平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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悠塾の心得

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『文明論之概略』 福澤諭吉 1875(明治八年)
『氷川清話』   勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉 
   1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』   福澤諭吉 1997(明治三十年)

明治の時代背景を考慮して読んでいただきたい。


 丸山真男によれば、福澤諭吉は「脱亜入欧」なんて言っていないらしい。儒教の道徳は、ちゃんと認めていた。
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品行家風1

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 経済のことは右の如くして、私は私の流儀を守って生涯このまま変えずに終ることであろうと思いますが、ソレカラまた自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かということについて、有りのままの次第を語りましょう。さて私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打ち解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語るいわゆる莫逆の友というような人は一人もいない、世間にないのみならず親類中にもない、と言って私が偏屈者で人と交際が出来ないというではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかといえばお饒舌りの方であったが、本当を言うと表面ばかりで、実はこの人の真似をしてみたい、あの人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く言われて怖くもなく、すべて無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にしていたようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣いて家に帰って阿母さんに言告けると言うようなことはただの一度もない。口さきばかり達者で内実は無難無事な子でした。
 
 (『福翁自伝』 品行家風 莫逆の友なし より )

一大投機

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 私が商売に不案内とは申しながら、生涯の中で大きな投機のようなことを試みて、首尾よく出来たことがあります。ソレハ幕府時代から著作翻訳を勉めて、その製本売り捌きの事をばすべて書林に任してある。ところが江戸の書林が必ずしも不正の者ばかりでもないが、とかく人を馬鹿にする風がある。出版物の草稿が出来ると、その版下を書くにも、版木版摺の職人を雇うにも、またその製本の紙を買い入るるにも、すべて書林の引き受けで、その高いも安いも言うがままにして、大本の著訳者は当合扶持を授けられるというのが年来の習慣である。ソコデ私の出版物を見るとなかなか大層なもので、これを人任せにして不利益なのはわかっている。書林の奴らに何ほどの智恵もありはしない、高の知れた町人だ、何でも一切の権力を取り上げて此方のものにしてやろうと説を定めた。定めたは宜いが実は洋望の歎で、少しも取付端がない。第一番の必要というのが職人を集めなければならぬ。今までは書林が中にはさまっていて、一切の職人という者は著訳者の御直参でなくて、向こう河岸に居るようなものだから、あれを此方の直轄にしなければならぬというのが差し向きの必要。ソコで私は一策を案じたその次第は、当時明治初年でよほど金もあり、これを掻き集めて千両ばかり出来たから、それから数奇屋町の鹿島という大きな紙問屋に人を遣って、紙の話をして、土佐半紙を百何十俵、代金千両余りの品を即金で一度に買うことに約束をした。その時に千両の紙というものは実に人の耳目を驚かす。如何なる大書林といえども、百五十両か二百両の紙を買うのがヤットの話で、ソコへもって来て千両現金、直ぐに渡してやるというのだから、値も安くする、品物も宜い物を寄越すにきまってる。高かったか安かったか知らないが、百何十俵の半紙を一時に新銭座に引き取って、土蔵一杯積み込んで、ソレカラ書林に話して版摺の職人を貸してくれということにして、何十人という大勢の職人を集め、旧同藩の士族を二人を監督に置いて仕事をさせている中に、職人が朝夕、紙の出し入れをするから、蔵に這入ってその紙を見て大いに驚き、大変なものだ、途方もないものだ、この家に製本を始めたが、このくらい紙があれば仕事は永続するに違いないとまず信仰して、且つ此方では払いをキリキリして遣るというような訳けで、これが端緒となって、職人共は問わず語りに色々なことを皆白状してしまう。此方の監督者は利いた風をしているが、その実は全くの素人でありながら、職人に教わるようなもので、段々巧者になって、ソレカラ版木師も製本仕立師も次第次第に手に附けて、これまで書林のなすべきことはすべて此方の直轄にして、書林にはただ出版物の売り捌きを命じて手数料を取らせるばかりのことにしたのは、これは著訳社会の大変革でしたが、ただこのことばかりが私の商売を試みた一例です。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 一大投機 より )

