平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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悠塾の心得

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『文明論之概略』 福澤諭吉 1875(明治八年)
『氷川清話』   勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉 
   1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』   福澤諭吉 1997(明治三十年)

明治の時代背景を考慮して読んでいただきたい。


 丸山真男によれば、福澤諭吉は「脱亜入欧」なんて言っていないらしい。儒教の道徳は、ちゃんと認めていた。
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 ソコデあるとき奥平藩の家老が態〃私を呼びによこして、さて言うよう「足下は近来某々の家などに毎度出入りして、例の如く夜分遅くまで酒を飲んでいるとの風聞、某家には娘もあり、某家は何時も芸妓など出入りして家風が宜しくない、足下がそんなところに近づいて醜声外聞とは残念だ、君子は瓜田に履を結ばず李下に冠を正さずということがある、年の若い大事な身体である、少し注意いたしたら宜しかろう」と、真面目になって忠告したから、私はそのとき少しも謝らない。「左様でございますか、コリャ面白い。私は今まで随分太平楽を言ったとか、恐ろしい声高に話をしていたとか言って、毎度人から嫌がられたこともありましょうが、しかし色男と言われたのは今日が生れて初めて。コリャ私の名誉で、至極面白い話だから私はやめますまい。相変わらずその家に出入しましょう。ここで御注意を蒙ってそれで前非を改めてやめるなんて、ソンナ弱い男ではござらぬ。但し御親切は有難い、お礼は申し上げましょうが、実は私は何とも思わぬ。却って面白いから、モット評判を立てて貰いたい」と言って、冷やかして帰ったことがあります。

 (『福翁自伝』 品行家風 醜声外聞の評判却って名誉 より )

嫌疑を憚らず

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 そういう訳けで、私は若い時から婦人に対して仮初にも無礼はしない。仮令い酒に酔っても謹むところはきっと謹み、女の忌がるような禁句を口外したことはない。上戸本性で、謹みながら女を相手に話もすれば笑いもして談笑自在、いつも慣れ慣れしくして、その極は世間で言う嫌疑というようなことを何とも思わぬ。血に交わりて赤くならなぬこそ男子たる者の本領えあると、チャント自分に説をきめてあるから、男女夜行くときは灯を照らすとか、物を授受するに手より手にせずとか、アンナ古めかしい教訓は、私の眼から見るとただ可笑しいばかり。さてもさても卑怯なるかな、ソンナ窮屈なことで人間世界が渡れるものか、世間の人が妙なところに用心するのはサゾ忙しいことであろう、自分は古人の教えに縛られる気はないと、自ら自分の身を信じて颯々と人の家に出入りして、そこにお嬢さんが居ようと、若い内君がひとり留守して居ようと、または杯盤狼籍の席に芸妓とか何とかいう者が騒いでいようと、少しも遠慮はしない。酒を飲んで大きな声をしてドンドン話をして、酔えば面白くなって戯れているというような風であるから、あるいは人が見たらば変に思うこともありましょう。

 (『福翁自伝』 品行家風 嫌疑を憚らず より )

