売り場が多くを占めていた。そこの多くの作品は、田山霧山人が製作しているのだが、実は山びとたちは、霧山人だけではなかったのだ。江戸時代から続いているという山人会の存在があった。山人会は、幕末・明治・戦時中を経ても、微動だにしなかった不思議な結社であった。冬月が知っているメンバーは、田山霧山人をはじめ、批評家の周山人、薬草学の霞山人、ジャーナリズムの蘇山人なんかがいるらしい。どうも、創始者は談義作家で、科学者であった風来山人・平賀源内を元祖とするらしい。江戸時代の文献は、なかなか残存しないばかりか、文献として残っていることさえが珍しい。さらに、明治になって、文明開化の逆風の中、則天居士漱石山人が中興の祖として、活動しているようだ。冬月も、厳密に言えば、冬月山人なんだろうが、あまり表に出したくない名であった。 |
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雨が止んで、霧が晴れ始めた。杉原夕子は、御池野鳥の森のバンガローで絵を書いていた。霧の中に包まれた緑の絵ばかりが並べてあった。外の霧が晴れていく様子を見て、夕子はピンときた。 |
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ホテルに残っている私のもとへ、東国原綾がやってきたのは、冬月が霧山へ旅立ってからだった。綾は、私の作品の熱烈なファンであると共に、よき理解者であった。綾は、冬月が高速レストランにいたとき、仕事におけるパートナーであった。そして、夕子とは仕事でのライバルであった。しかし、夕子が冬月がいなくなったあと、だんだんと張り合いをなくすにつれて、仕事での良きライバル間の競争がつまらなく思えてきた。また、女同士の友情もあったので、夕子の身を心配するのであった。 |
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杉原夕子は、御池野鳥の森のバンガローにいた。ゴールデンウィークの疲れを癒すためである。ゴールデンウィークが終わったら、雨ばかりの日々が続いていた。夕子は、バンガローの中の小さな木で出来た椅子に腰掛けている。そして、外を眺めながら、趣味の画を一人で描いている。雨がしとしと降り続き、霧深く包まれたバンガローの中、夕子は何を思う。小鳥のさえずりを遠くに聞いては、雨音に耳を澄ます。雨の調べ、レイニーデー。降りつづく雨音はショパンの悲しい調べに似ていた。夕子は恋の出来ない哀れな女だ。ピアノの奏でるような冷たい雨の音。彼女の心は、真珠のように固く心を閉ざしている。夕子は詩を書いてみた。 |





