平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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自由論

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文明に必要な自由・封建社会からの脱出

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 われわれは、或る変化が起こって来るときに、それが変化のための変化であって美や便利という観念か

ら出て来る変化とはならないように、注意するのである。なぜならば、美や便利に関する同一の観念が、

同一の瞬間に世間すべての人々の注意を惹き、また他の瞬間にすべての人によって放棄されるなどという

ことは、到底ありそうもないからでる。しかし、われわれは、変化が可能であると共に、また同じくらい

進歩的である。われわれは機械にかけては絶えず新たな発明をしているし、また、その発明がより優れた

発明によって取って替わられるまでは、それを保ちつづける。政治においても、教育においても、また道

徳においてさえ、われわれは改革を熱心に求めている。ただ、この最後の道徳においては、われわれの改

革の観念は、主として、他の人々を説得し、もしくは強制して、われわれ自身と同じく善良にならせる、

ということにある。われわれが反対するのは、進歩に対してではない。否その逆で、われわれは、いまま

でに生きていた人民のうちで、われわれこそ最も進歩的な人民であると、自負しているのである。われわ

れが敵として戦うものは、個性なのである。もしわれわれ自身をすべて一様な人間にしてしまうことがで

きたならば、われわれは、まるで奇蹟を成し遂げたかのように思うであろう。そして、各人がたがいに相

違しているということこそ、一般に、各人をして自分の型(タイプ)の不完全さに注意させ、また他人の

型(タイプ)の優れていることや、自他の長所を結合することによって両者のどちらよりも優れた型(タ

イプ)を生み出しうることに気付かせる、第一の肝要事であるということを、われわれは忘れているので

ある。われわれは、中国に警告的な実例をみることができる(デムパ)。――彼らは、類まれな幸運によ

って、すでに初期において特別によい一連の慣習を与えられていた(道教、仏教、儒教など)ために、豊

富な才幹と、また若干の点については叡智をすらもっていた。そして、これらの慣習は、再考の教養ある

ヨーロッパ人でさえ、或る種の限定を付してではあるが聖人や哲人の尊称を与えざるを得ないような人々

の労作であった。中国人はまた、彼らの所有している最高の知恵を、できる限り広く、その共同体の成員

一人一人の心に銘記させ、また、このような知恵を最も多く獲得している人々を確実に名誉あり権勢ある

地位につかせようとするところの、卓越した機構をもっていた点(デムパ)で、注目に値するのである。

このような事業を成し遂げた人民は、確かに、人間進歩の秘訣を発見したものであり、したがって着実に

世界の運動の先頭に立ち続けていたはずである。ところが、その逆で彼らは停滞的になってしまい――幾

千年もの間、その状態にとどまって来た。そして、もしも彼らがこれ以上に改善されるべきだとすれば、

その仕事は外国人によって果たされるに違いない。彼らは、イギリスの博愛家たちが熱心に勉励している

仕事において――すなわち、全国民をすべて一様の人間とし、すべての人が同一の格言と規則によって彼

らの思想と行為とを統制するようにさせるという仕事において――希望をはるかに超えるほど成功したの

であった。しかも、その結果はわれわれの見る通りである。近代の世論の支配体制は、中国の教育および

政治制度の具えていた組織的形態を、組織的ならざる形態に改めたものに他ならない。したがって、もし

も個性がこの軛に抗して自己を主張することに成功しないならば、ヨーロッパは、その高貴な来歴や公称

するキリスト教信仰にもかかわらず、やがて第二の中国となってゆくであろう?

  ( 『自由論』 第三章 幸福の諸要素の一つとしての個性について J.S.ミル著 より )

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 慣習の圧制は、至るところで人間の進歩に対する不断の障碍物となっている。それは、単なる慣習的な

