平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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小説・霧山幻想2

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冬月と夕子は結婚することができるのか?







ゆっくりと二十歳の生涯の恋人・荒木田未希の存在が明かされていく。


未婚化や少子化から解放されるような心情をつくりあげたい。

「山人会」に進入して、裏で操る謎の集団“Carmilla”の脅威が訪れた…。

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霧山幻想25 中村為彦

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 私と冬月は真坂野観光ホテルで話し合っていた。冬月は、話の合間にしきりに霧山に帰るといいだすのだった。ホテルの西館は、だいたいの改装を終えていた。私は非常に気に入って、合格点を与えていたが、冬月は全然気に入らないようであった。冬月は、その空間が和風になってほしかったようなのである。しかし、大淀川沿いの風景と比べて見れば、パリ風のカフェがやはりふさわしいと思ったが、しっかりと南国風のアロエベラやシュロが植えてあって、独特の風采を与えていた。通路には、バショウなんかの観葉植物が飾ってあり、おしゃれな空間に生まれ変わっていた。
 昔、坂口安吾が、「宮崎は小ヂンマリした明るい町」と形容したが、今では、その可愛らしさが小粋な感覚に生まれ変わっていた。冬月は、飫肥に行ってから、やけに武家のことを言い出した。それは、おそらく、今まで質実剛健でドミネートしてきた根底が、過去の戦争で崩れ、やがて斜陽を迎えたからであろう。そして、戦後、日本は民主主義の国となった。だが、日本人は、それまでのそれぞれの文化というものを喪失して、それぞれに文化を形成しなければならないようになってしまった。ここは、確かに芸術の都・パリの模倣といわれるかも知れない。しかし、そのフランスでさえ、自由・博愛・平等を育んだ精神は病んでしまっているというのが現状だ。そういうことを知って、おそらく真坂野社長たちは、このホテルを芸術的にこしらえようと、音楽祭を開いたり、おしゃれなインテリアを飾ったりして、奮闘しているのだった。武力による支配に対して、か弱い小粋なアートの持つ魅力が持つ役割に期待しているのだった。力の論理というものが強すぎると、結婚ということはなかなか進まない。なぜならば、結婚ということは、愛の結晶である、赤ン坊をもたらすからである。か弱い赤ン坊は、弱肉強食の強いものばかりが生き残るという厳しい環境では生きられない。日本人は、そのソフトなベビーを守るための「家」というものを喪失していた。しかし、その喪失はやがて萌芽をもたらすだろう。倒れた大木の上に新しい木々の萌芽が芽生えている。私と冬月の話し合いでは、そのことでは一致した。しかし、冬月は武家というものが凋落していく姿をなんとか食い止めたいという気持ちだけは伝わってきた。確かに武家というものは、百姓をドミネートしてきて自由を奪っていたが、それが原因でその文化や生存までも奪われてしまうということは、やはり避けねばならないと結論した。それが基本的人権の尊重ということだろう。過去の因縁にこだわっていては、真の平等は達成できないのだ。
 冬月は武家による日本支配は終焉してしまったが、武家の文化は終焉しないと思った。武力を捨て、殺人を起こさない限り、武家の文化は残存していくべきものなのだ。そして、冬月は、田山霧山人のいる雲霧館に行って、霧山人になるための修行や勉強に励むことを告げた。そのときに、冬月は、明恵上人の歌を残した。

          雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷めたき

 冬月はある種の決心をここに込めているのだろう。それでも、私は冬月をこのホテルに留めることはしなかった。私はまだ、このホテルの一室で神話の研究や執筆を続けるであろう。そうして、冬月は、そういった武家の文化というものを通して、自分の道を模索していくにちがいあるまい。冬月は、霧山に帰る途中に佐土原に立ち寄ると言っていた。今は、佐土原城跡歴史資料館「鶴松館」となっているところであった。私は、そこに鶴と亀の水平構造を認めた。私は亀の文化に興味を抱き、冬月は鶴の文化に興味を持っているのだった。今まではそれが垂直構造をなしていたのだが、冬月の植物学による生態系の考え方を知りいれてから、それが神話の八百万の思想につながることを思った。植物の植生というものは、その気候なんかで微妙に異なってくる。それと同じように、これからの社会というものも、自然なものだと思えるようになるにちがいない。人間の社会は、歴史というものによって、垂直構造になりがちだったが、この平成の世は、水平な社会になっていくことを期待していた。冬月が鶴の文化の歴史を探るにつれて、そこに垂直な支配構造に直面するにちがいあるまい。しかし、冬月ならば、きっとその構造から抜け出して、なんらかの答えをもたらすだろう。日本の民主主義に何らかの道を与えてくれると信じたい。それが、私と冬月との友情の印しになる。
 冬月の心には、まだ夕子との間に発生した温かい感情が残っていた。その懐かしさは、何だったのであろうか。それを探るために、佐土原に行くにちがいない。夕子のセンスが、冬月を癒したのは、彼女の持つ素質だったのであろう。それは、杉原家の家風だったのかもしれない。冬月は、夕子が海の人々の一族だと思っていたが、心の中に何かひっかかるものを感じていた。それは、夕子が生け花をやっているということだった。果たして、生け花とは、武家の文化ではなかったか。だが、ポスターカラーで描く夕子の絵や、その生ける花々に自由を感じていた。冬月は、夕子の顔を眺めていた時に、どうしても豊臣秀吉との因縁を感じていた。冬月の中には、カール・グスタフ・ユングのような感性が潜んでいる。それは、三島由紀夫の見た輪廻転生のような感覚に違いない。冬月の祖先は、清正公の家老といわれているので、秀吉との縁は深いようだ。秀吉は、当時の戦国の世では、なんだか民主主義のようなことをしている。百姓の身分から天下人になっている。そこには、源氏しか征夷大将軍になれないということがあったから、関白ではあったが、太閤秀吉の思いには複雑なものがあったろう。
 冬月は、ホテルの中に新装されたワインやコーヒーカップなどが売っているショップで、小さなカップと丸い受け皿、そして小さなスプーンを購入した。冬月のイメージでは、それが夕子に違いない。そして、そのショップを抜け出ると、向かい側には料亭・山吹が見えた。そこには小さな庭園があり、馬や武人の埴輪が飾ってあった。池の中には鯉が泳ぎ、池と池の間には、細かい木を狭く並べてで作った柵で渡り廊下が通っていた。玄関には靴が並び、簡素な佇まいには侘びというものが潜んでいる。その奥では、宴会が行われているようだ。この料亭は、アートという門構えによって守られたにちがいないと、冬月は思うのだった。冬月は庭の奥に進むと、亜熱帯植物の脇に、ひっそりと昭和40年代の風情を感じた。そのように空間は時代を残存するのである。冬月は、少しばかり時代の流れを感じながら、このホテルを出発するのだった。
 冬月は、橘通りを抜けて、宮崎神宮・平和台公園の方向に向かった。佐土原城跡もまた、少しばかり海から遠い場所にある。これは一体何を示しているのだろうか。この城の近くに都於郡城跡がある。さらに奥地には西都原古墳群が広がっている。この地政学的配置は一体何だろうかと、冬月は考えた。宮崎の武士といえば、伊東氏と島津氏が著名であるが、なぜそのような武士が配置されねばならなかったのか。冬月は、直感で、それは海の人々と山の人々の争いをやめさせるためではなかったかと、推測した。江戸時代の文献で、『和漢三才図会』というものがあるが、その武士の項に、「剛く強く道理に真直なのを武という。勇ましい強さが徳に匹敵するのを武という。よく過乱を平定するのを武という。民を刑し、克く服させるのを武という。」とあった。士とは、学んでたゆまず自分の地位を保持し続ける者のことをいうらしい。冬月は、鶴松館の前の駐車場に着くと、その白壁に囲まれた前に伽羅木と枝振りのよい黒松を見つけた。その間を抜けながら、門の中に入ると、やがて案内の女性に説明を受けることになった。その女性の話によると、ここは江戸時代には、島津の居城だったそうだ。その前は伊東氏がいた。それが明治時代になって、廃城されたが、いろいろな経緯があったらしい。廃藩置県が行われるまでの話である。武士が特権を失って、さらに生存権までも失われてしまった経緯である。食べて行けない武士たちが、西郷隆盛を担いで、西南の役に向かったのは言うまでもない。薩英戦争の和平交渉にあたったのも、佐土原藩士らしい。そのように、都城を除いて、武家が盛んであったのが、この佐土原だったらしい。地頭と呼ばれる警察みたいな役割が、どうして戦争屋としての武士になってしまったのだろうか。おそらく、伊東氏にしても、島津氏にしても、もともとは警察官のようなものだった。しかし、いつの間にか勢力争いばかりを目下にする戦争屋になりさがってしまったのだ。この中世以降の日本の歴史の悲劇を食い止めたのが、秀吉・家康であったのだ。島津氏は九州を統一しようとしていた。それを善しとしなかった秀吉は、九州征伐を実行に移す。秀吉は肥後方面から、弟秀長は日向方面に出発することになった。羽柴秀長は総勢二十万をつれて、戦を勝って、野尻に陣を張ったらしい。そういえば、大淀川の観音瀬というところにも、九州征伐のときに、都城を水攻めにしようとやってきたという話もある。ひょっとしたら、野尻から観音瀬にわたって、秀長のつれてきた家来が土着したということはないかと構想していた。その一つが杉原家ではなかったろうか。

