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日本に帰ってきて4週間ほどたった。暑さにもちょっと慣れた気がする。 |

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こんにちは、ゲストさん
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日本に帰ってきて4週間ほどたった。暑さにもちょっと慣れた気がする。 |
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帰国した2週間前はあれほど暑いと思っていた日本の夏も、今は生き残れそうな気持ちになるから不思議。 |
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いきなり脱線するがCheryl Coleという歌手(?)がいる。最近タンザニアに行ってマラリアにかかったそうだ。会社の同僚にタンザニア人の人がいて「おれのおやじの会社の虫除けを使わないからだ」と言っていた。お父さんはタンザニアで薬の販売会社を営んでいるらしい。 その同僚の話によると「虫除けは地元の薬でないと利かないんだ。Cheryl Coleはイギリス製の虫除けを持っていったに違いない。おやじの会社で買えばよかったのにだ」と父親の会社の宣伝をしていた。 Cheryl Coleという人をYoutubeで探した(ここをクリック)。Simon CowellのやっているXFACTORという英国の素人のど自慢のような番組で審査員をやっていたようだ。これはBirminghamでやったオーディション(事前審査)の様子。 きれいな人だが、話し方がいい。この訛りはまったりしていて、まるで田舎のおねーちゃんだ。 そこがボクは気に入った。英国の田舎の羊と牛の群れがいる丘が似合いそうなしゃべり方。ファンになるかも。 さて、話は変わってお客さまの話。 いつのころからかモノを大量に生産し、それを消費することを経済活動の主流になった。そしてこの活動が盛んな国を先進国と呼ぶ。生産する人からみると消費する人は客だ。 日本ではお客はやたら丁寧に扱われる。 ボクが住んだ米国や英国ではこの辺の事情がちょっと違う。 よく知られていることだが、英国や米国でお店に行って買い物をした場合「ありがとう」というのは客だ。 むこうは「どういたしまして」となる。 家のなにかが壊れて修理を頼む場合、かなり気合の入った対応が必要。 約束の日時を決めてもその時間に来ない。 「今日は天気が悪いから行けない」とむこうから連絡は来るのはましなほう。 予約を取り直してその約束の時間になったがやっぱり来ない。連絡すると 「今日は天気が良すぎて行けない」となる。 三度目は「曇り空なので万が一に備えて今日は自粛する」と。 修理が終わるというか始まるのはいつのことやら。 もうしばらく前だが、自分が持っている銀行系のクレジットカードが無料でアップグレードできることを知りその手続きをした。 これがまた大変。 そもそも銀行の人からこの無料アップグレードを教えてもらったのだが、その人も詳しくやり方を知らない。それでもなんとかやり方を探し出してきて教えてくれた。 ところが、その指示に従ってその銀行のクレジットカード部門に電話をすると全く違うやり方を説明される。 もう一度両者の説明を良く聞き、説明の共通点と相違点を整理し、その共通点に基づいて自らの判断で正しいと思われる手続きをした。 こんなことはこの国では比較的頻繁に起こる。 すべては客が自ら「勝ち取る」という不断の努力が必要。 消費者という言葉がある。今の世の中の先進国と呼ばれる国では国民のほとんどがこの範疇に入る。
しかし日本でも英国でも消費者と呼ばれる人たちは100年ほど前までは農民か奉公人で貧しかった、従い消費は最小限にし、それも自給自足、すなわちすべて自分でまかなっていた。 食べ物は自分の畑で取れたもの。鶏肉が食べたいならニワトリは自分で「と殺」し「処理する」のが普通だった。 スーパーマーケットや銀行や車屋のお客になったのはここ50年くらいの出来事。 電話一本やインターネットのクリックひとつで人がわざわざ家まで来るようになったのは決してボクら消費者と呼ばれる「お客様」が偉くなったからではない。 たった100年程度のことなのにボクらはもう昔のやり方には戻れない。(自分でニワトリの処理なんて出来ない) だから鶏肉がほしけりゃスーパーで買うしかないのだ。 お客様だといってふんぞり返るのはどうかと思う。 |
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日本のチーム、ワールドカップの対デンマーク戦は本当に感動的でした。 |
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宗教の話題をするのはそれなりのリスクを伴う。 ボク自身も含めて多くの日本人は宗教的話題に非常に寛容だ。だから認識が薄い。おかげでボクは何度かアメリカで痛い思いをした。 知らないうちに人を傷つける言動を。なのでやめておいたほうがいいのだが、、、、 日本で 「実はキリスト教を作ったのは神でもイエス・キリストでもなく、ローマ帝国が人民支配のためにつく上げたものだ」 とか 「サンタクロースの服が赤くなったのはコカコーラ社が広告に採用してから」 などと話題にしても「そんなこと知ってるよ」とか「本当か!」とか「へー」くらいで済む。 今なお宗教上の対立で多くの人が命を落とすという世界、日本以外の場所はちょと感覚が違う。 さて、マーケティングで大事なことの一つは企業や製品の戦略に基づくメッセージの強力な伝播と人心のコントロールだ。ここで制約事項をいかに使うかで異なった戦略をとり得うる。 人は制約の無い自由を羨望するが完全な自由の中では不安と戦うすべを知らない。そこでなんらかの組織への帰属意識による安心を追求する。 組織に帰属すると中には「そこの制約から抜け出したい」やからが出てくる。しかし、抜け出したもののやっぱり不安に駆られて、、、、 弾圧から一転、共生・率先・布教の策に転じたローマ帝国の経営幹部会議では当時思惑どおり浸透していたキリスト教に対するある挑戦に対処するあらたな策の立案を迫られていた。 そこで登場するあらたなコンセプトが「地獄」である。旧約聖書にもユダヤ教の古い経典にも地獄は存在しない。 サタンは神の言うことを聞かなくなった反逆者の名前で元は天使であり、神の家族の一員であった。 キリスト教布教に立ちはだかった重要問題とは「自ら死という安楽」を選ぶ人たちだ。 これは厳しい境遇化で生活する当時の一般人の心をイエス・キリストが導く安楽の地により取り込もうとするローマ帝国製キリスト教にとっては最大の敵対思想。 そこで地獄というとんでもない世界を作り出し「「自ら死を選ぶ者」は現世より100倍も辛い境遇に陥ると説き、歯止めをかけようとした。 ローマ帝国のキリスト教布教政策の面白いところはその目的はともかく、結果においていい影響を与えていることが多いことだ。 自殺者の増加を食い止めるというのは決して悪いことではない。 カソリック教徒には課せられている制約は多数ある。結婚も一生に一度しか出来ない。 しかし、これも決して悪いこととはいえない。 以前 http://blogs.yahoo.co.jp/rkgyd027/32141506.html で書いた 「本来、無限に広がっている陳列棚に敢えて制限された区域を意図的に作る。」という発想も制約により人心を勝ち取る手段なのだ。 しかし、制約を課すと必ずその枠から逃れようとするプロテスタントの意識が働き、これもまた別の人心を勝ち取る方法になり得る。 規模と時代が違うが人間のやっていることはいかに相似であるか。 この記事なんかまさに新興宗教の状景である。
http://www.lightreading.com/document.asp?doc_id=193640& (この行き先の写真をクリックするともっと見れる) |
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