「なんとかなるだろ」 イングランドの田舎に家族居残り

国際化社会。子供らに重要なのは英語なんかでない。大切なのは人間性だ。専門知識があればなお良い。ちゃんと将来を担う若者が育つ社会に

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ニュースでも見ようとテレビをつけるとどこかの官僚風のおやじが「BAAのあの対応は全く許せない。雪のせいだけではない」とえらくおかんむりだ。どうも先週の大雪のときヒースロー空港が大混乱になったようで、その時の責任をとやかく議論している。
BAAというのはイギリスの空港を管理運営している団体の名前(だと思う。空港に行くとBAAのサインがあちこちにあるので)

今年もクイーンのクリスマス演説は聞かなかった。今年は家にいるので観ようと思っていたが気がついたら終わっていた。

10歳の息子は日課のバイオリンの練習。いまひとつ気合いが入らない。「真剣にやらないのならもうやめてしまいなさい」と母親から怒られている。不思議なことにやめたくはないようでこう言われると15分くらい練習に身が入るようだ。15分以上は続かない。

そとは雪景色。それでも28日ころから気温が上がっていまはシャーベット状だ。クリスマス以降、雪はふっていないがときどき冷たい雨が。それがやんだと思ったら今度は霧だ。

クリスマスの日は裏庭で息子と遊んだ。雪だるまをつくろうとしたが雪が固まらないのであきらめ、シャベルですくって砦を作った。
家の軒下には大きなつららが何本も垂れ下がっている。
固まらない雪を苦労して玉をつくり、つららめがけて投げる。どっちが多くつららを落とせるか競争。

それにあきると近所の羊の丘へ散歩に行った。途中の小川は凍っていて、上から雪を降りかけると模様ができる。それに夢中になって遊んでいる。ボクではない。息子が。
羊たちは雪をかきわけひたすら草を食べていた。寒さにはまったく動じていない。

実はクリスマスの少しまえから家族の済むイングランドの「我が家」に遊びに来ている。
上の息子は「よー」と言っただけだったが下の息子は「パパと遊べる」と大はしゃぎだ。
夜の11時過ぎにボクを迎えに空港まで来ていた。

しかし、イギリスは相変わらずだ。
それ以外のことはともかく「仕事」だけはまともにできない団体(BAAとか)がある。
王国らしく、キリスト教の国らしく女王がクリスマスに演説をする。
雨が降る代わりに雪が降った。寒ざむとした、湿った景色。雨がやめばこんどは霧の出番。

我が家もあいかわらずだったが、ひさしぶるなのでパパはすこし大事にされている。
買い物リストをもらって食料品の買い出しを仰せつかった。「間違ったものを買ってこられると困る」とお目付け役に10歳の息子が同行。それが済むと「久々にやってみる?」とお風呂掃除。

昨晩は大家さん夫婦と一緒に近所のパブに行った。おたがい夕食を済ませてから。
えらく混んでいる。この光景をみるとホッとする。「お酒を飲んで友達と楽しんでいればなんとかなるさ」というこの雰囲気。
知り合いに3人も遭遇。話が弾んでなかなかカウンターに近づけない(イギリスのパブは自分でカウンターに行って注文し、飲み物をもらいお金をその場で払う)。知り合いの一人が「こんなに混んでいるのにカウンターは一人でやっているのでなかなか進まないよ」と嘆いていた。向かいにあるインド料理の店で食事をする前にパブで一杯ひっかけよう、とやってきたらしいがあきらめて出ていった。

パブの中でテーブルを確保するのも大変だった。うちのかみさんと大家さんの奥さんが必死に小さいのを確保。
ステラというビールを3パイント飲んだ。
大家さんの奥さんは毎週木曜日に息子をテニスに連れて行ってくれている。というか息子は木曜は学校が終わると大家さんの家(隣り)に帰宅する。ちょっとしたお菓子を食べさせてもらいそれからテニスに行く。
かみさんは学校があるのでやむを得なくこういうだんどりになっている。
でも大家さんは「役に立てて本当にうれしい。あなたは私のヒーローよ」とかみさんにむかって何度も繰り返していた。

