平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

日本の四季を大切にしよう。引越し先でも閲覧可。下の一言が入り口↓ 容量2GBを超えたので引越ししたよ。

文学

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私はその病からすっかり癒えているので思い出そうとすれば、真実であったのか、疑える程だ

そして私の生命を危険にさらした、その地を思い浮かべても、私の代わりに見知らぬ顔が見えるばかり

恥を知るがいい 私に裏切りを教え 恐怖と怒りで 私に理性を失わせた最初の女よ

恥を知るがいい 暗い目をした女よ 不幸をもたらすおまえの愛が、

暗闇のなかに葬った、私の青春と美しい日々を!

うわべだけの幸福さえも 呪うことを私に教えたのは

おまえの声、おまえの微笑みだ

堕落へと誘うおまえのまなざしだ

私に絶望を教えたのは

おまえの若さとおまえの魅力だ

(「十月の夜」 アルフレッド・ド・ミュッセ)

歴史観

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 歴史観、短縮して、史観というとなにか大げさに聞こえるだろう。しかし、歴史の見方(a view of history)である。歴史の見方が違えば、歴史が違って見えて当然である。
 ものの見方、歴史の見方は、時代、地域、個人によってはさまざまに異なる。いまその両極端を求めれば、歴史観を極大にする行き方と、極小にする行き方がある。司馬の行き方はこの後者に属する、といっていいだろう。
 「最近の若者はものを考えない」とはよくいわれる。四〇年前、わたしもまた世間からそのようにいわれた。この場合、「ものを考えない」とはきちっとした見方、考え方、立場をもって考えていない、思想をもっていない、ということであった。正しい世界観、歴史観をもつことが、よくものを考え、正しい認識に到達する道だ、といわれたのである。
 だから、漠然とした形ではあったが、司馬の歴史小説は、歴史観を否定し、思想を否定し、正しい歴史認識を袋小路に導くものだ、とみなされた。
 
 科学は見方や考え方に左右されてはならない。こういわれる。科学は哲学や歴史観とは異なる、というわけだ。
 しかし、やはり四〇年前からか、T・クーンが提唱したように、科学認識といわれているものも、特定の科学者集団の共通のものの見方・考え方(パラダイム{範例}であり、その範例(モデル)が通用しない事態が生れると、別なモデルが必要になり、科学革命が生じる、といわれはじめた。

(『司馬遼太郎と歴史観』 司馬史観などない 鷲田小彌太 より)

社会派推理小説

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 社会派推理小説を中心に構成される清張ワールドに接した読者は往々にして、既成の社会的規範を守り

続けている“善”の側よりも、むしろ、何かのきっかけでそこから逸脱し、落ち着きどころのないまま彷

徨し続ける“悪”の側に感情移入するように誘導される。悪役キャラの方が、時として貨幣や権力のため

に常軌を逸した振る舞いをしそうになる“(庶民である)私の本性”を代理表現しているように見えるか

らである。「私」自身の「内」の善/悪の境界線が、自分で普段思っているよりも曖昧であることを、清

張は「事件」という形でリアルに示す。

(『松本清張の現実と虚構』 仲正昌樹 より )

                                      霧山人

智恵子抄 3´

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 ふたりしてしんしんと降り積もる深夜の雪をよろこんで、雪を踏んで帰って行く智恵子の手を取って郊外の家に送る道すがらの雪あかりに童話のなかのような幸福を味わったり、さては冬の朝の快い寝ざめに、キリストの洗礼を与えるヨハネとヨハネの首を抱いているサロメの情を思ってみたりしたすえに、光太郎は郊外の人の黒瞳がぱっちりと見ひらかれておさな児のように白い二の腕をあらわに差し伸べてこの朝のすがすがしい日光を手に掬ぼうとしている人が、鵯の声に笑んでいる様子などを思い浮かべていた。智恵子を知って以来、久しく以前のような放蕩を自制している強壮な男子の欲情が自覚もなくさまざまな幻想や思想になって現われたものが「冬の朝のめざめ」である。
 光太郎は智恵子の心を得て以来、好きな冬の季節はもとよりいつもは新緑の毒素と忌々しがっているころにさえ、

 世界がわかわかしい緑になって 青い雨がまた降つて来ます

 といかにも楽しげに歌い出しているが、それも結局はやはり「抱きしめるやうに彼女を思つてゐる」楽しさなのであった。
 彼にとって彼女はほんとうの彼の半身であり「一番たしかにその信を握り」「彼の痛烈を奥底から分かつた人」であると彼には思えた。

 私にはあなたがある あなたがある

 と彼は息をはずませて彼女に呼びかけ「可なり残酷に人間の孤独を味はつて来て」「自棄の世界にまで飛び込んだ」彼を生の根から、全部理解する人と彼女を見て、自己の行く道の開択者として草木と同じ正しさを持つとみずから信ずる彼を生きた眼で見きわめてくれる人と彼女を頼み、彼女が彼にあることは人生に微笑があることに相当するとして「万人の通る通路から数歩踏み込んで」「もう共に手を取る友人もなく、今はただ互いにある部分を了解し合ふ友達があるのみ」となった彼の孤独も彼女さえあれば物かは――

 私にはあなたがある
 あなたがある
 そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
 私は人から離れて孤独になりながら
 あなたを通じて再び人類の生きた気息に接します
 すべてから脱却して
 ただあなたに向かふのです
 深い、とほい人類の泉に肌をひたすのです
 あなたは私のために生れたのだ
 私にはあなたがある
 あなたがある、あなたがある

 と全編、熱気を帯びたものの末をこう囈言のように結ばれた「人類の泉」というこの詩は、智恵子の前に拝跪してその純一な愛で頽廃生活から救いを感謝した恋愛の至情の宗教的にまで高まったものを示しているが、同時にこの詩人が別に「新緑の毒素」と歌って天地間に横溢したその季節の万物の生殖力が彼に禁欲生活の生命力を煽り、昇華せしめたものではなかろうかと思われるものがある。
 なにはともあれ、智恵子を知って以来の光太郎は英介の言葉を借りれば(すっかり性根を入れかえて仕事に身を入れ)今年も生活社の展覧会へ作品(といっても絵であるが「それでも詩や文章よりはよかろう」とこれも英介の意見)を出すと張り切っていた。

(『小説 智恵子抄』 佐藤春夫著 第一部 静寂の価 より )

雨ニモマケズ

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 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ

 欲ハナク 決シテ瞋ラズ

 イツモシヅカ二ワラッテヰル

 一日二玄米四合ト

 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 アラユルコトヲ

 ジブンノカンジャウ二入レズ二

 ヨクミキキシワカリ

 ソシテワスレズ

 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

 小サナ萱ブキノ小屋にヰテ

 東二病気ノコドモアレバ

 行ッテ看病シテヤリ

 西二ツカレタ母アレバ

 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

 南二死二サウナ人アレバ

 行ッテコハガラナクテイゝトイヒ

 北二ケンクヮヤソショウガアレバ

 ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ミンナ二デクノボートヨバレ

 ホメラレモセズ

 クニモサレズ

 サウイウモノ二 ワタシハナリタイ

 (『新編 宮澤賢治詩集』 天沢退二郎編 補遺詩篇 より )


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霧山人
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