平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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悠塾の心得

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『文明論之概略』 福澤諭吉 1875(明治八年)
『氷川清話』   勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉 
   1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』   福澤諭吉 1997(明治三十年)

明治の時代背景を考慮して読んでいただきたい。


 丸山真男によれば、福澤諭吉は「脱亜入欧」なんて言っていないらしい。儒教の道徳は、ちゃんと認めていた。
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 常備の兵数も、亦会計の制限に由る、決して無限の虚勢を張る可からず。兵気を鼓舞して精兵を仕立て

なば、兵数は寡くとも、折衝禦侮共に事欠く間敷也。


 常備する兵数すなわち国防の戦力ということであっても、また会計の制限の中で処理すべきで、決して軍備を拡張して、からいばりしてはないらない。兵士の気力を奮い立たせて優れた軍隊をつくりあげるならば、たとえ兵の数が少なくても外国との折衝にあたっても、また、あなどりを防ぐにも事欠くことはないであろう。

                             霧山人

品行家風10

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 また私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからといって、特に誉めるほどのことでもない。世の中に品行方正の君子は幾らでもある。私もまた、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自ら信じているが、さてまたこれが妙なもので、社会の交際に関係するところは甚だ広くて、意外の辺に力を及ぼすことがあるその一例を申せば、旧藩の奥平家に対して私は如何なる者ぞと尋ぬるに、見る影もなき貧小士族が、洋学などを修業して異様な説を唱え、或いは外国に行き、また或いは外国の書を翻訳して大言を吐き散らし、あまつさえ儒流を軽蔑して憚るところを知らずといえば、これはいわゆる異端外道に違いない。同藩一般の見るところでこの通りなれば、藩主の奥なんぞにはドンナ報告が這入っているか知れない。とにかくに福澤諭吉は大変な奴だと折り紙が付いていたに違いない。ところが物換り星移り、段々一般西洋流の喧しい今日、福澤もマンザラでなし、あるいはこれを近づけて何かの役に立つこともあろうというような説がチラホラとわいて来たその時に、嶋津祐太郎という奥平家の元老は、すこぶる事のよくわかる、いわば卓識の君子で、時勢の緩急を視察して、コリャ福澤を疎外するは不利であるということに着眼している折柄、奥平家の大奥に芳蓮院様という女隠居がある、この貴婦人は一橋家から奥平家に下って来た由緒ある身分で、もはや余程の老年でもあり、一家無上の御方様と崇められている。ソコデ嶋津がまずそのご隠居様に対して色々西洋の話をする中に、かの国には文学武備、富国強兵、医術も精しく航海術も巧みなり、その中には随分日本の風俗習慣に違ったことも数々ありますが、ここに西洋流儀に不思議なるは男女の間柄で、男女相互いに軽重なく、如何なる身分の人でも一夫一婦に限っています、これだけは西洋の特色でござるというところを持ち込んだところが、その御隠居様も若い時には直接に身に覚えがある。この話を聞いて心を動かさずにはいられない。あたかも豁然発明した様子で、ソレカラ福澤を近づける気になって、次第々々に奥向きの方に出入りの道が開けて、御隠居様をはじめいわゆる御上通りの人に会うてみれば、福澤の外道もただの人間で、角も生えていなければ尻尾のある者でもない、至極穏やかな人間だというところからして、段々懇親になったというその話は、程経て後に内々嶋津から聞きました。シテみると一夫一婦の説も隠然の中には随分勢力のあるもので、ついては今の世に多妻の悪弊を除いて文明風にするなんと論ずるは野暮だというような説があるけれども、畢竟負け惜しみの苦しい遁げ口上で取るに足らない。一夫一婦の正論決して野暮でない、世間の多数は同主義で、殊に上流の婦人はことごとく此方の味方であるから、私の身がこの先き何時まで生きているか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンナ奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取り締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にしてやろうと思っています。

 (『福翁自伝』 品行家風 一身の品行またおのずから効力あり より )

品行家風9

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 また親子の間は愛情一遍で、何ほど年を取っても互いに理窟らしい議論は無用の沙汰である。これは私も妻も全く同説で、親子の間をなるたけ離れぬようにするばかり。例えば先年、長男次男が六年の間アメリカに行っていましたその時に、アメリカの郵船が一週間に大抵一度、時としては二週間に一度というくらいの往復でしたが、子供両人の在米中、私は何か要用のときは勿論、たとい用事がなくても、毎便必ず手紙を遣らないことはない。六年の間、何でも三百何十通という手紙を書きましたが、私が手紙を書き放しにして家内が校合方になって封じて遣るから、両親の親筆に相違ない。彼方の子供両人も飛脚船の来る度に必ず手紙をよこす。このことは両人出発の節堅く申し付けて「留学中手紙は毎便必ず必ず出せ、用がなければ用がないと言ってよこせ、また学問を勉強して半死半生の色の青い大学者になって帰って来るより、筋骨逞しき無学文盲なものになって帰って来い、その方が余程喜ばしい。(学問をすることは当然であるから方便。霧山人注)仮初にも無法なことをして勉強し過ぎるな。倹約はどこまでも倹約しろ、けれども健康に係わるというほどの病気か何かのことに付き、金次第で如何にもなるということならば、思い切って金を使え(健康第一。霧山人注)、少しも構わぬから」とこういうのが私の命令で、ソンナことで六年の間学んで二人とも無事に帰って来ました。

 (『福翁自伝』 品行家風 三百何十通の手紙 より )

