|
わたしは、女をひきとめた。
「お気持ちがあるなら、もどらなくてもよいでしょう?」
すると、女はしなやかにむきなおって、あでやかに進んできた。
十娘は、うやうやしく、わたしに向って再拝した。わたしも頭をさげ、礼をつくしてから、話かけた。
「いましがた、さんざん賞めちぎるのを聞かされて、あり得ないことだと思っておりましたが、はからずもお目にかかったところ、まるで仙女です。ここは、仙女のすみかですね」
十娘、
「さきほど、詩を拝見して、平凡だと思いましたけど、いま、お目にかかったら、文章よりずっと男前の方ですわね。ここは、文章のすみかですの」
わたしは、そこで訊ねた。
「奥様は、どちらのお家柄の方ですか?御主人は、どこにおられるのでしょうか」
十娘が答えた。
「わたしは、清河の崔公の子孫ですわ。弘農の楊府君の長男に嫁ぎました。弘農で婚礼をすませてから、父について行き、河西道に住みました。蜀の人はわるがしこくて、しょっちゅう辺境を侵犯しましたので、兄と夫は、筆を棄てて従軍し、戦場で死んで、かえらぬ人になりました。そのとき、わたしは十七歳で、亡き夫を固く守っております。兄嫁は十九歳で、再婚しないと誓いを立てました。兄は、清河の崔公の第五子で、兄嫁は、太原公の第三女です。ここに屋敷をかまえてから何年もたちました。建物も荒れはてて、くらしむきも貧しくなりました。お客さまは、どちらからお出ででしょうか」
わたしは、居住まいを正して答えた。
「わたしの一族は、南陽の出身です。住居は、西卾にあります。黄石公の不可思議な術を会得し、白水の余波を制御しました。漢朝では、七代にわたり、貂蝉の飾りをつけ、韓国では、五代の君主の卿・相をつとめました。鐘を鳴らして食事の時を知らせ、鼎をならべて食膳をととのえる富貴の家柄で、代々高官が続出し、長い戟をならべ、門を高く構えて、公侯としての格式にしたがっておりましたが、わたしは、父祖の遺業をつがずに、家運が次第に傾きました。青州刺史・博望侯の孫か、広武将軍・鉅鹿侯の子のような不肖の子として、しょうことなしに俗世にまじわり、下級官吏のなかに埋もれております。隠者ではないし、遁世もしておらず、鯤鵬と斥鷃との間にさまよい、官吏ではないが俗人でもなく、世の中の是非に不即不離の生き方をしています。暫時、役儀によって派遣され、当地に来ました。卒爾ながらお騒がせしましたが、心からお慕いしております」
十娘は、さらに質問した。
「お客さまは、現在、どういうお役をつとめていらっしゃいます?」
わたしは、これに答えた。
「幸いに太平の御代にめぐりあいながら、貧しく賤しい身であるのが恥ずかしく、さきほど賓客の待遇で甲科に推薦されてから、その後、逸材選抜の優秀な成績で合格できました。勅命により関内道の小さな県の尉に任命され、現在、河源道行軍総管記室を担当しております。
再三御取り立てていただきながら、いたずらに報恩を思うばかりで、下級官吏として奔走し、落ちつく暇がありません」
十娘は、
「少府さまは、お役目でなければ、とてもこちらへはお立ちよりになれませんわね」
と言った。
わたしは答えた。
「これまでは、存じあげていなかったので、参上しませんでしたが、今日からは、失礼のないように心がけます」
十娘は、ふりむいて桂心に声をかけた。
「奥の広間に支度して、少府さまをそこにご案内しなさい」
わたしは、ためらってから、辞退した。
「わたしのような、いやしい者には、ここで結構です。賈誼のような才のない者は、とても奥の間にはあがれません」
十娘が答えた。
「いましがた、知らせを聞いて、ありきたりの旅の人と思い、粗略なことをしまして、面目ないと深く感じております。わたしの考えでは、ご案内しておもてなしすべきだと思います。ここは粗末な、手ぜまなところなので、風や塵を避けられません。部屋に入るのを辞退なさるべきではありませんもの、いまさら奥の広間にあがるのを躊躇なさる必要がありますかしら」
と、そのまま案内して奥の広間に入った。
そのとき、黄金の台、白銀の闕は、日をかくし、雲をおかして聳え、新築まもない銅雀台か、はたまた宏壮な霊光殿のようであった。梅の梁、桂の棟は、谷川の水を飲む長い虹のよう、そった宇、彫刻のある甍は、天をかきわけてのぼる鳳に似ていた。水晶の浮き柱は、ぎらぎらとして星を含み、雲母で飾られた窓は、日光に映えてあかるく輝いていた。長い廊下が四方にのび、いずれも玳瑁の椽を施し、高い閣は三重で、すべてが瑠璃の瓦を用いていた。白銀でつくった壁が、魚の鱗のように輝き、碧玉をめぐらした階は、雁の序列のように段々になっていた。
(『遊仙窟』 張文成作 今村与志雄訳 より )
|