                                     つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。

霧山幻想24 中村為彦

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 冬月は、日南海岸から飫肥にかけての旅によって、一つの問題解決を思った。それは、日本社会がかかえて、おきざりにしてしまった問題だったのである。宮崎は経済的にも貧しく、とても離婚率が高い地方であった。冬月が亜季と生活できず、さらに夕子との恋愛の進展ができなかった理由もわかってきた。それは、この地方に根付いている南国の伝統文化に原因があったのだ。亜季の父・窮々亭今旧は武家であり、その妻は、南九州ではノロ(祝女)と呼ばれる巫女の家系だったのではないか。そうなれば、亜季は巫女の伝統をかかえることになる。武家は、父系制家族制度を敷いていて、女性は相続から除外されていた。つまり、父系の血統を尊重する意識に覆われていた。嫁入り婚が一般化しており、女の一生は当主である父・夫・息子の扶養と支配を受ける隷属的身分を強いられていた。また、武家の女性は儒教的封建道徳に縛られて、「三従」の生活を強いられるのだ。これは江戸時代の武家の家族制度であり、明治の薩長政府は、このような制度で家というものを強制してしまったようなのだ。それが教育勅語のように国民国家としての国民的模範とされていったようなのだ。江戸時代の日本人は、さまざまな習俗を持つ人々によって、いわば住み分けをしていた。だから、武家と百姓が結婚するということは許されていなかったのだ。それは、文化の接触が行われないということである。しかし、明治維新後、四民平等となって、さまざまな男女が恋愛関係に落ちて、家庭を築こうとするとき、そこにそれぞれの人々の家々における文化の違いによって、食い違いが生じてくる。しかし、教育水準や文化の違いによって、そのような問題を解決する方向に進まず、武家の家族制度を押し付けてしまったようである。だが、それまででも庶民の女性は家業を分担していたこともあって、家庭内ではいくらかの発言権と意志の自由をもっているのだった。そのように、武家でも巫女の出る家でも、伝統文化は別にしても、平等な家庭生活を考慮しなければならなくなる。
 もし、このような武家とノロと呼ばれる巫女の出る家系が婚姻関係をもった場合、そこには夫婦間に、家におけるさまざまな問題が生じてくることは、当然なのである。そういった問題は、今まではアメリカ文化を模倣することで、有耶無耶にできてきたが、いざ日本人が自分達の伝統文化による民主的な解決を図るとしたら、是非とも夫婦間でお互いの問題を話し合う必要性が生じてくるのだ。戦前は、そういうことをしないで、男尊女卑のままで突き進んでしまった。男女平等ならば、愛の問題として、この武家とノロの関係を解決していかなければならないであろう。しかし、冬月はなぜ、ノロや巫女のような感性の鋭い女性とばかり、恋に落ちてしまうのであろうか。それは、冬月が熊本時代に仏道修行に似た厳しい古武道の修行をしたからに違いあるまい。それ以来、妙気にばかり囚われるようになってしまったのだった。また、もともと感性の強い面を持ち合わせていた。奄美に生を受けた奇遇もあるのであろうか。そして、杉原夕子にしても、そのような感性が鋭いので、村々の旧家すなわちノロの出る家なのかもしれない。南九州・琉球では、このような巫女のでる家が村々を守ってきたのだ。山幸彦と海神の娘・豊玉姫の結婚は、うまくいかなかったが、その子であるウガヤフキアエズノミコトと玉依姫との夫婦生活は、案外うまくいったにちがいない。佐土原に「佐野原聖地」というのがあって、そこが神武天皇の父・ウガヤフキアエズノミコトの宮殿跡がある。佐野といえば、神武天皇の生誕地・狭野も同じ読みである。佐土原近くには、天児屋根命に関係する土地が散らばっているから、そこで天孫の伝統文化と海の人々の文化が習合したのではないかと思う。だから、神道の古い形態は、琉球古神道に原型があるとされるのかもしれなかった。しかし、そういった古い神道が残っていた沖縄全域ですらも、ノロ・司の制度は、老齢化と過疎のために今や危機に瀕しているのだった。なぜか。ノロも司も血筋で継承するからである。だから、父系家族制度が優先されれば、こういった巫女の出る家は廃れてしまうということになるのであった。そうならないためには、アマゾネスのように、女だけの家にならざるを得ない。旦那になる人がよっぽどの理解を見せなければ、子供だけ生んで、離婚してしまうだろう。一つの例があって、スサノオと天照大神が天の安の河の誓約をして、子供を生んで、五男三女ができて、男が多かったので、スサノオが勝さびをあげたのは、そういった家族制度の優先権争いではなかったのだろうか。そうなれば、天照大神も海の文化だったと言えよう。そこには高木の神がいるから、高天原といったのかもしれない。これは、おそらく九州北部での出来事といえよう。
 不思議な感性を与えてくれる女性は夕子のほかに別にもいて、東国原綾や北野さつきに関しても、似たような感覚を得たのであった。九州筑紫島は、奄美や沖縄諸島よりも大きいので、奥地に至っては山の人々と呼んでしまいそうなんだが、果たして、その伝統文化はいか程の違いがあろうかは量り知れない。ただ、それぞれの人々のルーツは、それぞれのルーツとして、個人的に捉えるしかないだろう。個人的な問題として、解決できるほどの教育がなされれば、こういった文化の問題はやがて民主主義らしく、話し合いで解決されるようになるだろう。冬月は、恋愛と結婚は別である、と考えていたが、それは恋愛は個人のことだが、結婚は家やそれにつながる文化を抱えてくるからなのである。だから、冬月が武家の文化にこだわれば、冬月は長い旅に出なければならなくなると思ったのだった。しかし、冬月は、その心がもはや長旅の淋しさ耐えられるほど、強くいられなかった。だから、冬月は霧山の地に帰るべきだと思うのだった。しかし、夕子の家も武家であったのならば、話が早いのだが、と思う冬月であった。冬月は、田山霧山人の住む霧島神宮の近くの雲霧館に行って見なければならないと決意した。それは、冬月が正式に霧山人を継承するということである。

