平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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悠塾の心得

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『文明論之概略』 福澤諭吉 1875(明治八年)
『氷川清話』   勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉 
   1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』   福澤諭吉 1997(明治三十年)

明治の時代背景を考慮して読んでいただきたい。


 丸山真男によれば、福澤諭吉は「脱亜入欧」なんて言っていないらしい。儒教の道徳は、ちゃんと認めていた。
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一身一家経済の由来2

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              金がなければ出来る時まで待つ

 ソレカラだんだん成長して、中津に居る間は漢学修行の傍らに内職のようなことをして多少でも家の活計を助け、畑もすれば米もつき飯もたき、鄙事多能、あらん限りの辛苦して貧小士族の家に居り、年二十一のとき初めて長崎に行って、勿論学費のあろう訳けもない、寺の留守番をしたり砲術家の食客になったりして、不自由ながら蘭学を学んで、その後大阪に出て、大阪の緒方先生の塾に修行中も、相変わらず金のことは恐ろしくてただの一度でも他人に借りたことはない。人に借用すれば必ず返済せねばならぬ。当然のことでわかり切っているから、その返済する金が出来るくらいならば、出来る時節まで待っていて借金はしないと、こう覚悟をきめて、ソコで二朱や一分はさておき、百文の銭でも人に借りたことがない。着物は塾に居るときも故郷の母が夏冬手織木綿の品を送ってくれましたが、ソレを質に置くと言えば何時か一度は請け還さなければならぬ。請け還す金があるならその金の出来るまで待っているが宜いとこう思うから、金の入用はあってもただの一度も質に入れたことがない。けれどいよいよ金に迫ってどうしてもなくてならぬというときか、恥かしいことだが酒が飲みたくてたまらないというようなことがあれば、思い切ってその着物を売ってしまいます。たとえばその時に浴衣一枚を質に入れれば弐朱貸してくれる、これを手離して売ると言えば弐朱と弐百文になるから売ることにするというような経済法にして、且つまた私は写本で銭を取ることもしない。大事な修業の身をもって銭のために時を費やすは勿体ない、わが身のためには一刻千金の時である、金がなければただ使わぬと覚悟を決めて、大阪に居る間とうとう一銭の金も借用したことなくして、その後、江戸に来ても同様、仮初にも人に借用したことはない。折節自分で想像してはただ怖くてたまらない、借金が出来て人から催促されたらどうだろう、世間の人、朋友の中にも毎度ある話だ、借金が出来て返さなければならぬと言って、此方から借りては彼方に返し、また彼方から借りては此方に返すという者があるが、私は少しも感服しない。誠に気の済まぬ話で、金を借りて返さなくてならぬなんてさぞ忙しいことであろう、よくもアレデ一日でも半日でも安んじていられたものだと思うて、ほとんど推量が出来ない。一口に言えば私は借金のことについて大の臆病者で、少しも勇気がない。人に金を借用してその催促に逢うて返すことが出来ないというときの心配は、あたかも白刃をもって後ろから追っ蒐けられるような心地がするだろうと思います。

 (『福翁自伝』 一身一家経済の由来 金がなければ出来る時まで待つ より )

一身一家経済の由来1

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 これから私が一身一家の経済のことを述べましょう。およそ世の中に何が怖いと言っても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。他人に対して金銭の不義理は相済まぬことと決定すれば、借金はますます怖くなります。私共の兄弟姉妹は幼少の時から貧乏の味をなめ尽くして、母の苦労した様子を見ても生涯忘れられません。
                 頼母子の金弐朱を返す
 貧小士族の衣食住、その艱難の中に、母の精神をもっておのずから私共を感化したことの数々あるその一例を申せば、私が十三、四歳のとき母に言い付けられて金子返済の使をしたことがあります。その次第柄はこういうことです。天保七年、大阪において私共が亡父の不幸で母に従って故郷の中津に帰りましたとき、家の普請をするとか何とかいうに、勝手向きは勿論不如意ですから、人の世話で頼母子講を拵えて、一口金二朱ずつで何両とやら纏まった金が出来て、一時の用を弁じて、その後毎年幾度か講中が二朱ずつの金を持ち寄り、くじ引きにて満座に至りて皆済になる仕組みであるが、大家の人は二朱ばかりの金のために何年もこんなことに関係しているのは面倒だというところから、一時二朱の掛金を出したままに手を引く者がある。これを掛捨てと言います。その実は講主が人に金をただ貰うようなことなれども、一般の風俗で、さまで世間に怪しむ者もない。ところが福澤の頼母子に大阪屋五郎兵衛という回船屋が一口二朱を掛捨てにしたそうです。勿論私の三、四歳、ゴク幼少の時のことで、何も知りませんでしたが、十三、四歳のときある日、母が私に申すに「お前は何も知らないことだが、十年前にこうこういうことがあって、大阪屋が掛捨てにして、福澤の家は大阪屋に金二朱を貰うたようなものだ。誠に気に済まぬ。武家が町人から金を恵まれて、それをただ貰うて黙っていることは出来ません。疾うから返したい返したいと思ってはいたが、ドウモそうは行かずに、ヤット今年は少し融通が付いたから、この二朱のお金を大阪屋に持って行って、厚う礼を述べて返して来い」と申して、その金を紙に包んで私に渡しました。ソレカラ私は大阪屋に参って金の包みを出すと、先方では意外に思うたか「御返済は却って痛み入ります。もはや古いことです。決してそんなご心配には及びません」と言って頻りに辞退すれども、私は母の言うことを聞いているから、是非渡さねばならぬと、互いに押し返して口喧嘩のように争うて、金を置いて帰ったことがあります。今はハヤ五十二、三年も過ぎてむかしむかしのことであるが、そのとき母に言い付けられた口上も、先方の大阪屋のことも、チャント記憶に存して忘れません。年月日は覚えないが、何でも朝のことと思う、豊前中津下小路の西南の角屋敷、大阪屋五郎兵衛の家に行って主人五郎兵衛は留守で、弟の源七に金を渡したということまで覚えています。こんなことが少年の時から私の脳中に遺っているから、金銭のことについては何としても大胆な横着な挙動は出来られません。

