平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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悠塾の心得

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『文明論之概略』 福澤諭吉 1875(明治八年)
『氷川清話』   勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉 
   1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』   福澤諭吉 1997(明治三十年)

明治の時代背景を考慮して読んでいただきたい。


 丸山真男によれば、福澤諭吉は「脱亜入欧」なんて言っていないらしい。儒教の道徳は、ちゃんと認めていた。
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金を預けるも面倒なり

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 ソレで私は今でも多少の財産を持っている、持っているけれども、私ところの会計というものは至極簡単で、少しも入り込んだことはない。この金を誰に返さなければならぬ、これを此方に振向けなければならぬ、これを此方に振向けなければならぬというようなことは絶えてない。ソレで僅かばかり二百円とか三百円とかいう金が、手元にあってもなくても構わない、ソレを銀行に預けて、必要のとき小切手で払いをすれば利息が徳になるという、ソレハ私もよく知っていて、世間一体そういう風になりたいとは思えども、さて自分には面倒臭い、ソンナことにドタバタするよりか、金は金でしまって置いて、払うときにはその紙幣を計えて渡してやると、こういう趣向にして、私も家内もその通りな考えで、真実封建武士の机の抽斗の会計ということになって、その話になると丸で別世界のようで、文明流の金融法は私の家には這入りません。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 金を預けるも面倒なり より )

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 ソコデある時、例の金融家のエライ人が私方に来て、何か金の話になって、千種万様、実に目に染みるような混雑なことを言うから、さてさて如何もウルサイことだ、この金を彼方に向けて、あの金は此方に返すという話であるが、人に貸す金があれば借りなくても宜さそうなものだ、商売人は人の金を借りて商売するということは私もよく知っているが、苟も人に金を貸すということは、余った金があるから貸すのだ、たとい商売人でも貸す金があるなら、なるたけソレを自分に運転して、他人の金をばなるたけ借用しないようにするのが本意ではないか、然るに自分に資本を持っていながら、わざわざ人に借用とは入らざることをしたものだ、余計な苦労を求めるようなものだと言うと、その人が大いに笑って「迂闊千万、途方もないことを言う、商売人というものは入組んで入組んで滅茶々々になったというその間に、また種々様々の面白いことのあるもので、そんあ馬鹿なことが出来るものか、啻に商売人に限らず、およそ人の金を借用せずに世の中を渡るということができるものか、ソンナ人がどこにあるか」と言って私を冷却するから、私はそのとき初めてヒョイト思い付いた。「今お話を聞けば、世の中に借用しない者がどこにあるかと言うが、その人はここに居ます。私はこれまでただの一度も人の金を借りたことがない」「そんな馬鹿なことを言いなさるな」「イヤ如何してもない。生れて五十年(これは十四、五年前の話)人の金を一銭でも借りたことはない。ソレが嘘ならば、試みに私の印形の据わっているものとは言わない、反古でも何でも宜しい、ソレを捜して持って来て御覧。私が百万円で買おう。ドウしたってありはしない。日本国中に福澤が書いた借用証文というものは、ソレこそ有る気遣いはないが如何だ」というような訳で、その時に私も初めて思い出したが、私は生れて此方ついぞ金を借りたことがない。これはマア私の眼から見れば尋常一様のことと思うけれども、世間の人が見たらば甚だ尋常一様でないのかも知れぬ。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 借用書があらば百万円やろう より )