                                     つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。

霧山幻想23 中村為彦

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 冬月が悲痛の海の中に沈んでいる。亜季との離別の後、杉原夕子との思い出というものが、亜季の後に開いた傷跡を嘗め尽くし、幻想によって、古傷を塞がざるを得ない苦難を再発した。冬月が亜季と出会う前の出来事を、夕子は繰り返してしまったのだ。だから、冬月は流されるしかなかった。夕子との出来事が、冬月の傷跡を癒してくれるということを期待していたが、旅に出るということによって、その期待は遠く遠く離れていくのであった。冬月が若かりし頃に受けた失恋の痛手は、干支が一回りした今日に至って、再び浮かび上がってきた。その失恋の胸の痛みは、五年ほど続く長いものであった。それは、亜季との出会いによって、緩和されていた類の古傷であった。
 亜季との別れの後に、冬月が夕子に求めていたのは、この古傷の治癒薬としての役割だったのかもしれない。それ程、深い傷跡を冬月が持っていることを知らない夕子は、その若き時の失恋と同じ行動を取ってしまったのであった。それに、冬月の心の傷跡が夕子にとてもとても重荷に感じたことは言うまでもないのであった。夕子は、独占欲が強く、冬月の心に、他の女性が根付いていることを許すことができなかった。だから、冬月の心の中から、亜季を追い出すということには成功したものの、それ以前の深層に根付く、若き時の傷跡を治癒するということにまでは至らなかったのだ。複雑に壊れ回復していた冬月の心は、夕子が見放したときに、再び不完全なバランスを形成するしかなかったのだ。冬月は、夕子に、「夢のために別れよう」と言ったものの、夕子に冬月の心の傷跡を完治するほどの愛情を期待できなかったのかもしれない。さらに、夕子にしても、仕事によって、そのような冬月の心の深層にまで達する余裕など持ち合わせていなかったのも事実であったのだ。だから、冬月は結局の所、今回の旅と学究によって、自らの解決を練らねばならなかった。結局、夕子は傷の上塗りをしただけにちがいなかった。しかし、冬月はそれ以上のことを、夕子に求めるようなことはしたくなかった。冬月の幻想は、あくまでも、その深層にある古傷をごまかすためであって、それを現実と思い込むほど若い心をもってはいなかったのだ。冬月の心は痛いには痛い。しかし、それでも前に進まねばならない悲痛を抱いた。
 冬月は、私に言った。
「小生は、これから、このホテルを出なければならない。そして、本当に小生が求めている確実な道を探る必要があるのである。旅を終りにしたいと思っても、宿命というものがあるのならば、やがて、旅に落ち着くに違いない。」
 私は、冬月の苦痛を和らげてやる言葉も見つからず、ただ、冬月の真っ赤な目を見るしかなかった。孤独では、死んでしまうといったウサギの眼をしていた。冬月は、孤独を好むわけではないのだが、孤独に彩られてしまう哀れな男なのだ。それでも、何かを求める冬月を、私は止めることはできない。一体、何が冬月をここまで駆り立てるのであろうか。私は、複雑な冬月の心に助言する言葉が見当たらなかった。でも、私は冬月を見守っている。それしかできない男の友情なのかもしれない。いつも、微妙なものばかり追い求める冬月を、私は見放せない。これは、女には見ることの出来ない浪漫なのだろう。
