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一同は寒気を防ぐために盛に焼火(たきび)をして猟師を待ていると暫くしてなの字浦の方の路から逞ましい猟犬が十頭ばかり現われてその後に引続いて六人の猟師が異様な衣装で登って来る、これこそ真実の山賊らしかった。
その鉄砲は旧式で粗末なものであるがこれを使用する技術は多年の熟練でなかなか巧なものである。別して鹿狩に就てはつの字崎の地理に詳わしく犬を使うことが上手ゆえ、吾等一同の叔父達と雖も、素人の仲間での黒人ながら、この連中に比べては先生と徒弟の相違がある、されば鹿狩の上の手順など凡て猟師の言う処に従わなければならなかった。
さて愈々猟場に蹈み込むと、猟場は全く崎の極端に近い山で雑草荊棘生茂った山の尾の谷である。僕は始終今井の叔父さんの傍を離れないことにした。
人よりも早く犬は猟場に駆け込んだ。僕は叔父さんと一所に山の背を通っていると、忽ち烈しく犬の吠える声を聞いた。
「そら出た、そら彼処を見ろ、どうだ鹿だろう、どうだどうだ、ウン早い早い」と叔父さんの指す方を見ると、朝日輝く山の端を一匹の鹿が勢よく彼方へ走てゆく、その後を余程後くれて二匹の犬、吠えながら追っかけて行く。
画に書いた鹿や死んだ鹿は見たが、現に生た鹿が山を走るのを見たは僕これが始めてだから手を拍って嬉こんだ。僕の嬉こぶ様を見て今井の叔父さんはにこにこ笑って御座った。
「今に見ろ、あの鹿を打って見せるから」
「だって逃げて了ったから駄目だ」
「何処へ逃げられるものか、山の彼方の方へ最早猟師が回っているから」と叔父さんは頗る得意であった。
(『鹿狩』 國木田独歩 より )
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文学
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僕は戸外へ飛びだした。夜見たよりも一段、蕭条たる海辺であった。家の周囲は鰯が軒の高さ程につるして一面に乾してある。山の窪などには畑が作ってあってその外は草ばかりで唯だ処々に松が一本二本突出っている。僕はこんな処に鹿がいるだろうかと思った。
大空の色と残月の光とで今日の天気がわかる。風の清いこと寒いこと、月の光の遠いこと空の色の高いこと!僕は必然今日は鹿が獲ると思った。
「徳さん徳さん今井の叔父さんを起して呉れ」と誰れか家内で呼ぶから僕は帰って見ると、皆んな出発に取りかかって居たが叔父さんばかり高鼾(いびき)で臥ている。僕は、「叔父さん叔父さん」と肩を動揺(ゆさぶ)ったがなかなか起きない。頭の髪を握ってぐいぐい引ぱって漸(やつ)と起した。
「この児はひどい事をする」と言いながら大嘘(あくび)をして、
「サアサア!一番槍の功名を拙者が仕る、進軍だ進軍だ」とわめいて真先に飛出した。僕も直ぐその後に続いた。恰も従卒のように。
爪先あがりの小径を斜に、山の尾を横ぎって登ると、登りつめた処がつの字崎の背の一部になっていて左右が海である、それよりこの小径が二つに分れて一は崎の背を通してその極端に至り一は山の彼方に下りてなの字浦に出る。この三派の路の集った処に一本の松が立ている。一同はこの松の下に休息して、なの字浦の方から来る筈になっていた猟師の一組を待ち合わせていた。
朝日が日向灘から昇ってつの字崎の半面は紅霞につつまれた。茫々たる海の極は遠く太平洋の水と連りて水平線上は雲一つ見えない、又た四国地が波の上に鮮やかに見える。総ての眺望が高遠、壮大で、且つ優美である。
(『鹿狩』 國木田独歩 より )
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判事の岡さんが何か言って叔父さんを冷かしたようであったが僕は眠って宜く聞き取れなかった。
「徳さん徳さん」と呼ぶ声がしたと思うと、太い手が僕の肩を揺った。僕は直ぐ今井の叔父さんだなと思った。「徳さん、起きた起きた、着いたぞ、さア起きた」
「眠むいなア」僕は実際眠かった。しかし人々が上陸の用意をするようだから、眼をこすりこすり起きて見ると直ぐ僕の眼に付いたのは鎌のような月であった。
船は陸とも島とも分らない山の根近く来て帆を下ろしていた。陸の方では燈火一つ見えないで、磯をたたく波の音がするばかり、暗く寂(しん)としている。そして寒気は刺すようで、山の端の月の光が氷(こおつ)ているようである。僕は何とも言えなく物凄さを感じた。
船が漸々(だんだん)磯に近(ちかづ)くに連れて陸上の様子が少しは知れて来た。此処は兼ねて聞ていたさの字浦で、つの字崎の片隅であった。小さな桟橋、桟橋とは言えないのが磯に出来ている。船をそれに着けて吾等皆な上陸した。