ものよりもよりよきものを目指そうとする傾向、すなわち、場合によってあるいは自由の精神と呼ばれ、

あるいは進歩(プログレス)または改革(イムプルーヴメント)の精神と呼ばれている傾向に対して、絶

えず敵対しつつあるのである。改革の精神は必ずしも自由の精神ではない。なぜならば、改革の精神は、

改革を欲しない民衆に対してそれを強制しようとするかも知れないからである。したがって、自由の精神

は、このような試みに反抗する限りでは、局地的にか、あるいは一時的に、改革の反対者と手を握ること

もありうる。しかし、唯一の確実な永続的な改革の源泉は自由である。なぜならば、自由によってこそ、

およそ存在している限りの個人と同じ数の独立した改革の中心がありうるからである。しかし、進歩の原

理が自由への愛としてか、それとも進歩への愛としてか、いずれの形態をとるにせよ、それは常に慣習の

支配に反対するものであり、少なくとも、慣習の軛からの解放を含んでいる。そして、進歩の原理と慣習

と、この両者の抗争は、人類の歴史の主たる関心を構成しているのである。世界の大部分は、慣習の専制

が完璧であるために、正確にいえば歴史をももってはいないと言ってよい。東洋の全体がこのような状態

にある。そこでは、慣習があらゆる事柄について最後の拠りどころである。正義と公正とは慣習に一致す

ることを意味している。権力に酔っている暴君を別とすれば、慣習の主張することに反抗しようと考える

ようなものは一人もいない。そしてその結果は、われわれの見ている通りなのである。それらの国民も、

かつては独創性をもっていたに相違ない。彼らは、最初から人口の稠密な、教育も普及し、多くの生活技

術にも通暁していた国土から発足した、というわけではない。彼らは、自分の力でこれらのすべてを作り

出したのである。そして当時においては、世界最大の最も有力な国民であった。ところで、その彼らが今

日ではどうなっているか。彼らの祖先がすでに壮大な宮殿と豪奢な寺院とをもっていた時代にはまだ森林

の中を彷徨していたに過ぎない種族――しかし〔その当時でも〕慣習によって全面的に支配されることな

く自由と進歩をも享受していた人々――を祖先にもつ諸種族の臣下や隷属民に成り下がっているのである

。およそ或る人民は、見受けるところ、或る期間は進歩して、やがて停止する。では、いかなる時に停止

するのか? その人民が個性をもたなくなる時である。しかし、同様な変化がヨーロッパ諸国民の上に起

こるとしても、それは東洋におけると全く同一の形で起こることはないであろう。ヨーロッパ諸国民を脅

かしている慣習の圧迫は、厳密に不動のものではない。それは異常なるものを禁止するが、すべてものが

共に変化する限りでは、変化そのものを阻むことはない。われわれは、われわれの祖先のお定まりの衣裳

をすでに捨ててしまっている。

  ( 『自由論』 第三 幸福の諸要素の一つとしての個性について J.S.ミル著 より )

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 現代における世論の傾向には、特に、個性の顕著な表現に対してことさら不寛容であるという特徴があ

る。普通一般の人々は知性において平凡であるだけではなく、性向においても平凡である。彼らは、何事

か異常な行為に傾いてゆくほど強い嗜好や欲求をもってはいない。したがって彼らは、かような嗜好や欲

求をもっている人々を理解しないし、かような人々のすべてを、彼らの平素軽蔑している粗野で放埓な

人々と同類と見なしてしまうのである。さて、一般的なこのような事実に加えて、道徳の改善を目的とす

る強力な運動がすでに始まっていると想像してみるだけで、われわれがいかなる結果を期待せねばならな

いかは明白である。今日このような運動は実際すでに開始されている。行為の規則性を増大させ過度の行

為を挫折させる方向に、実際に多くのことが為し遂げられた。また、現在博愛の精神が広く普及している

が、この精神の発揮にとっては、同胞たちの道徳と思慮分別との改善ということが、何よりも誘惑的な活

動分野なのである。以上のような現代の諸傾向が原因となって、行為の一般的な規制を指定しようとする

公衆の欲求と、あらゆる人々を是認された標準に一致させようとする公衆の努力とは、過去のほとんどい

かなる時代におけるよりも更に強烈なのである。しかもその標準とは、明示されていることもあり暗示さ

れるだけのこともあるが、要するに何事をも強く欲求しない、ということである。人間性の諸部分のうち

特に抜きん出て、その人物の輪郭を平凡な人々とは際立って異なったものとするようなあらゆる部分を、

中国人の婦人の足のように緊縛して不具にしてしまうことである。

  ( 『自由論』 第三章 幸福の諸要素の一つとしての個性について J.S.ミル著 より )

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 一般の慣習と異なる事柄の中で、どれが〔将来〕慣習に転化してゆくのに適当かということが、やがて