 本当は、冬月は亜季にも夕子にも、理解してもらおうなんて思ってはいなかったのかもしれない。ただ、傍にいてくれるだけで、決して言葉や理屈では伝えられないものを感じていたかったのかもしれない。引き裂かれるにつれて、痛みを伴う慕情の念があり、それは冷静な思考をずっと押さえつけるほど、強烈な情熱を秘めているのだった。だから、冬月はクールな科学者になり得なかったのだ。もし、冬月の理性が、この抑えがたい情熱という名の五官を制することができたならば、彼は多大な功績を残したに違いあるまい。しかし、冬月は内に眠る人間性というものを完全に捨てることができないでいた。理屈では決して拭い去れないものを内在し続けていた。それは、生きものとしての直感というものかもしれない。野生に鍛え抜かれた本能の悲鳴にちがいあるまい。生き物は、生存しやすい環境を求める。それを夕子に求めていたのかも知れない。しかし、夕子すらも、その生存しやすい環境で働いているとはいえない。常に忍耐を強いられるという極寒にいるようなものである。夕子といたときの安らぎは、極寒にいたときに感じる温かい触れあい以外の何者でもなかったのだ。それ以上に、めぐりあう可能性を秘めながらも、そこではもはや彼女に救いを求めるしか、冬月の心の悲痛を癒すものは存在しなかったのだ。
 冬月は、その悲痛な心を紛らわすために、料理を作ったり、絵を書いたり、草花を眺めたり、旅先で清廉な湿度と陽だまりを感じたりすることによって、なんとか幻想を抱いてきた。しかし、合理性というものは、いちいち、その冬月の崩壊しそうな心をチクチクと痛めつけてくる。冬月の心臓には毛は生えていない。一度、砕けてしまったようなガラスのハートを持っていたに違いない。砕けては、再結晶化させ、砕けては、再結晶化させる。その過程で、冬月の心は醜くねじれたものになっていたのだ。それを隠すために、孤独を深めるのかも知れない。戻れないわけではないのだが、何かに脅えて避け続けているようなのだ。それを、人々は芸術と呼んだが、冬月はただそのズキズキと痛む心を紛らわせているに過ぎないのであった。理解するということでは、味わえない共通の心情がそこにあるのだ。それは、通ずるとしか、言いようがなかった。通じ合えなければ、通じていることを信じるしかない。それは、たとえ幻想であったとしても、冬月の心の崩壊を抑止するためには必要な作業であったのだ。冬月は、おそらく、自分を引き止めてくれることを望んでいるにちがいなかった。冬月の心の脅えは、安定した家庭生活だけを望んでいるということを、私は感じ取っていた。しかし、私がそれを知るとしても、誰もその望みを察してくれる者は、この世にいないのではないかと思うのだった。それは、鋭敏すぎる冬月の感性に、みんなが脅えてしまうからであるのだ。そして、その事に関して、人々は口を閉ざしてしまうのだ。みんな、わかってはいるのだけれども、それを解決しようとしないで、逃げているのだ。それを、冬月一人の肩に乗せ続けるということは、民主主義としてはあるまじきことであるのだ。冬月一人を追い込んだとしても、未来を築いていくのは、個人個人であって、それを支えているのは社会であることは否定できない。社会を無視し続けると、だんだんと後々に苦難だけが残る。それに気がついている市民はなるべく見ないようにする。見なければ、見ないほど、後々で大きくうず高くなってしまったものを処理できなくなる。あと、二年だと冬月は思っていた。みんながたらい回しにした問題がのしかかってくるかもしれない。危機感?そういったものを感じない。もはや、そんなものすら必要ないのだろうか。ただ、生きているだけでいいのならば、冬月もそのように振舞ったほうが幸福であろう。民主主義の世の中は、個人個人のものであるのだ。責任というものは、一人にうず高く積もれるものではない。私は、冬月の個人としての幸福を願わざるを得なかった。それが、これほどまでに傷ついた冬月への思いやりであるのだ。

