平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

日本の四季を大切にしよう。引越し先でも閲覧可。下の一言が入り口↓ 容量2GBを超えたので引越ししたよ。

環境問題

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環境問題は、多数の観測地点とかなりの分析能力と何十年もの気象データを総合して判断しなければならない難しさがある。

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科学技術の転換

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 言葉でいうことは簡単である。そして、科学技術の促進は期待できないという。しかし、それは科学技術における発想の転換から始めないから、どうしようもないのである。今の社会の根幹の科学技術は、エネルギーを使用することを前提に構築されている。そして、そのエネルギーが最終的に熱になって大気に放出されるということによって、科学技術の分野は終わってしまう。しかし、それまでは自然に後はまかせておけば、なんとかなるだろうという思考のもとで、考えることを止めてしまっていた。これでは、考え方が未熟であるのだった。頭の中ではリサイクルとか、自然環境を大切にとか言っているけれど、何気なく使っている電気、自動車、ガスなんかの原理は、まだまだ放出系の域をでていないことにきづかなければならない。つまり、やりかけて終わってしまっているのだ。排気ガスの行方、熱エネルギーの行方、こういった後始末を残してしまった。それを使用するときは便利に見えるのだが、その後に襲ってくるゴミの後始末や自然災害の方で、あらかたの便利さは吹っ飛んでしまった。掃除・洗濯は物が多くなりすぎて仕事が増えて、ゴミの分別なんかも手間がかかってどうしようもなくなっている。これが本当の便利というものかは問題視しなければならないだろう。政府も循環型社会というけれども、従来の放出型社会から循環型社会へと転換する方策は、会社や市民に浸透していない。エネルギーの効率的な循環ができなかったら、省エネルギーをして暮らすしかない。そういった世の中は、もっと静かで穏やかな社会になるにちがいあるまい。しかし、現代人の思考はパワー重視の思考なんである。だから、これだけエネルギーが地球に満ちても、まだそのままの惰性で動き続けている。これは封建時代の慣習の惑溺と同じようなものなんである。すでに、方向転換を終えていなければならない時期に、今までどおりの慣習に流されているとは・・・。だが、一向に物事が進まないのにも理由がある。この暑さである。人間の頭脳というものは、これもエネルギーを大量に消費するものだから、熱を帯びるのだ。だから、涼しい環境ほど頭脳の働きは活発になる。イギリスで産業革命が起こったのも、頭脳が活発に働ける涼しさを持っていたからである。しかし、ここまで熱くなると、頭脳の働きは低下して、一度記憶しても、それを実行する段階で、ぼやけてしまう。そうなると、わかっちゃいるけど、やめられないという状態になってくる。南国にいくほど、のんびりと何にも考えない雰囲気がある。それは、汗が出すぎて、頭が廻らないのである。薩摩人はどっしりしていて、長州人は知的スマートであるという気質はそういうところからきていたのかもしれない。どっしりとしているということは我慢強いということだ。しかし、科学技術を使用しているtということは、やはり頭を使っていかねばならないということであるので、暑くても仕方がない。すると、クーラーをつける。クーラーをつければ、外は暑くなるという悪循環である。クーラーの廃熱口をつなげ合わせて、熱を蓄積できればといつも思う。ヒートポンプというものもある。無駄なエネルギーのでないように文明機器を発達させる必要もある。都会ではそこまでしないと仕方がないが、田舎では樹木を植えることによって、涼しさを得る事ができる。樹木のない庭と樹木のある庭では風の涼しさが随分違う。クーラーの変わりに樹木を利用できる。そのためには、どの位置に樹木を置くかが決め手となる。都会も田園都市計画をつくって、樹木と科学技術も双方で熱エネルギーを食い止めるべきであるのだ。