帰り道は凍った雪の上を千鳥足で。こけそうになるのでみんなで手をつないで。

damped, snow, icicle,ice, cold rain,fog and pub なにもかもあいかわらずのイギリスだ。

志望の大学

もう8年近く前になる。それまで住み慣れたアメリカを離れ日本に帰ることが決まったとき長男は泣いた。10年近く住んだテキサスは11歳の彼にとってはまぎれもなく「俺の国」であり、日本はおじーちゃんとおばーちゃんが居る楽しい夏休みの旅行先でしかなかった。テキサス時代の最後の3ヶ月は毎週、週末になると赤い腫れた目で食卓についていたのを覚えている。
こんなのフェアーじゃない、と訴える。ボクはそのとおり、人生はフェアーじゃないと息子に言った。

日本語を話す、ということ以外何の共通点もなく、また友達も居ない日本での生活は大変だったはずだ。少しは責任を感じたボクは最初の2週間は学校へ送っていった。
電車の乗り方も知っているかどうか怪しい、という現実的な問題もあったが。

それでも半年くらいたてば、それなりに学校生活にも慣れ、友達もできそれなりに日本の生活になじんでいった。本人の内心はどうであったかはかり知るよしもないが。

それから3年半もたたないうちに、今度は英国への引越しが決まった。6歳の次男とともに14歳の長男はまた見知らぬ土地で見知らぬ学校に行くはめになる。

半年くらい前に長男と話をしていてイギリス引越しの時の心境はどうだったのか聞いてみたことがある。すると「大変とは思ったけど、アメリカから日本に帰った時のあの強烈な経験があったからあれよりはましだろうと思っていた」と。

長男は今、日本でいえば高校3年。英国ではSixth Formと呼ばれる2年制Collegeの最終学年。どこの国でも大学進学がメインテーマのお年頃だ。
ボクとしては日本の大学に行ってほしいと思っているが、本人はほとんどその気がない。
それでも義理でか何でかは知らないが「来年の夏には日本の大学の願書も出すよ」と言っている。
さて、英国の大学についてはすべりどめ?も含めて5つ願書を出した。そのうち2校からはすでに無条件の入学許可が来ている。しかし、彼の本命はそうやすやすと入学を認めてくれない。面接やSixth Formの最終テストであるAS Levelという試験の結果で選考される。

英国の大学の入学選考は15歳のときのGCSEテスト、16歳のA Levelテスト、それに17歳のAS Levelテストの結果を総合して決める。学校によってはこれ以外に面接を課したり、あるいは逆にAS Levelの結果をまたず入学許可をだしたりする学校もある。

9月からのこのSixth Formの最終学年の始めにちょっとしたエピソードがあった。それはどの学科を選択するか、である。
最終学年ではそれまでより教科数が減って全部で3教科になる。当然、それが最終テストの教科にもなるので自分の得て不得手と志望する進路の組み合わせで決めるわけだ。長男は経済学か社会学を志望している。

ところがその前の6月のA Levelテストの結果で歴史の試験結果が本人も驚くほど良かった。逆に経済のテストは合格ラインのぎりぎりだ。
これで迷いがでた、つまりSixth Formの最終学年は予定を変更し歴史科目を選び経済科目を落とす。
これが一番の安全策だ。
大学で社会学科系を学ぶにはどちらもいい。ただ息子は本当は経済に興味があり社会学系と言っても経済学を学びたいと思っている。
また悩ましいことにこちらもやり方がある。つまり大学入学は経済をはずし、入学後2年目で切り替える、という手だ。
よっぽど迷ったのだろう、学校の選択科目決定の3日前に日本にいるボクのところに電話をよこした。相談にのった、というかどういう風に考えて選ぼうとしているのか確かめた。どうも経済科目も歴史科目も本人としてはやりたいと思っているようだ。ただ、経済の方に興味はかなりあるが。そこまで聞いてボクはこれはどちらを選んでも問題はないようだ、と認識した。
電話の最後に息子が「おとうさんならどうする」と聞いてきた。かなり悩んでいることが伺える。そこで「おとうさんはお前じゃないからわからない」と言っておいた。

しばらくしてから息子からSixth Formの最終学年の学科選択についてどうしたか連絡が来た。安全な歴史科目はやめ、経済科目を選んだと。
どうしてか聞いてみた。
「本当にやりたいのは経済。で、もしこの1年一生懸命頑張ってそれでもAS Levelのテストがだめなら経済は俺に向いていないとあきらめがつく。だから試してみようと思った」と言っていた。
やるじゃないか、息子。
これボクが会社でもよく言っている「失敗する自由の必要性」だ。挑戦とも言う。
だめでも簡単にあきらめる必要もないのだが、そういうことはまたそのうちに学ぶだろう。今大事なのは「やってみよう」という気持ちになること。