明瞭になって来るためには、慣習と異なる事柄に対して可能な限り(道徳の範囲内で)自由の余地を与え

ることが肝要である。

 しかし、独立の行動と慣習の無視とが奨励に値するというのは、よりよき行為の様式が発見され、また

一般に採用されるに足りるよりよき慣習が発見されるような機会が、それによって与えられる、というこ

とにのみあるのではない。また、自分自身のやり方で生きてゆこうという要求が当然と認められるのは、

確固たる精神的優越を備えた人々だけに限らないのである。すべての人間的存在が、或る一つまたは少数

の型に従って構成されなくてはならぬという理由は、どこにも存在しない。或る人がともかくも普通の常

識と経験とをもっているならば、彼自身の生活を自分で設計する独自のやり方が最善のものであるが、そ

の理由は、その設計が本来最善のものであるからではなくて、それが彼独自のやり方であるからである。

人間は羊のようなものではない。否、羊でさえ区別しえないほど一様のものではない。

 人の異なるに従って、その精神的成長のために必要な諸条件もまた異なるのであって、すべての人々が

同一の精神的環境と風土との中では健全なる生存を保ちえないことは、あらゆる種類の植物が同一の物理

的環境と風土との中では健全な生存を保ちえないのと同様である。或る人にとって彼れのより高い本性を

啓発するのに役立つその同じ事物が、他の人にとってはかえってその障碍物となる。同じ生活様式が、或

る人にとっては健全な刺戟となり、活動と享受との一切の能力をその最善の状態に維持するものとなるの

に反して、他の人にとっては心を乱させる重荷となり、一切の内的生活を停止させたり、破壊したりする

ものとなるのである。いかなる源泉から快楽を汲みとるかという点においても、苦痛に対する感受性の点

においても、またさまざまな肉体的精神的動因によって与えられる影響の点においても、人と人との相違

はこれほどまでに著しいものがあるのであるから、もしもこれに対応するだけの相違が人間の生活様式の

中にも存在していないならば、人々はその正当なる幸福の分け前を手に入れることができないし、またそ

の天分の許す限りまで知的、道徳的、および美的能力を充分に生長させることもできないのである。それ

ならば、〔異端や少数意見に対する〕寛容というものが、味方の多数を恃んで人々の黙従を強要するよう

な趣味と生活様式だけに限られなくてはならぬ、という理由がどこにあるのであろうか?

  ( 『自由論』 第三章 幸福の諸要素の一つしての個性について J.S.ミル著 より )

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 私(J.S.ミル)は、強力な天才人が力をもって世界の政治を簒奪し、世界それ自身があるにもかかわら

ず否応なしに全世界を自己の命令に服せしめることを喝采する、というような「英雄崇拝」を是認するも

のではない。彼の要求するすべては、道を示すことの自由のみである。他の人々を強制してその道を行か

せるような権力は、他のすべての人々の自由や発展と相容れないのみでなく、強者自身をも堕落させるこ

ととなる。しかし、単なる平均的人間の大衆の意見が至るところにおいて支配的な力となっているとき、

またはなりつつあるときにおいては、その傾向を牽制し矯正する働きをするものは、思想的に卓越した立

場にある人々の、ますますはっきりと顕示された個性であると思われる。例外的な個人が大衆とは異なる

行動を取る場合に、これを阻害しないで、むしろ鼓舞せねばならないのは、特に以上のような情勢の下に

おいてである。他の時代においては、例外的な個人がこのように大衆と異なる行動を取ることには、その

行動が単に大衆と異なるということだけではなく、より善いというのでない限り、何らの利益もなかっ

た。現代においては、一般的なものへ順応しないという実例だけでも、即ち、慣習に膝を屈することを拒

否するということだけでも、そのこと事体が一つの貢献なのである。世論の圧制が甚だしくて、普通でな

い〔奇矯〕ということが非難さるべきことになっているくらいであるから、正にそれ故に、このような圧

制を打ち破るため、人々が普通でないということこそ望ましいのである。力ある性格の豊富に存在してい

た時代と場所においては。奇矯な言動もまた常に豊富に存在していた。そして、一つの社会における奇矯

な言動の豊富さは、一般に、その社会の包含している天才、精神的活力、および道徳的勇気の豊富さに比

例していた。今や敢えて奇矯ならんとする者が極めて稀れであるということは、現代の主たる危険を示す

ものである。

  ( 『自由論』 第三章 幸福の諸要素の一つとしての個性について J.S.ミル著 より )

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