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洪水

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 地球温暖化なんだけど、やっぱり熱が溢れている。植物を植えれば、二酸化炭素の方は抑制させることができるけれども、水の方が増加してしまうようだ。地球の四分の一の砂漠化が進めば、残りの四分の三に水分が集まっていく。氷が解けて、海に流れれば、蒸発して、森林に降り注ぐ。森林からは多数の水蒸気が放出され、雲がたくさん形成される。雲は上に行くほど氷結して、塊になる。塊になると重力に逆らえずに、降下して水滴になり雨として降る。そういった具合だから地上から13km以上に水分が逃げることはできない。植物を植えれば、大気の二酸化炭素の増加は防げるが、植物の分布が均等でなく、森林地帯と砂漠地帯のように分かれていれば、洪水が頻発する。だから、水資源が均等に分配されるように、森林地帯も均等に配置されていなければならないだろう。最近一年で、震度三以上の地震は百五十以上も起こっているようだ。心配してしまう。まあ、それぞれの物質の位相をそれぞれに見ていかねばならないから、複雑系は難しい。つまり、あちらをたてれば、こちらがたたずといった具合が必ず生じてくるのだ。物質間の問題はそれぞれであるが、やはり熱エネルギーが増加しすぎているということが問題であるのだ。ガス湯沸かし器が一酸化炭素を放出して中毒をだせば、その商品は欠陥品ということになる。それならば、室内だけを冷却して、外部を温暖化するクーラーなんかも、欠陥商品ということになろう。つまり、今の科学技術の製品はまだ未完成品であるということである。外部に放出する熱エネルギーをなんとかしてこそ、完成した製品といえる。熱エネルギーを電気エネルギーに変えたり、熱エネルギーを光エネルギーに変えたりする。熱→光→電気という構図ならばかのうだろうか。そうやって、エネルギーの放出でなく、循環を原理として、大気に洩らさないような工夫が必要であろう。植物の体内はエネルギーを次々と渡すことによって、効率よくエネルギーを使っている。現代科学ではエネルギーを熱、光、電気とかに分類してしまったことで、それぞれが別々のエネルギーだと錯覚しているようだ。物事を分別することによって、本質は同じものであるが、一体何だかわからなくなっていってしまった。それが科学の科学であろう。水の場合、熱エネルギーが増えると、雲になって、雨を降らすようになるのだ。

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オイルピーク論争

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 石油業界に詳しい専門家の予測によると、一世紀以上にわたって増加し続けていた石油の生産量が、今