たった一軒の漁師の家がある、しかし一軒が普通の漁師の五軒ぶりもある家で吾等一組が山賊風でどさどさ入っていくと兼ねて通知して有ったことと見え、六十ばかりのこの家の主人らしい老人が挨拶に出た。
夜が明ける迄でこの家で休息することにして、一同はその銃を卸ろすなど、かれこれ放寛(くつろ)いで東の白むのを待た。その間僕は炉の辺に臥(ね)そべっていたが、人々のうちにはこの家の若いものらが酌んで出す茶碗酒をくびくびやって居る者もあった。シカシ今井の叔父さんは流石に倦憊(くたぶ)れてか、大きな体躯を僕の傍に横えてぐうぐう眠って了った。炉の火がその膩(あぶら)ぎった顔を赤く照らしている。
戸外が漸々(だんだん)あかるくなって来た。人々はそわそわし初めた、ただ今井の叔父さんは前後不覚の体である。
(『鹿狩』 國木田独歩 より )
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しかし一通りの山賊でない、図太い山賊で、かの字港まで十人が勝手次第に饒舌(しゃべ)って、随分やかましかった。僕は一人、仲間外れにされて黙って、皆なの後から皆なの饒舌るのを聞きながら歩いた。
大概は猟の話であった。そして重に手柄話が失敗話であった。そして矢張、今井の叔父さんが一番面白いことを話して皆んなを笑わした。皆んなが笑わない時には自分一人で大声で笑った。
かの字港に着くと、船頭が最早用意をして待っていた。寂寞(さびし)い小さな港の小さな波止場の内から船を出すと直ぐ帆を張った、風の具合が宜いので船は少し左舷に傾ぎながら心持よく馳(はし)った。
冬の寒い夜の暗い晩で、大空の星の数も読まるるばかりに鮮かに、舳(へさき)で水を切てゆく先は波暗く島黒く、僕はこの晩のことを忘れることが出来ない。
船のなかでは酒が初まった。そして談話は同じく猟の事で、自分は面白いと思って聞て居たが何時(いつ)しか寝て了った。それは穏やかな罪のない眠で、夢とも現ともなく、舷側を叩く水の音の、その柔かな私語(ささや)くような節々(おりおり)はコロコロコロと笑うようなのを直ぐ耳の下の板一枚を隔てて聞くその心地よさ。時々眼を開けて見ると薄暗い舷燈の朧ろげな光の下に円坐にもたれながらうつらうつらと眠ている者もある。相変らず元気のいいのが今井の叔父さんで、「君の鉄砲なら一つで外れたら直ぐ後の一つで打つことが出来るが僕のはそう行かないから困る、なアに、中るやつなら一発で中るからなア」と言って「あははははは」と笑った。
(『鹿狩』 國木田独歩 より )
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「鹿狩に連れて行こうか」と中根の叔父が突然(だしぬけ)に言ったので僕は狼狽(まごつい)た。「面白ろいぞ、連れて行こうか」人の善い叔父はにこにこしながら勧めた。
「だッて僕は鉄砲が無いもの」
「あははははは馬鹿を言ってる。お前に鉄砲が打てるものか、ただ見物に行くのだ」
僕はこの時やっと十二であった。叔父が笑うのも道理で、鹿狩どころか雀一ツ自分で打つことは出来ない、しかし鹿狩の面白い事は幾度も聞ているから、僕はお伴をすることにした。
十二月の三日の夜、同行のものは中根の家に集ることになっていた故僕も叔父の家に出かけた、母上は危険(あぶな)かろうと止めにかかったが、父上が「勇壮活潑の気を養うためだから行け」と仰った。
中根へ行って見ると最早人が余程集って居た。見物人は僕一人、少年も僕一人、あとは三十から上の人ばかりで十人ばかり皆な僕の故郷では上流の人たちであった。
第一中根の叔父が銀行の頭取、その外に判事さんも居た、郡長さんもいた、狭い土地であるから兼ねてこれらの人々の交際は親密であるだけ、今人々の談話を聞くと随分粗暴であった。
玄関の六畳の間に洋燈(らんぷ)が一つ釣してあって、火桶(ひばち)が三つ四つ出して有る、その周囲に二人三人ずつ寄っていて笑うやら罵るやら、煙草の煙がぼうッと立こめて居た。
今井の叔父さんが皆なの中でも一番声が大きい、一番元気がある、一番面白そうである、一番肥満(ふと)っている、一番年を取っている、僕に一番気に入っていた。
同勢十一人、夜の十時頃町を出発(たっ)た。町から小一里も行くとかの字港に出る、そこから船でつの字崎の浦まで海上五里、夜のうちに乗って、天明(あけがた)にさの字浦に着く、それから鹿狩を初めるというのが手順であった。
「まるで山賊のようだ!」と今井の叔父さんがその太い声で笑いながら怒鳴った。成程、一同の様子を見ると尋常ではない。各々粗末な而も丈夫そうな洋服を着て、草鞋脚絆で、鉄砲を各手に持って、色々な帽子を冠(かぶ)って――どうしても山賊か一揆の夜討位にしか見えなかった。
(『鹿狩』 國木田独歩 より )
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