                                つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


 

霧山幻想22 中村為彦

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 冬月と私は、真坂野観光ホテルに戻っていた。冬月は振徳堂に行ってから、悠塾の一件と亜季との離婚のことで、頭がいっぱいになっていた。亜季との離婚のことは、冬月にとってかなりのダメージであったが、離婚の原因が悠塾と関わっていたということに、今さらながら気づくのだった。それまでは、新会社の設立なんかで、全然考える暇がなかったのだが、ホテルでゆっくりと考えて見ると、どうも悠塾を解散させるということが目的にあったのではないか、と思えてきた。悠塾があったから、亜季と離婚したのか。離婚したから、悠塾が解散したのか。いや、どちらでもいい話だ。そこで、杉原夕子の会話が思い出されてくる。
 「市営病院にいる杉原真矢って、私の親戚なんだよね。」
 そういえば、亜季の看護婦の同僚に、杉原さんという人がいたことを思い出した。それと一体、何が悠塾と絡んでいるのだろうか。冬月は、夕子への思いと裏腹に、夕子への懐疑も抱いていた。しかし、後になって、考えて見ると、夕子の裏で糸をひいていた人物が必ずいるにちがいない。そのように思っていた。そうでなければ、いくら冬月のことが憎いといっても、そこまでの罠をしかけるとは到底思えない。
 これは、思想絡みの問題なのだろうか。確かに、儒教的な道徳は、男尊女卑や封建遺制の縦社会に貢献してきた。だが、冬月は福澤諭吉のように、そのような儒教道徳の欠点も承知していた。もちろん、キャリア・ウーマンとしての亜季のことを愛していたし、そのうち、同居しようと思っていた。新婚生活を考えていて、冬月は今までの日本の家長制度的な家庭の限界を感じていた。共働きができなければ、新婚生活の資金を得られないという日本の現状があった。だから、冬月は男としてできること、料理をつくる、ということを考えたのだった。会社において、男女の仕事は均等になったとしても、男女の肉体はやはり異なっている。それならば、体力のある分、男が家事をしてやる必要がでてくる。今までの家長制度のもとでは、男は野良稼ぎが主であったので、女が家を守るということは仕方ないことだった。体力がある男が稼ぎの大半を持ってくるということは、自然の理であった。文明の浸透によって、社会生活は随分楽になり、女でも男と同じくらい稼げるようになった。それは、男の体力が重要でなくなったということを指した。女の方が適する社会になってしまったのだ。だから、男性も少しばかり野性味が消え、女性的になったような今日である。
 話はそれてしまったが、冬月が悠塾のようなものを開いていると、どうしてもふんぞり返っている親父像をイメージしてしまう。確かに、亜季の親父・窮々亭今旧は、昔気質の父親であった。時代に取り残されていく男だった。窮々亭の親父は、救急亭独斗留と呼ばれ、銅像が建っていたようである。だから、ますます、そのような家長としてのイメージがあれば、家庭を築こうとしないのだった。新しい夫婦像という模範がなければならないのかもしれない。そういった家長制度の崩壊と家庭の崩壊は重なっていて、新しい家庭像を築かなければ、結婚生活というものには希望がみいだせないのかもしれなかった。
 それにしても、家庭の愛和というものがわからない世代なのであろう。とにかく、世間的に儒教道徳の誤解を解くことが先決なのかも知れない。その誤解とは、儒教道徳が差別を築くための方便にすぎないということから、民主主義的な平等観を築くための日本語に取って代わらせないと、解けない。朱子学よりも、伊藤仁斎の古学の方が、より民主主義的な儒学であるのだった。個人の立場を根本にして、道徳をつくろうとしていたのだった。封建社会の道徳は、お上からの押し付けで広められたものであって、自発的な道徳ではなかったのだ。だから、個人主義の世になって、まず道徳をなぎ払ってしまった。しかし、なぎ払った後で、その役割を噛み締めると、どうしても自分達で道徳を実践しなければいけないということに気づくのだった。それは、身を修めて、どのように家庭を築いて行こうかということにつながるだろう。そういった言葉たちが、儒学に詰まっていることを知って、その上で勉強してみると、また何らかの効果があるかもしれないと、冬月は考えていた。それにしても、夕子のセリフは気にかかりっぱなしなのであった。