按摩を学ぶ

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 中津に居て十六、七歳のとき、白石という漢学の先生の塾に修行中、同塾生の医者か坊主か二人、至極の貧生で、二人とも按摩をして凌いでいる者がある。そのとき私は如何でもして国を飛び出そうと思っているから、これを見て大いに心を動かし、コリャ面白い、一文なしに国を出て、罷り違えば按摩をしても食うことは出来ると思って、ソレカラ二人の者に按摩の法を習い、頻りに稽古して随分上達しました。幸いにその後、按摩の芸が身を助けるほどの不仕合せもなしに済みましたが、習うた芸は忘れぬもので、今でも普通の田舎按摩よりかエライ。湯治などに行って家内子供を揉んでやって笑わせることがあります。こんなことがマア私の常に言う自力自活の姿とでもいうべきものか、これが故人の伝を書くとか何とか言えば、何々氏夙に独立の大志あり、年何歳そのが学塾に在るや按摩法を学んで云々なんと、鹿爪らしく文字を並べるえあろうが、私などは十六、七のとき大志も何もありはせぬ、ただ貧乏でそのくせ、学問修業はしたい、人に話しても世話をしてくれる気遣なし、しょうことなしに自分で按摩と思い付いたことです。およそ人の志は、その身の成り行き次第に由って大きくもなりまた小さくなるもので、子供の時に何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の抵当になるものではない、ただ先天の遺伝、現在の教育に従って、根気よく勉めて迷わぬ者が勝を占めることでしょう。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 按摩を学ぶ より )

他人に私事を語らず

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 私が経済上に堅固を守って臆病で大胆なことの出来ないのは、先天の性質であるか、そもそもまた身の上の境遇に駈られて遂に堅く凝り固まったものでしょう。本年六十五歳になりますが、二十一歳のとき家を去って以来、自ら一身の謀をなし、二十三歳家兄を喪いしより後は、老母と姪と二人の身の上を引き受け、二十八歳にして妻を娶り子を生み、一家の責任を自分一身に担うて、今年に至るまで四十五年のその間、二十三歳の冬大阪緒方先生に身の貧困を訴えて大恩に浴したるのみ、その他は仮初にも身事家事の私を他人に相談したこともなければまた依頼したこともない。人の智恵を借りようとも思わず、人の指図を受けようとも思わず、人間万事天運に在りと覚悟して、勉めることは飽くまでも根気よく勉めて、種々様々の方便を運らし、交際を広くして愛憎の念を絶ち、人に勧めまた人の同意を求めるなどは十人並みにやりながら、ソレでも思うことかなわぬときは、なおそれ以上に進んで哀願はしない、ただ元に立ち戻って独り静かに思い止るのみ。詰まるところ、他人の熱に依らぬというのが私の本願で、この一義は私が何時発起したやら、自分にもこれという覚えはないが、少年の時からソンナ心掛け、イヤ心掛けというよりもソンナ癖があったと思われます。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 他人に私事を語らず より )

仮初にも愚痴を言わず

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 ドウも世人の思うところは決して無理ではない、と言うのは私が若い時から困ったということを一言でも言ったことがない、誠に家事多端で金の入用が多くて困るとか、今歳はこういう不時なことがあって困却致すとかいうようなことを、仮初にも口外したことがない、私の眼には世間が可笑しく見える、世間多数の人が動もすれば貧乏で困る、金が不自由だ、無力だ、不如意だ、なんかんと愚痴をこぼすのは、あるいは金を貸して貰いたいというような意味で言うのか、但しは洒落に言うのか、飾りに言うのか、私の眼から見れば何のことだか少しも訳けがわからない、自分の身に金があろうとなかろうと敢えて他人に関係したことでない、自分一身の利害を下らなく人に語るのは独語を言うようなもので、こんな馬鹿げたことはない、私の流儀にすれば金がなければ使わない、有っても無駄に使わない、多く使うも、少なく使うも、一切世間の人のお世話に相成らぬ、使いたくなければ使わぬ、使いたければ使う、嘗て人に相談しようとも思わなければ、人に嘴を容れさせようとも思わぬ、貧富苦楽供に独立独歩、ドンなことがあっても、一寸でも困ったなんて泣き言を言わずに何時も悠々としているから、凡俗世界ではその様子を見て、コリャ何でも金持だと測量する人もありましょう。ところが私はまた、その測量者があろうとなかろうと、その推測が中ろうと中るまいと、少しも頓着なしに相変わらず悠々としています。既に先年所得税法の初めて発布せられた時などは可笑しい、区内の所得税掛かりとか何とかいう人が、私の家には財産が凡そ七十万円あるその割合で税を取ると、内々言って来た者があるから、私がその者に言うに、何卒その言葉を忘れてくれるな、見ている前で福澤の一家残らず裸体になって出て行くから、七十万で買って貰いたい、財産は帳面のまま渡して、家も倉も衣服も諸道具も鍋も釜も皆やるから、ソックリ買い取って七十万円の金に易えたい、ただ漠然たる評価は迷惑だ、現金で売買したい、そうなれば生来初めての大儲けで、生涯さぞ安楽であろうと言って、大笑いしたことがあります。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 仮初にも愚痴を言わず より )


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