今週息子は第一志望の大学に面接に行った。
結果がでるのはまだまだ先だ。

ご健在ですか

最近の楽しみは、とあるこじんまりとした日本食のお店でその経営者であり板前さんの詠さんとだべること。もちろんお店に食事に行ってのことであるが、そのままずるずるとしゃべっている。
忙しいのに営業の邪魔にならないかって?
ここだけの話 詠さんの店はそんなに忙しくない。大丈夫だろうか。大きなお世話だ。

この店は実は5年前、つまり英国へ引っ越す前から知っているのだが、今回日本に帰ってきて時たまたまその店の近くに住むことになり、通うようになって詠さんとも親しくなった。

夕方の稼ぎ時、と思われる時間に行ってもお客さんはまばら。ボクはカウンターに座り詠さんと世間話やら子供の教育のことや、日本経済のことまで、気の向くままにしゃべりながら注文をいれ食事をする。
昔のボクなら行きつけの飲み屋があり、そこでおかみさんとだべりながらお酒をのむ、といパターンだったが(これはでももう15年以上昔の話)、最近はなんとなく同姓つまりおっさんと話をするほうが楽しい。

この店で手伝いをしている女の子がいる。さきちゃんという高校生、なので平日にはほとんどいない。土曜、日曜あるいは祝日にいる。
詠さんが忙しいときはその子とも話をする。少し気を使う。なんせボクはおっさん。こちらは気さくに話をしていても相手からみればからまれたような嫌な気持ちになるかもしれない。そうはさせたくない、それじゃせっかくの職場がつらくなるだろう、と。なのでしゃべり過ぎず、かといってよそよそしくならないように、中庸を目指している。結構、難しい。

まあ、こういう点が相手がおっさんだと気楽でいいというのもあって詠さんの店が気にいっているのだが。

先日、さきちゃんと話をしてご両親のことが聞きたくなり、まず「親御さんはご健在ですか」と聞いてみた。しかし相手には「オヤゴサンハゴケンザイデスカ」としか聞こえなかったようだ。つまりボクが何をいっているのか理解できなかったらしい。
これが発端で詠さんとかんかんがくがくの議論になった。世代の違いか、いや日本語の問題などと話しているうちに「ところでさきちゃん、2001年9.11の世界貿易センタービルが崩れた事件知ってるよね」と聞いてみた。当然「はい」と返事がくると思ったら「うーん、聞いたことはあるけど、、、昔の事件ね」と。
むかしではない。あれはつき去年の、あれもう9年も前!のこと。今16歳だと当時7歳、なるほど昔か、、、
この後、詠さんが「じゃ80年代のバブル経済の話なんて本当に知らないんだな。あのころに女子大生なんかだと彼氏が何人もいて車で送り迎えしてもらったりできたのに、残念」と何が残念なのか意味不明の展開。
ボクも「そういえばおれも女の子に呼び出されて、夜中の2時ごろ六本木まで迎えに行ったな」と、言ってはみたが、さきちゃんにはまったく通じず。
悔しいので詠さんと勝海舟と伊藤博文の関係や福沢諭吉が勝海舟を嫌っていた話とかになったが状態は悪化するばかりだ。
いやこれが実に楽しい。

さてボクは竜馬伝のファンだ。普段テレビは観ないのでこれが唯一の視聴する番組でもある。日曜の夕方に詠さんの店に行くときは7時には切り上げる。家に帰り風呂にゆっくりつかってから8時から始まる竜馬伝を見るためだ。
この前いつもそういう理由で7時に帰るボクに詠さんが面白いことを言った。
「サザエさんには勝てたが、竜馬には負けたか」と。

ボクはこの曲が好きだ。
この曲を聴くと元気がでる。
よっしゃ、とかやってやろう、と思えてくる。
満たされないのが人生、それでも無駄とわかっていても、この曲を聴くともう一度サイコロを投げるように自分の人生にもう一回チャンスを与えてみようという気持ちになるから不思議だ。

去年録音されたとされているSteve Perryのインタービューを見つけた


South Detroitという場所は存在しないらしい。
ワインとやすっぽい香水の臭い、というセリフが好きだったがSteve Perryの子供時代からの「場末」のイメージか。
夜、街灯の灯のしたをたむろする人々、このセリフは壁にぶち当たって迷っている時の自分に重なる。幸か不幸か今は壁にぶち当たっていない。