                                  つづく

 ※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


 

霧山幻想21 中村為彦

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 この旅は長くなるというが、これは逃避行ではない。冬月の心は、菩薩の心に定まっていた。冬月の霧の中の仕事が残されていたのだった。浜口内閣の改革で、どれだけの地域が立ち遅れているのかを秘密裏に調査しなくてはならなかった。これは、再生機構の山川秋水に密かに伝えられた指令でもあったのだ。
 杉原夕子との件はともかく、冬月にはやらねばならないことが山積しているのだった。真坂野交通の再生は軌道に乗って来ているので、高速レストランでの冬月の使命は終わったのだった。冬月はあまりにも私情に入りすぎていたのかもしれない。だが、夕子があれだけ深く冬月の心の奥底まで入り込んでくるとは思わなかったのだった。冬月が厳重に鍵をかけていた心の扉を次々と開けていき、ついに本心というものを見られた気がしたのだった。そこまでの精神的な深遠さを、夕子に感じながらも、やはり仕事のために別れねばならなかったのだ。精神と肉体の問題の両方が惹かれあうにしても、やはり夕子とは精神的に深くつながり、たとえ離れていても、いつも一緒にいるようで、いつでもつながっているような感覚を維持できるような気がするのだった。そのような不思議な感覚を得たからこそ、冬月は夕子が悪女のように振舞ったとしても、何も気にする事はなかった。冬月は、悪女の心はもろく崩れ去りそうなものであることを知っていた。なぜならば、冬月もメフィストファレスと菩薩の間をいつも揺れ動こうとするからである。もろく崩れ去りそうな心を守るために、悪女を演じているのである。その純朴さを見つからないように、たくみに悪を演じようとするが、そこにはまだまやかしが潜んでいる。だからこそ、冬月は菩薩の心によって、許すことができるのである。再生する希望がある限り、可能性をつなぐことが肝心であるからだ。信賞必罰である。
 それにしても、冬月に圧し掛かりたる指令は、かなりの困難さを潜めているのだった。立ち遅れている地域、つまり農村や山村ということになるであろうが、ここいらの高齢化は深刻なのである。だが、その深刻さも峠は過ぎた観がある。おそらく、市町村合併によって、地域の連帯感というものが生じたからであろう。これまでのムラ意識は、もっと視野を広げねば、生き残っていけないということを気づいたのだろう。もう、ムラ意識を維持するだけの人口が過疎によっていなくなっていたのだ。それでは、いなくなってしまって、空っぽになった土地をどのようにすればよいのだろうか。これが、冬月たちに残された課題であろう。冬月は、研究所にいる古城啓介に電話して、農山村の活性化策を調べていてくれとも、頼んでいた。啓介は、不老不死の研究と、社会・経済の研究に忙しかったのだ。柳田國男が若いときにしようとして、挫折した問題であった。この農・山村の活性化ということは、江戸時代の荻生徂徠の時代からの問題であり、それから明治・大正となっても、なかなか手をつけたがらない厄介な問題なのである。徂徠は、武士土着論というものを書いていたと思う。現代の武士というのは、知識人であろう。だから、冬月たちは、霧山の地に踏ん張って、学問で得た知識を日用の学にするにはどうすればいいのかと、常々模索しているのだった。冬月が到達した最初の点は、衣食住の食を確保することであった。日本の財政は非常に厳しい。いつまでも贅沢に過ごすことはできない。そうなれば、ある程度の便利さを保持しながら、楽しみながら生活することがベストであると結論づけた。だから、冬月は料理の世界に楽しみを見つけた。また、冬月のさまざまな心の葛藤を埋めてくれるのもまた、料理をつくることだったのだ。庶民の生活に、お金が廻って来にくいということは周知の事実である。いくら、花咲か爺さんのように、大金をばらまいても、生活自体がよくなったという話はきかなかった。金銭感覚を破壊しただけに思えた。お金の使い方、頭の使い方、体の使い方を見極めねばならない。