年、おそらく来年――ほぼ確実なところでここ10年以内――にはピークを迎え、下り坂に転ずると言われ

ている。そして、その後は、ひたすらに減少していくと見込まれている。石油価格は一気に上昇し、主な

石油消費国は、材料費の高騰による壊滅的なインフレ、失業者の増加、経済不安に見舞われてしまう。ド

ライブが大好きな吾輩は、ガソリン価格がこれ以上高くなると困るのだ。まあ、このオイルピーク論争

は、今の環境異変に対して改善しようという心ある意見がもとになっている。石油を燃料として燃やした

り、プラスチックを形成したりするときに、多量の二酸化炭素や熱エネルギーが出る。これが地球温暖化

の原因の一つである。だから、石油を消費したら、熱くなるのである。そして、石油を消費した分を補う

ためには、光合成によって石油のもとであるさまざまな有機化合物を生成するために、植物を植えて森林

を回復しなければならないだろう。もし、植物を植えて森林を回復しなければ、石油の生産量を下げて

、石油の消費を抑えて、これ以上の温暖化の進展を抑えなければいけない。今のままでは、森林の生成よ

りも破壊の方が進みつつあるのだ。これは、石油燃焼などによるエントロピーの増大に、森林や人間社会

が対抗仕切れないでいるからである。だから、地球環境の秩序が乱れ始めている。

 一方、石油の枯渇説に疑問を呈するものも多い。石油アナリストのほとんどは、生産量は少なくともあ

と三十年は増加し続けると考えている。業界の生き残りをかけては、そのように言うべきかも知れない

が、確実に地球環境の寿命を縮めてしまう結果を生み出すだろう。ヒート・アイランド、大雨、竜巻、大

型台風、氷解など、大きな災害が起きやすいのは、地球の大気内に膨大なエネルギーが逃げ場をなくし

て、渦巻いているからだ。それを自然現象の法則は、寸分の狂いもなく正確に発動している。だから、こ

れ以上、石油のような化石燃料を燃焼させることによって、エネルギーの発散を続けたならば、大気だけ

でなく、地盤のほうにも変化を引き起こすかもしれない。大気にも、海にも、エネルギーが飽和すれば、

土壌に影響を与え始めるであろう。そうなってしまえば、日本列島はどのようになるかわからない。『日

本沈没』というサイエンス・フィクションもあながち幻想でなくなってしまうかもしれない。確かに、二

十年前に比べたら、環境災害の規模が大きくなっている。まだ、地盤に影響が起きるほどの大きな災害は

ないが、少しづつ災害の影響が積み重なれば、やがて、大きな地殻変動もおきるかもしれない。それが心

配ではある。大抵の人間は災害が起こってしまってから後悔する。でも、人類に叡智があるのならば、必

ず最善を尽くして、環境の改善を伴わして環境問題を解決するだろう。そのためには、森林の回復という

ことを、産業として育成・推進しなければならない。これは国家レベルだけでなく、国連でも推進しなけ

ればならないだろう。森林を回復させねば、石油を燃やした分の有機化合物の産生によるエネルギー放出

の抑制ができない。光合成の人工生成を待っていては、手遅れになる。手遅れになってからでは遅いの

だ。だから、吾輩は出来るだけ、空気中の二酸化炭素を植物に取り込ませて、酸素を放出させるために、

植物を育てるのだ。植物のような生活をすれば、生体活動のエネルギー放出も抑えられる。ここに、質素

倹約の功があるのだ。いろいろと知識を知っていても、暑さを和らげ、大雨を少なくする方法は見つけら

れない。ならば、そのような無駄な知識は知らないほうがマシかも知れない。ただ、知識によって、富の

多少を決めるだけに使われているのだ。だから、国家も、地球もボロボロになってしまっているのだ。

   http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20050603104.html

 林野庁と環境省が提携して林業を環境産業化する。そのためには、樹木も役に立つものを選んで多数植

えるようにしたい。森林が保全されれば、生活環境もよくなり、健康もよくなるので、厚生労働省も協力

する必要がある。農林水産省と厚生労働省の連携で、食糧の自給と安全性を向上させる。食糧も元はとい

えば、自然環境から生み出されるのだ。環境産業を活性化させるためには、経済産業省の役割も落とせな

いだろう。つまり、国家を挙げてのプロジェクトがなければ、環境立国の産業化は達成できないというこ

とだ。内閣では、各省庁がどのように連携すれば、このような人類や日本を存続させられるようなプロジ

ェクトを遂行できるようになるかを議論すべきであるのだ。この環境産業が成熟すれば、地球温暖化や森

林破壊などを食い止めることが出来るだろう。しかし、まだ、高度経済成長のときのような物質の生産や

消費や廃棄によって、利益を追求しようとするならば、もはや道はないだろう。そうなれば、やはり教育

を文部科学省でしっかりしなければならない。教育は国家の礎だから、肉体を鍛練して、使える知識を教

えねばならないだろう。健康のためには、食事、運動、睡眠が大事であるから。楽をして、健康を得られ

るということはないので、労働の大切さを教えるべきだろう。吾輩の世代は、いかにして楽になるのかを

追求していたようである。だから、早死にするものがおおいにちがいない。それに、さまざまな汚染物質

にさいなまれているだろう。だから、次の世代を後世に残すかどうかで、本能的に戸惑っている。だが、

人間には知恵があるから、今までの生き方ではやっていけないと感覚でわかっているはずである。外は、

暑い。どしゃぶりで、がけ崩れだが、予算がないからほったらかしだ。このままでは、悪いと思っていて

も、続けるのならば、それは猿のやることだろう。いや、すでに猿以下になっておろう。贅沢中毒にかか

っては、人類は経済によって滅亡することになる。経済が足かせになって、自分達の生活を脅かすのなら

ば、振興すべき産業と、振興すべきでない産業に分別できるだろう。今、やらなければ、三十年後の未来

には、地球の面影が随分変わっているかもしれない。

                                        霧山人

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 日本の国土は豊かで、ほとんど自給自足できる土地であった。日本に資本主義が入ってきたけれども、

ほとんどの日本人は自分たちの村々で自分たちの用途をまかなっていた。ここに大規模な商業資本が入る

術はなかった。そこで農村の破壊が求められる。農村を破壊して自給自足を打ち壊し、サラリーマン化し

て、賃金を与え、消費者にする必要があった。そのためには、環境を破壊して、自然と共に生きるという

ことができないようにする必要があった。そこに公害が生じた。自然から恩恵を与えられないとなれば、

人々はお店にまわるしかない。お金を求めるしかない。人々が自給自足できないように、森林を伐採して

材木にしかならないスギ林にして、その他の自然の恩恵をうち捨てさせられたのだった。これで、林業も

資本主義の中に組み込まれた。だが、素材生産者はさんざんであったのだ。環境破壊の目的は、人々を資

本主義の社会になだれこませることにあった。しかし、すでに自然環境は人間の耐えることのできないく

らいに変貌してしまった。また、さまざまな税金を上げ、賃金据え置きで、お金をを求めさせ、生活向上

したいという願望を過度の労働へ転換させるという手法が、この社会のやり方である。

                                  霧山人

やっぱり

相当、中国大陸の自然環境は厳しいんじゃないかなぁ。日本の梅雨入りが悪いのは、中国大陸の乾燥化が

原因じゃなかろうかと思う。昔の大陸の衛星写真と現在の大陸の衛星写真を見比べてみたいものだ。黄河

の水不足もそうだが、長江の方はどうなんだろうか。治水がかなりやばいんじゃないだろうか。中国大陸

の環境は、かなり日本にも影響を与える。だから、日本人が環境問題の解決の為に、人的支援をおこなえ

ればよいなぁと思う。それにしても、暑過ぎる。異常気象だ。霧島山中は、わけがわからん。雨も降った

りやんだり、別に30℃くらいじゃなんとも感じない。クーラーはいらない。汗もでないし、のども渇か

ない。ただ、眠いなあ。森に覆われたところにいるのが、落ち着くのだ。都会の殺風景は死にそうだ。ひ

っそりと佇むのがいい。ぼんやりと沈むのがいい。っていうか、暑くてぼーっとしているだけなんじゃな

いと突っ込まれそうなのだ。しかし、ま、南国とはそういうもんだろう。景気もなんだか、朦朧としてく

るね。しかし、中国は何とかならないのだろうか。眠…      

                                  霧山人

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