平成17年4月6日から平成23年9月6日までのブログ

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言論の自由

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言論の自由は大事だけど、人の嫌がることは言わないが益し。

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未来のために

 余 愛のために
 情を切り捨てる
 仕事の鬼

 会社なくして
 結婚にいたらず
 必死に働く

 余の恋人
 元気が失せて
 余が代りに頑張る

 二艘の舟
 互いに支え合って
 進んでいく

                    霧山人

 いずれの側に対する罵言に対しても、法律と官憲とがその抑止に手を出すべきではないことは明らかで

あると共に、世論は、あらゆる場合に、当然、その個々の事例の事情に応じて判決を下すべきである。す

なわち、論争のいずれの側に与しているかを問わず、その主張の仕方において公平を欠き、悪意、偏執、

または不寛容の感情があらわれているような人を、すべて非とせねばならない。ただし、或る人が或る問

題に関してわれわれ自身とは反対の側にくみしているとしても、彼のくみする側の如何によって、右にあ

げたような不道徳行為の存在を推論してはならない。また、反対者とその意見とをありのままに看取する

冷静さをもち、またそれをありのままに陳述する正直さをもっている人々、また、反対者に不利となるよ

うないかなる事実をも誇張せず、また反対者に有利となるような、または有利となると想像されるような

意見を抱いていようとも、当然の敬意を表せねばならないのである。これこそ公の論議に関する真の道徳

である。そして、この道徳はしばしば侵犯されるとはいえ、これを大いに遵守している多数の論客があり

、またそれを遵守しようとして良心的に努力しつつある、さらに多数の論客の存在していることは、私の

欣快とするところである。

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )

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 今やわれわれは、四つの明白なる根拠に基づいて、意見の自由および意見を発表することの自由が、

人類の精神的幸福(人類の他の一切の幸福の基礎をなしているところの幸福)にとって必要なことを認識

した。以下、簡単にその四つの根拠を概括しよう。

 第一に、或る意見に沈黙を強いるとしても、その意見は、万が一にも真理であるかも知れないのであ

る。このことを認めないのは、われわれ自身の絶対無謬性を仮定することである。

 第二に、沈黙させられた意見が誤謬であるとしても、それは真理の一部分を包含しているかも知れない

し、通常は、包含していることがしばしばある。そして、いかなる問題についても、一般的または支配的

な意見が完全な真理であることは稀れであるが、絶無であるのであるから、真理の残りの部分の補充され

うる機会は、相反する意見の衝突することによってのみ与えられるのである。

 第三に、一般に認められている意見が単に真理であるというに止まらず、完全なる真理であるという場

合においてすら、それに対して活発な真摯な抗議を提出することが許され、また実際に提出されるという

ことがないならば、その意見を受容する人々の大多数は、偏見を抱く仕方でそれを抱き、それの合理的根

拠を理解しまたは実感するということはほとんどないであろう。だがそれだけでなく、さらに第四に、そ

の教説そのもの意味が失われまたは弱められて、その意見が人の性格と行為とに与える生き生きとした影

響が抜き取られる、という懼れがあるであろう。すなわち、その教説は、単なる形式的な信条告白となり

、永久に功能を欠いて、ただいたずらに場所をふさぎ、理性または個人的経験から真実な心からの確信が

成長して来るのを妨げることになるのである。

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )

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 政治においても、秩序または安定を標榜する政党と進歩または革新を標榜する政党とが、政治生活の健

康な状態にとって共に必須の条件であるということは、〔今日では〕ほとんど取り立てていうまでもない

こととなっている。いずれか一方の政党が、その精神的理解力を拡大して秩序と進歩とを共に主張する政

党となり、保存すべきものと一掃すべきものとを熟知し弁別しうるようになるまでは、このことが必要で

ある。これら二つの考え方のいずれもが効用をもっている所以は、相手方に欠陥が存在しているためであ

るが、しかしまた、二つの考え方のいずれにも、理性を失わせず常軌を逸さないものは、主として相手方

の反対というものなのである。民主政治と貴族政治、財産と平等、協力と競争、奢侈と節欲、社会性と個

人性、自由と統制、その他実生活に関する一切の不断の対立に関して、それぞれの側に賛成する意見が、

同様の自由をもって表現せられ、同様の才能と精力とをもって強調せられ弁護せられないのならば、双方

の要素がその正当なる分け前を獲得しうる機会は存在しない。一方は必ず不当に利得し、他方は必ず不当

に損失することとなるのである。人生の重要な実際問題においては、真理とは、実に反対説を融和させ結

合させる問題だといってもよいのであるが、しかも知識の正確さを求めてそれに近寄りつつ反対説を調整

することができるほど包容力の大なる公平な心を備えた人物は極めて稀れであって、そこで、この調整は

、敵対的な旗幟の下に戦う戦士たちの闘争という手荒い方法によってなされねばならないのである。(ま

あ、反対説を調整し包容力の大きくて公平な心をもった仁徳者がいれば、政治闘争も少なくなって、それ

にこしたことがありませんが。霧山人注)

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著 より )

   

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 一般に認容された意見が真理である場合に、自由な論議を許さぬことから起こる弊害が、単にそれらの

意見の根拠について人々を知らないままに留まらせるということだけならば、このことは、知的害悪であ

るとしても道徳的害悪ではなく、性格に及ぼす影響という点から見て、それらの意見の価値を左右するも

のではない、と考えられるかも知れない。しかし実際には、論争の行われない場合には、意見の根拠が忘

却されるだけではなく、また実にしばしば意見そのものの意味が忘却される、というのが事実である。意

見を伝えるための言葉は、全く思想を表示しなくなるか、或いは、最初その言葉が伝えようとしていた思

想の一小部分を表示するに過ぎなくなる。鮮明な概念と生命ある信仰とは失われて、機械的に暗記された

少数の文句が残るに過ぎなくなる。或いはまた、意味の一部が辛うじて記憶されるとしても、単にその外

殻と外皮とが記憶されるに止まり、純美なる精髄は忘却されてしまうのである。このような事実が占めま

た満たす人類の歴史の重要な一章は、いかに熱心に研究せられ熟慮せられても過ぎることはない。

   ( 『自由論』 第二章 思想および言論の自由について J.S.ミル著より )

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