 (『福翁自伝』 福澤諭吉著 一身一家経済の由来 より )

教育の方針

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 畢竟私がこの日本に洋学を盛んにして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいという熱心で、その趣きは慶応義塾を西洋文明の案内者にして、あたかも東道の主人となり、西洋流の一手販売、特別エゼントとでもいうような役を勤めて、外国人に頼まれもせぬことをやっていたから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。元来私の教育主義は自然の原則に重きをおいて、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営はすべてソレカラ割出して行きたい。また一方の道徳論においては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重いやしくも卑劣なことは出来ない、不品行なことは出来ない、不仁不義不忠不孝、ソンナ浅ましいことは、誰に頼まれても、何事に切迫しても出来ないと、一身を高尚至極にし、いわゆる独立の点に安心するようにしたいものだと、まず土台を定めて、一心不乱にただこの主義にのみ心を用いたというその訳けは、古来東洋西洋相対してその進歩の前後遅速を見れば、実に大層な相違である。双方共々に道徳の教えもあり、経済の議論もあり、文に武におのおの長所短所ありながら、さて国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数最大幸福の一段に至れば、東洋国は西洋国の下に居らねばならぬ。国勢の如何は果たして国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコデ東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である。かの政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に濃やかなるも、その大本を尋ぬればおのずから由来するところがわかる。近く論ずれば今のいわゆる立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依るところなしというべきこの大切なる一義を、わが日本国においては軽く視ている。

 (『福翁自伝』 福澤諭吉著 王政維新 教育の方針は数理と独立 より )

 文明主義を取り入れたのは、数と理が物事を進展させるために必要だったからであるが、それと同時に

道徳主義というものを守るということは当然のことであると言っている。また、道徳主義を正当化しなが

らも、一方で漢学主義の罪を論じている所は、恰も理に叶っていないように思えるが、ここでの道徳主義

というものは、すでに漢学・儒学における道徳というよりも、人類普遍なる道徳を指すようになっている

ことに気付かねばならない。漢学や儒学の紋切り型の学問を脱して、数や理を用いた、自由で独立した生

き方もできるということを教育の方針としているのだろう。数理と道徳が同等に挙げられている。

                                      霧山人

組織の盛衰

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 勝利と敗北の分かれ目というものがある。

 必勝のカギは次のとおりである。

 1、有能な人材が高く用いられ、無能なものはやめさせられる。

 2、全軍が明るく、兵士はよく命令に従う。

 3、軍隊の中に勇気がみなぎり、互いに励まし合っている。

 4、厳格に信賞必罰が実行されている。

 必敗の徴候は次のとおりである。

 1、兵士は怠慢で、全軍に戦いへの恐れが広がっている。

 2、軍隊の中にモラルが欠け、統率者を信頼せず、法規を無視しがちである。

 3、むやみに敵を恐れ、利益にしか関心を示さない。

 4、どこからともなく伝わってきた禍福のデマ(うわさ)を簡単に信じてしまう。

  (『諸葛孔明の兵法』 高畠 穣 より )

 以上のうち、どちらであろうか。確かに潰れそうな会社というものは、怠慢で、モラルがなく、お金の

話しか興味がなく、変なうわさ話が満ちている。会社を立て直そうと思ったら、何が有能であるかという

基準をはっきりして、それにしたがって登用し、明るく、素直で、助け合っていくような人材が増えてい

くことがふさわしいだろう。寄らば大樹の陰で、怠けているようではいけないだろう。

                                霧山人

秋山好古の言葉

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     「信而好古」(信じて古を好む)

                           独立独行。

「国家の衰退はつねに上流社会の腐敗より起こらないものはない。一家一族は、国家の実利を上げたならば、名利を放棄して、すみやかに閑居する必要がある。これが私の長年の宿論だ。それゆえ、その素志を果たそうとしたことは一再にとどまらない。しかし、いまは事変のために戦場に赴くことになるだろう。
前途のために計画することはさらにないが、名誉の最後を戦場に遂げることができれば、男子一生の快事と相楽しんでいる。老母、病兄、妻子とも、ことごとく健全で、後事憂えるところはさらにない」

「自労自活は天の道、卑しむべきは無為徒食、一夫一婦は人道ぞ、酒色の欲を戒めて、品性修養怠るな、日が暮れたら天を見よ、常に動かぬ北斗星」

『人間は貧乏がええよ、艱難汝を玉にすというてね。人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。
               うき事のなほ 此の上に積もれかし
               心のたけをためしてやみぬ
 わかるかい、人間は苦しみと戦わんと偉い人になれんよ。苦を楽しみとする心掛けが大事じゃ』

      『良きにつけあしきにつけて思ふかな 子の行く末は如何になるやと

       なくてとて育つものとは知りながら なぜ斯くまでも子を思ふかな』

「正義、仁愛、独立自治、自労自活、質実剛健、勤倹力行」

「人間は幸福を得るのが目的であります。しかし、幸福を得るには十分に働き、十分に倹約しなければ、真の幸福を得ることは困難です。」

 秋山好古の言葉達は、フランス留学で自由と平等を知りながらも、古来の武士道、儒学という日本人としてきわめて典型的な生き方を我慢強く貫き通した重みに満ちている。斯くありたいと思う。

                                 霧山人
 


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