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逢うことの |
文学
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山の奥では、人々の間で、人格が入れ替わる事もある。それは、感化の域をでないかもしれないが、多少不気味なものである。しかし、知識までは奪うことはできないらしく、いないならば、元に戻ってしまうようである。また、西米良にある児原稲荷神社なるところに飾ってある天狗の面は立派だが、烏天狗と山伏天狗とがある。天狗については、いろいろと調べるべきことが多い。日向國一ノ宮、都農神社を始め、ほとんどの神社の祭神の目を起こして廻って、どこにどの神様がいたのかは、だいたいの見当がついている。歌姫と一緒のとき、いつの間にか、アダナが「ジンジャ」となった。一番奥深く感じたところは、狭上稲荷だ。七百年前の時空を遡った気がした。 |
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頭の中がぐるぐると同じ思考を繰り返し、時間が先に進まない。だんだんと、あまり食べなくても生きていけるようになっていった。それは、まるで霞を食べて生きているようだった。山の奥深く、呼ぶ声が聞こえてきた。 |
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長い長い退屈が続くと、ふと山に帰りたくなる。そして、山の中の静寂に包まれてひっそりと幸福感を感じて、留まりたくなる。それほど、社会が住みにくいのだろうか。 |
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「責任」という言葉のもつあの強大な威厳はどこから来たのだろう。人間の行為の動機を微細に追究して行くならば、我々はその人固有の宿命にまでつき当り、或は一見些末な事柄を見出し、或は無数の糸がからみあったような手の施しようのないもつれの前に茫然としてしまう。一行為を為した後に我々の知ることは、自分がいかに自己を知らないかということである。 |