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 まずこのくらいのことで、その癖私は維新後早く帳合之法という簿記法の書を翻訳して、今日世の中にある簿記の書はみな私の訳例に倣うて書いたものである。ダカラ私は簿記の玄人でなければならぬ、ところが読書家の考えと商売人の考えとは別のものと見えて、私はこの簿記法を実に活用することが出来ぬのみか、他人の記した帳簿を見ても甚だ受け取りが悪い。ウント考えれば固よりわからぬことはない、屹度わかるけれども、ただ面倒臭くてソンナことをしている気がないから、塾の会計とか新聞社の勘定とか、何か入り組んだ金のことはみんな人任せにして、自分はただその総体の締めて何々という数を見るばかり。こんなことで商売の出来ないのは私も知っている。例えば塾の書生などが学費金を持って来て、毎月入用だけ請け取りたいから預けておきたいと言う者がある。今の貴族院議員の滝口吉郎なども、先年書生の時はその中の一人で、何百円か私のところに預けてあったが、私はその金をチャント箪笥の抽斗に入れておいて、毎月取りに来れば十円でも十五円でも入用だけ渡して、その残りはまた紙に包んでしまっておく。その金を銀行に預けて如何すれば便利だということを知るまいことか、百も承知で心に知っていながら、手ですることができない。銀行に預けるはさておき、その預かった紙幣の大小を一寸私に取り替えて本の姿を変えることも気が済まない。如何でもこれは持って生まれた藩士の根性か、然らざれば書生の机の抽斗の会計法でしょう。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 簿記法を翻訳して簿記を見るに面倒なり より )

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 されどもこれらは、ただ書生の一身に直接して然るのみ。さて経済の理窟においては、当時町人共の知らぬところに考えの届くことがある。あるとき私が鍛冶橋外の金物屋に行って台火斗を買って、価が十二匁というその時、どういう訳だか供の者に銭を持たせていて、十二匁なれば凡そ一貫二、三百文になるから、その銭を店の者に渡したときに、私が不図心付いた。この銭の目方は凡そ七、八百目から一貫目もある、然るに銭の代りに請け取った代火斗は二、三百目しかない、銭も火斗も同じ銅でありながら、通用の貨幣は安くて売買の品は高い、これこそ経済法の間違いだ、こんなことが永く続けば銭を鋳潰して台火斗をを作るが利益だ、何としても日本の銭の価は騰貴するに違いないと説を定めて、一歩を進めて金貨と銀貨との目方性合を比較してみて、西洋の金一銀十五の割合にすれば、日本の貨幣法は間違いも間違いか大間違いで、私が首唱して言うに及ばず、外国の商人は開国その時から大判小判の輸出で利を占めているとの風聞。ソレカラ私も知っている金持の人に頻りに勧めて金貨を買わせたことがあるが、これもただ人に話をするばかりで自分には何にもしようとも思い付かぬ。ただ私の覚えているのは安政六年の冬、米国行の前、金銀の話をして、翌年夏帰国してみれば、その人が大いに利益を得た様子で、お礼に進上すると言って、一朱銀の数も計えず、私の片手に山盛り一杯、金をくれたから、深く礼を言うに及ばず、何はさておきさっそく朋友を連れて築地の料理茶屋に行って、思うさま酒を飲ませたことがある。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 火斗を買って貨幣法の間違いを知る より )

商売の実地を知らず

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 私は金銭のことを至極大切にするが、商売は甚だ不得手である、その不得手とは敢えて商売の趣意を知らぬではない、その道理は一通り心得ている積りだが、自分に手を着けて売買貸借は何分ウルサクて面倒臭くてやる気がない。且つむかしの士族書生の気風として、利を貪るは君子の事にあらずなんということが脳に染み込んで、商売は恥ずかしいような心持がして、これもおのずから身につきまとうているでしょう。既に江戸に初めて来たとき、同藩の先輩岡見彦三という人が、オランダ辞書の原書を翻訳して一冊の代価五両、その時には安いもので随分望む人もある中に、私が世話して朋友に一冊買わせて、その代金五両、その時には安いもので随分望む人もある中に、私が世話をして朋友に一冊買わせて、その代金五両を岡見に持って行くと、主人が金一分、紙に包んでくれたから驚いた、これは何のことか少しもわからん、本の世話をして売ったその礼とは呆れた話だ、畢竟主人が少年書生と見くびって金を恵む了簡であろう、無礼なことをするものかなと少し心に立腹して、真面目になって争うたことがあるというような次第で、物の売買に手数料などということは町人共の話として、書生の身には夢ほども知らない。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 商売の実地を知らず より )


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