平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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悠塾の心得

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『文明論之概略』 福澤諭吉 1875(明治八年)
『氷川清話』   勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉 
   1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』   福澤諭吉 1997(明治三十年)

明治の時代背景を考慮して読んでいただきたい。


 丸山真男によれば、福澤諭吉は「脱亜入欧」なんて言っていないらしい。儒教の道徳は、ちゃんと認めていた。
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平気で澄ましこむ余裕

 困苦艱難に際会すると、誰でもここが大切の関門だと思って、一生懸命になるけれど、これが一番の毒

だ。世間に始終ありがちの困難が、いちいち頭脳にこたえるようでは、とても大事業はできない。ここは

シナ流儀に平気で澄ましこむだけの余裕がなくてはいけない。そう一生懸命になっては、とても根気が続

かん。世路の険悪観来って坦坦たる大道のごとくなる練磨と余裕とが肝要だ。

 人間は、難局に当ってびくとも動かぬ度胸がなくては、とても大事を負担することはできない。今の奴

等は、やもすれば、智慧をもって、一時のがれに難関を切り抜けようとするけれども、智慧には尽きる時

があるから、それはとうてい無益だ。

 (『氷川清話』より )

根気

 根気が強ければ、敵もついには閉口して、味方になってしまうものだ。確乎たる方針をたて、決然たる

自信によって、知己を千載の下に求める覚悟で進んでいけば、いつかは、わが赤心の貫徹する機会が来

て、従来敵視していた人の中にも、互いに肝胆を吐露しあうほどの知己ができるものだ。区々たる世間の

毀誉褒貶を気にかけるようでは、とうてい仕方がない。

 そこへいくと、西郷などは、どれほど大きかったかわからない。高輪の一談判で、おれの意見を通して

くれたのみならず、江戸全都鎮撫の大任までを一切おれに任せておいて少しも疑わない。そのほかむつか

しい事件でも持ち上がると、すぐにおれのところへおおせかけて、「勝さんが万事くわしいから、よろし

くお願いします」などと澄ましこんで、昨日まで敵味方であったという考えは、どこかへ忘れてしまった

ようだった。その度胸の大きいには、おれもほとほと感心したよ。あんな人物に出会うと、大抵なもの

が、知らず識らずその人に使われてしまうものだ。小刀細工や、口頭の小理屈では、世の中はどうしても

承知しない。

 (『氷川清話』より )

無用意

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 世に処するには、どんな難事に出会っても臆病ではいけない。さあ何ほどでも来い。おれの身体がねじ

れるならば、ねじってみろ、という了見で、事をさばいてゆく時は、難事が到来すればするほど面白みが

付いてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ。何事でも大胆に、無用意に、打ちかからなければ

いけない。どうしようか、こうしようか、と思案してかかる日には、もういけない。むつかしかろうが、

易かろうが、そんなことは考えずに、いわゆる無我という真境に入って無用意で打ちかかってゆくのだ。

もし成功しなければ、成功し続けるところまで働き続けて、決して間断があってはいけない。世の中の人

は、大抵事業の成功するまでに、はや根気が尽きて疲れてしまうから、大事ができないのだ。

 (『氷川清話』より )

坐忘の必要

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 人は何事によらず、胸の中から忘れきるということができないで、始終それが気にかかるということで

は、勿々たまったものではない。

 いわゆる坐忘といって、何事もすべて忘れてしまって、胸中濶然(広い心)として一物を留めざる境界

に至って、始めて万事万境に応じて、縦横自在の判断が出るのだ。しかるに胸に始終気がかりになるもの

があって、あれの、これのと、心配ばかりしていては、自然と気が飢え神が疲れて、とても電光石火に起

り来る事物の応接はできない。全体、事の起らない前から、ああしようの、こうしようのと、心配するほ

ど馬鹿げた話はない。時と場合に応じてそれぞれの思慮分別は出るものだ。

 第一自分の身の上について考えて見るがよい。誰でも始め立てた方針どおりに、きちんとゆくことがで

きるか、とてもできはしない。元来人間は、明日のことさえわからないというではないか。それに十年も

五十年も先のことを、画一の方針でもってやろうというのは、そもそも間違いの骨頂だ。それであるか

ら、人間に必要なのは平生の工夫で、精神の修養ということが何より大切だ。いわゆる心を明鏡止水のご

とく研ぎ澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うてきても、それに処する方法は、自然と胸に

浮かんでくる。いわゆる物来たりて順応するのだ。おれは昔からこの流儀でもって、種々の難局を切り抜

けてきたのだ。
 
 (『氷川清話』より )

活学問の仕方

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 活学問(いきがくもん)にも種々仕方があるが、自分のこれまでの経歴を顧み、これを古来の実例に照

らして、徐(しず)かにその利害得失を講究するのが一番近路だ。そうすれば、きっと何万巻の書を読破

するよりもまさる功能があるに相違ない。区区たる小理屈は、誰か学者先生をとらえてちょっと聞けばす

ぐわかることだ。箇中の妙味は、また一種格別のもので、おれの学問というのは、大概この寝学問だ。し

かし俗物には、この妙味がわからないで、理屈づめに世の中のことを処置しようとするから、いつも失敗

のし続けで、そうして後では大騒ぎしている。実に馬鹿げた話ではないか。

 おれなどは、理屈以上のいわゆる呼吸というものでやるから、容易に失敗もせぬが、万一そういう逆境

にでも陥った場合には、じっと騒がずに寝ころんでいて、また後の機会がくるのを待っている。そしてそ

の機会がきたならば、すかさずそれをとらまえて、事に応じ物に接してこれを活用するのだ。つまり、こ

れが真箇の学問というものさ。

 ( 『氷川清話』より )


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