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金がなければ出来る時まで待つ |
悠塾の心得
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『氷川清話』 勝 海舟 1897(明治三十年)
『学問のすすめ』 福澤諭吉
1872(明治五年)〜1876(明治九年)
『福翁自伝』 福澤諭吉 1997(明治三十年)
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これから私が一身一家の経済のことを述べましょう。およそ世の中に何が怖いと言っても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。他人に対して金銭の不義理は相済まぬことと決定すれば、借金はますます怖くなります。私共の兄弟姉妹は幼少の時から貧乏の味をなめ尽くして、母の苦労した様子を見ても生涯忘れられません。 |
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畢竟私がこの日本に洋学を盛んにして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいという熱心で、その趣きは慶応義塾を西洋文明の案内者にして、あたかも東道の主人となり、西洋流の一手販売、特別エゼントとでもいうような役を勤めて、外国人に頼まれもせぬことをやっていたから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。元来私の教育主義は自然の原則に重きをおいて、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営はすべてソレカラ割出して行きたい。また一方の道徳論においては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重いやしくも卑劣なことは出来ない、不品行なことは出来ない、不仁不義不忠不孝、ソンナ浅ましいことは、誰に頼まれても、何事に切迫しても出来ないと、一身を高尚至極にし、いわゆる独立の点に安心するようにしたいものだと、まず土台を定めて、一心不乱にただこの主義にのみ心を用いたというその訳けは、古来東洋西洋相対してその進歩の前後遅速を見れば、実に大層な相違である。双方共々に道徳の教えもあり、経済の議論もあり、文に武におのおの長所短所ありながら、さて国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数最大幸福の一段に至れば、東洋国は西洋国の下に居らねばならぬ。国勢の如何は果たして国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコデ東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である。かの政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に濃やかなるも、その大本を尋ぬればおのずから由来するところがわかる。近く論ずれば今のいわゆる立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依るところなしというべきこの大切なる一義を、わが日本国においては軽く視ている。 |
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勝利と敗北の分かれ目というものがある。 |
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「信而好古」(信じて古を好む) |