品行家風4

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 こういうような次第で、一寸と人が考えると私は奇人偏屈者のように思われましょうが、決してそうでない。私の性質は人に付き合いして愛憎のない積りで、貴賎貧富、君子も小人も平等一様、芸妓に逢うても女郎を見ても、ちりもほこりもこれを見て何とも思わぬ。何とも思わぬから困ることもない。此奴は汚れた動物だ、同席は出来ないなんて、妙な渋い顔色して内実プリプリ怒るというようなことは決してない。古いむかしの事であるが、四十余年前、長崎に居るとき、光永寺という真宗寺に同藩の家老が滞留中、ある日、市中の芸妓か女郎か五、六人も変な女を集めて酒宴の愉快、私はそのとき酒を禁じているけれども陪席御相伴を仰せ付けられ、一座杯盤狼藉の最中、家老が私に杯をさして「この酒を飲んで、その杯を座中の誰でも宜しい、足下の一番好いている者へさすが宜かろう」と言うのは、実はそこに美人が幾人も居る、私がその杯を美人にさしても可笑しい、わざと避けてささなくても可笑しい、きっと困るであろうと嬲るのはチャントわかっている。ところが私は少しも困らない。杯をグイト干して「大夫さんの命に従い一番好いた人に上げます、ソレ高さん」と言って杯をさしたのは、六、七歳ばかりの寺の末子で、私が瀉蛙々々として笑っていたから家老殿も興にならぬ。すでに今年春ジャパン・タイムス社の山田季治が長崎へ行くと聞き、不図光永寺のことを思い出して、あの寺はどうなっているか、高さんという小僧があった筈だが、どうしているか尋ねてみたいと申したら、山田の返事に、寺は旧の通り焼けもせず、高さんも無事息災、今は五十一歳の時だから、計えてみると高さんは七歳でしたろう。恐ろしい古い話です。

 (『福翁自伝』 品行家風 小僧に盃をさす より )

品行家風3

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 文久三年緒方先生不幸のとき、下谷の自宅出棺、駒込の寺に葬式執行のその時、上野山内を通行して、初めて上野という所を見た。すなわち私が江戸に来てから六年目である。「なるほどこれが上野か、花の咲く所か」と、通行しながら見物しました。向島もその通りで、江戸に来てから毎度人の話には聞くが、一度も見たことがない。ところで明治三年、ひどい腸チフスをわずらい、病後の運動には馬に乗るのが最も宜しいと、医者も勧め朋友も勧めたので、その年の冬から馬に乗って諸方を乗り回し、向島という所も初めて見れば、玉川辺にも遊び、市中内外行かれる所だけはどこでも乗り回して、東京の方角も大抵わかりました。その時に向島は景色もよし道もよし、毎度馬を試みて、向島を回って上野の方に帰って来るとき、何でも土手のような所を通りながら、アアあれが吉原かと心付いて、ソレではこのまま馬に乗って吉原見物をしようじゃないかと言い出したら、連騎の者が場所柄に騎馬では余り風が悪いと止めて、ソレ切りになって未だに私は吉原という所を見たことがない。

 (『福翁自伝』 品行家風 初めて上野向島を見る より )

品行家風2

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 ソレカラ国を去って長崎に行き大阪に出てその修業中も、ワイワイ朋友と共に笑い共に語って浮々しているようにあるけれども、身の行状を慎み品行を正しくするということは、努めずして自然にソレが私の体に備っていると言っても宜しい。モウそれはさんざんな乱暴な話をして、大言壮語至らざるところなしという中にも、嫌らしい汚い語ということは一寸とでもしたことがない。同窓生の話によくあることで、昨夜北の新地に遊んでなんというようなことを言い出そうとすると、私は態とそこを去らずに大胡坐をかいてワイワイとその話を打ち消し「馬鹿野郎、余計なことを口走るな」というような調子で雑ぜ返してしまう。ソレカラ江戸に出て来ても相変わらずその通り、朋友も多いことだから相互いに往来するのは普段のことで、頻りに飛び回っていたけれども、さて例の吉原とか深川とかいうことになると、朋友共が私に話をすることが出来ない。その癖私はよく事情を知っている。まことに事細かに知っているその訳けは、小本なんぞ読むにも及ばず、近く朋友共が馬鹿話に浮かれて饒舌るのを、黙って聞いていれば容易にわかる。六つかしいことも何にもない、チャンと呑み込んで知っているけれども、如何なこと、左様なことを思い出したこともないのみならず、吉原深川はさておき、上野の花見に行ったこともない。私は安政五年江戸に出て来て、ただ酒が好きだからいわゆる口腹の奴隷で、家にない時は飲みに行かなければならぬ、朋友相会すれば飲みに行くというようなことは、ソリャしているけれども、ついぞ花見遊山はしない。

 (『福翁自伝』 品行家風 大言壮語のうち忌むべきを忌む より )


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