 現代人は恵まれている。なぜなら、自給自足の生活から離れてしまったからだ。しかし、行き過ぎてしまっていた。すべてをお金で解決しようとすれば、お金は無限大に必要になるということは、子どもでもわかるはずなのだ。数字の性質は、無限大ということはある。しかし、人間の生活というものは、有限であるのだ。限られた世界において、生存していかねばならない。都会では、お金がないとくらしていけないが、田舎では土地を有効利用すればいくらでも、生存の可能性は広がると感じていた。なぜなら、もともと、田舎では自給自足をしていたからである。完全な自給自足を現代人ができるわけはないが、必要な経費と自給自足してやるという気持ちがあれば、かなりの良い生活になるのではないかと思うのだった。
 冬月は、料理をつくることを覚えた。そして、本当の学問というのは、心を知ることから始まるとわかった。心を知って、終りではない。心を知ったら、物事にその心を生かす道を探らねばならない。これは、知識を生活に生かすということである。学者に必要な心は、ここにある。冬月の到達した心は、いかに学問を生活の役に立てるかということであった。その道のりは長く、仏教の六度に学問を生活に役立たせるための修行法を教えてもらったのだった。書物から得られた知識をどのように生活に役立てられるかは、実際に試してみるしか他ないのだ。植物の種を植える。そこから芽が出る。その芽は、やがて食べ物を与えてくれるかもしれないし、観賞用の花を咲かせてくれるかもしれない。または、さまざまな薬効作用があるかもしれない。さまざまな組み合わせがあって、それを見極めて行くにつれて、やがて、そこに荒れ果てた農・山村ではなく、田園が生じているであろう。植物学という専門に縛られていては、おそらく農・山村を活性化することにはつながらない。食べ物ができれば、さまざまな料理に活用する。花が咲くようになれば、人が集まるような庭園を拵えてみる。薬効作用がでれば、抽出して、薬剤の特許をとってもよい。さまざまな芽が、学問の可能性から見出されるのだ。そこには、人と人とのつながりが生じてくる。そこに必要なものが、人倫というもので、儒学にくわしい。日本語の道徳の言葉は、儒学から多様しているから、儒学を取ってしまえば、今の日本人のように道徳観念が狂ってしまうことは当然である。
 冬月は、漱石山人の『門』の安井みたいに落ちていきそうだったが、ここは使命感に踏みとどまって、同じ安井でも、安井息軒翁になってやるくらいの意気込みを持った。安井息件は、この振徳堂にて、父・滄洲とともに教鞭をとっている。そして、藩命で九州各地を廻り、『観風抄』を著している。柳田國男もそうだし、司馬遼太郎も紀行文を書いている。息軒は、江戸に出て三計塾を開き、自治自活を唱えていた。三計とは、「一日の計は朝にあり、一年の計は春にあり、一生の計は少壮の時にあり」ということである。さて、冬月は、これからの人生をどのようにするのであろうか。選択の時が近づいていた。

                                つづく

※この作品は、作者の虚構に基づく完全なフィクションであり、登場する団体、職名、氏名その他において、万一符号するものがあっても、創作上の偶然であることをお断りしておきます。


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