ところでSteve Perryの「あなたに(お金の)借りができた」というのは別のインタビューでも言っていたのでほめてもらったときのお礼の口ぐせだろう。


ところで今月14日のニューヨークから出張帰りの飛行機の中で書き始めた25日が提出期限のMBAのレポート。この前の土日と今日勤労感謝の日の午前を使い完了。しかし、休む暇はない。今日の午後は試験に向けてCase(Ryanairという航空会社の戦略)を読んだり、ケインズのマクロ経済の勉強をした。平日は仕事に追われるので休みの日が勝負だ。

水漏れ桶

先週の日曜日、MBAの勉強グループのみんなとSkypeで打ち合わせをやった。テーマはIHGという世界でも5本の指に入るホテルチェーンの事業戦略について調査し、報告すること。

ボクのようなDistance Learnerは一人で調べてレポートを作成する、ということになっている。が、一人でやるのは大変だし、第一張合いがない。そこで教授と交渉。例外としてDistance Learnerでも授業に参加している生徒とグループを組んでやらせてくれないか、と。そして「もし許可してくれるならついでに夜間クラスみんな知り合いだからボクを仲間に入れてくれるグループがいないか聞いてみてくらないか」と打診してみた。2日もたたないうちにSumeshやErinからボクの調査担当範囲を知らせるEメールが届く。その6日後つまりこの前の日曜が調査した経過を持ち寄り、話し合う場に。

英国時間で午後1時、日本では夜10時から打ち合わせは始まった。
最近のコンピュータはマイクやスピーカーが内臓させていて、会議電話のように使えるのでグループでも便利。5人が学校のミーティングルームに集まっている。みんなの声もよく聞こえるし、あいてもこちらの話がクリアに聞こえると。

みんな準備してきたものを各々が説明。途中、結構議論が白熱。自分のパートの説明が終わったのは夜中の2時近く。悪いが翌日会社なのでそこで退散させてもらった。

しかし、Skypeの技術もすごい。なんと言っても音声品質が良い。インターネットはパケット(小包)通信という方式なので、しかも公共インターネット(というのは日ごろみんなが使っているインターネットのこと。小包毎の優先順位を区別せず、小包の消失も保障せず、遅延も保障しない)はあまり信頼できないものでウェブ閲覧とかEメールの通信では気にはならないが、実時間性が問題になる人どおしの通話に使うにはいろいろ大変なことがある。途中でエコーが聞こえたときが少しあったくらいで会議の通話でも全く問題のない品質だった。

会議といえば実は今週は水曜からアメリカのニューヨークの近くに来ている。大事なお客さんと「打ち合わせ」のため。今は金曜の夜で終わってひと息ついているところ。
お客さんと「長期的な互恵関係を築く」というちょっとやっかいな課題。8月からの準備や交渉を進めてきたが今回で一区切りの打ち合わせ。まあまあ合格点のできか、と思う。「もうお前らの顔は見たくない」と言われなかったし、次回の約束も取りつけた。
一緒に来ていたドイツ人の元気のいい博士さんと日本人の若い研究者のあんちゃんが「アメリカには何回も来ているがニューヨークは初めて」というので水曜は空港からレンタカーでホテルに行く途中、ちょっと回り道をしてマンハッタンに寄った。
あまり好きな場所ではないが、10年以上ぶりなのでまあいいかと。
目指したのはマンハッタンの南の端にあるBattery Parkという自由の女神やElis島が見える場所。
途中、7番街を通って行ったが案の定、渋滞。「ね、東京とかわらんだろ。ビルがいっぱいあって渋滞しているところなんか」と言ったら妙に2人も納得していた。車でくるのが間違っているが目的地はNew Jerseyのちょっと南、車で1時間くらいの所まで行くので仕方がない。
Bronx側からマンハッタンに来たときFDR Driveという道をとおれば渋滞につかまらないのだが、East Riverをトンネルを越えてきたところでどうやってFDR Driveに入るかわからなくなり、そのまま街中をとろとろ、という羽目に。

明日の土曜にはもう帰る。日本に着くのは日曜の午後だ。そして今EメールをみたらMBAのグループから「日曜夜11時に打ち合わせ(英国時間で午後2時ということ)」となっていた。Skypeは便利だが、こうなると無いほうがいいかも。

ところでSkypeで使われている技術はボクもいろいろやってきた。振り返ると20年くらいまえからやっていたことだ。そのひとつが「水漏れ桶」だ。
うーん、この説明は次回にしょう。ちょっと疲れた。


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