品行家風8

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 さてまた子供の教育法については、私はもっぱら身体の方を大事にして、幼少の時から強いて読書などさせない。まず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義であるから、生れて三歳五歳まではいろはの字も見せず、七、八歳にもなれば手習をさせたりさせなかったり、マダ読書はさせない。それまではただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気を付けてやり、また子供ながらも鄙劣なことをしたり賤しい言葉を真似たりすればこれを咎めるのみ、その外は一切投げやりにして自由自在にしておくその有様は、犬猫の子を育てると変わることはない。すなわちこれがまず獣身を成すの法にして、幸いに犬猫のように成長して無事無病、八、九歳か十歳にもなればソコデ初めて教育の門に入れて、本当に毎日、時を定めて修業をさせる。なおその時にも身体のことは決して等閑にしない。世間の父母は動もすると勉強々々と言って、子供が静かにして読書すればこれを賞める者が多いが、私方の子供は読書勉強しついぞ賞められたことはないのみか、私は反対にこれを止めている。子供は既に通り過ぎて今は幼少な孫の世話をしているが、矢張り同様で、年齢不似合に遠足したとか、柔術体操がエラクなったとかいえば、褒美でも与えて賞めてやるけれども、本を読むと言って賞めたことはない。既に二十年前のことです、長男一太郎と次男捨太郎と両人を帝国大学の予備門に入れて修学させていたところが、とかく胃が悪くなる。ソレカラ宅に呼び返して色々手当すると次第に宜くなる。宜くなるからまた入れるとまた悪くなる。とうとう三度入れて三度失敗した。その時には田中不二麿という人が文部の長官をしていたから、田中にも毎度話をしました。私方の子供を予備門に入れて実際の実験があるが、文部学校の教授法をこのままにやって行けば、生徒を殺すにきまっている。殺さなければ気狂いになるか、然らざれば心身共に衰弱して半死半生の片輪者になってしまうに違いない。丁度この予備門の修業が三、四年かかる、その間に大学の法が改まるだろうと思って、ソレを便りに子供を予備門に入れておくが、早く改正してもらいたい。このままで置くならば東京大学は少年の健康屠殺場と命名して宜しい。早々教授法を改めてもらいたいと、懇意の間柄で遠慮なく話はしたが、何分埒が明かず、子供は相変わらず三ヶ月やって置けば三ヶ月引かして置かなければならぬというような訳けで、何としても予備門の修業に堪えず、私も遂に断念してしもうて、それから此方の塾(慶応義塾なり)に入れて普通の学科を卒業させて、アメリカに遣って彼の大学校の世話になりました。私は日本大学の教科を悪いと言うのではない、けれども教育の仕様が余り厳重で、荷物が重過ぎるのを恐れて文部大学を避けたのです。その通りで今でも説は変えない、何としても身体が大事だと思います。
 (『福翁自伝』 品行家風 体育を先にす より )

品行家風7

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 ソレカラまた私に九人の子供があるが、その九人の中に軽重愛憎ということは真実一寸ともない。また四男五女のその男の子と女の子と違いのあられよう訳けもない。世間では男子が生まれると大層めでたがり、女の子でも無病なればまずまずめでたいなんて、おのずから軽重があるようだが、コンナ馬鹿げたことはない。娘の子なれば何が悪いか、私は九人の子がみんな娘だって少しも残念と思わぬ。ただ今日では男の子が四人、女の子が五人、宜い塩梅に振り分けになっていると思うばかり、男女長少、腹の底からこれを愛して兎の毛ほども分け隔てはない。道徳学者は動もすると世界中の人を相手にして一視同仁なんて大きなことを言ってるではないか。まして自分の生んだ子供の取り扱いに、一視同仁が出来ぬというような浅ましいことがあられるものか。ただ私の考えに、総領もその他の子供も同じとは言いながら、私が死ねば総領が相続する、相続すればおのずから中心になるから、財産を分配するにも、外の子に比較して一段手厚くして、また何か物があって、兄弟中誰にも遣りようがない、ただ一つしかないというような物は、総領の一太郎が取って宜かろうというくらいのことで、その外には何も変わることはない。例えばこういうことがある。明治十四、五年の頃、月日は忘れたが、私が日本橋の知る人の家に行ってみると、その座敷に金屏風だの蒔絵だの花活だのゴテゴテ一杯に列べてある。コリャ何だと聞いてみれば、アメリカに輸出する品だと言う。それから私が不図した出来心で、この品を一目見渡して私の欲しいものは一品でもない、皆不用品だが、また入用と言えば一品も残さず皆入用だ、とにかくにこれをアメリカに積み出して幾らの金になれば宜いのかソレは知らぬけれども、売ると言えばみな買うがどうだ、買ったからと言ってソレをまた儲けて売ろうというのではない、家にしまい込んでおくのだと言うと、その主人もただの素町人でない、なるほどそうだな、コリャ名古屋から来た物であるが、アメリカに遣ってしまえばこれだけの品がなくなる、お前さんのところに遣れば亡くならずにあるから売りましょう、ソンナラみな買うと言って、二千二、三百円かで、何百品あるか碌に品も見ないでみな買ってしまったが、それから私がその品を見て楽しむではなし、品柄もよく知らず数も覚えず、ただ邪魔になるばかりだから、五、六年前のことでした、九人の子供に分けて取ってしまえと申して、子供がワイワイ寄って、その品を九に分けて、ソレを籤で取って、今ではみな子供が銘々に引き受けて、家を持っている者は家に持って行く者もあり、マダ私のところの土蔵の中に入れてあるのもある、というのがおよそ私の財産分配法で、如何にもその子に圧薄というものは一寸ともないのですから、子供の中に不平があろうたッて有られた訳けのものでないと思っています。

 (『福翁自伝』 品行家風 子女の間に軽重なし より )


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