「なんとかなるだろ」 イングランドの田舎に家族居残り

国際化社会。子供らに重要なのは英語なんかでない。大切なのは人間性だ。専門知識があればなお良い。ちゃんと将来を担う若者が育つ社会に

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今の世の中、英語は必要だが重要ではない、しかし言葉は昔も今も変わらずに大変重要である。

言葉は会話をする為の道具であるが、それより重要なのはそれは人間が持っている「考える」ための唯一の手段であり、考えることそのものだから。

幼児の場合、ここで言う言葉は母国語(つまり両親がしゃべる言葉)なら何語でもいい。両親の片方が日本語で他方が英語なら両方でもいい。

さて、佐藤宗夫という人の講演(のビデオ)にすっかり感化されて読み聞かせを始めたが、そこに付帯条件があった。「幼児や小さい子供にテレビは見せない」
どうして? テレビを見ている分、本を読む時間が減るから?
というのもあるが、実はこれには読み聞かせの本質に意義に深くかかわっている。

読み聞かせとは「物語の語り聞かせ」である。しかし、親のほうはそらで暗記していて、しかも楽しい話なんてのはないのでやむを得ず本を読んで子供に聞かせることになる。
本といっても絵本で幼児のころに読むのは1ページに言葉は10語くらいの簡単な文章とページいっぱいの絵がかかれている。
絵本の絵はたいていが「いいかげんな」絵だ。ちゃんと名のある人が書いているが、まるで子供のいたずら書きのようである。
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うしかたと山んばという絵本だが、この手の絵が主流だ。一見、いい加減で未完成の絵である。しかも物語の場面を全て絵にしてあるわけではない。基本的にお話を聞かないと何が起こっているのかわからない。

これに比べるとテレビは実写の映像かあるいは漫画の類にしてもちんとした絵の画像である。
CGを駆使したStar Warsなどの映画の映像などは現実にないことでもあたかも実写のような迫力だ。
完成している映像なので観る側にはなんの負担もない。セリフが少々聞けなくても何が起こっているのか一目瞭然である。

しかし、ここがトリックなのだ。
絵本には想像の余地がある。絵本に描かれた静止画の山んばは物語の中では生魚を食べ、ものすごい速さで走って追いかけてきて、木にも登ってくる。その動きは読み手(聞き手)が頭の中で想像するしかない。

「想像の余地」と言ったがこの余地は実は宇宙のように無限に広がっている。そしてどんなCG技術を駆使しても追いつけない、超変幻自在なのだ。
しかも、読むたびに毎回同じとは限らない。聞き手が楽しい気分の日と悲しい気分の日では山んばの表情や動きまで違ってくる。

幼児に読み聞かせをするとこういう能力が自然に身に付く。すると絵本はますます楽しくなる。ただし、それを阻害する要因が無い場合に限る。それがテレビなのだ。

片や未完成で細部の詰めが甘い絵があるので大方の部分を聞き手の本人が物語を理解しながら自分で補うという補間作業を伴うものとその完成度の高さから聞き手(観手というべきか)は超リラックスモードで眺めていれば楽しめるものとは共存はできない。
リラックスモードで楽しめるテレビの方に慣れてしまい、補間作業が億劫(おっくう)になり、そのやり方が習得できない。

ところでこの「余地(空間)」はただ単に想像力を駆り立て物語を楽しみ、本好きになるための架け橋という意味だけではない。
それは将来ある程度成長してから「抽象概念」を認識するにあたり非常に大切な役割を果たす。

「いじめっ子」という言葉を聞くとボクは大きな丸い顔のわんぱくな子供が手に拳骨を握り、ものすごい形相でにらみつけている姿を想像する。しかし、その目は涙で潤んでいる。
どうしてそうなのかは分からないがこれがボクの「いじめっ子」のイメージなのだ。

英語にannoyingという言葉がある。いやな事を意味する。この言葉を聞くと蚊がが顔の周りをぶんぶん飛び回り掃っても掃いきれない情景が浮かぶ。

ボクの「いじめっ子」のイメージを言葉で正確に表現するのは至難の業だ。なぜ、丸顔かというといじめっ子は気が強くよく食べるて良く寝るのだ。拳はいじめの象徴だ。しかし、なぜ目が潤んでいるのか。それは辛いことがあるのだ。好きでいじめをやっているのではない、彼なりの理由がある。
概要はこんなんだがボクのイメージはもっと細部までいろいろあり言葉では語りつくせない。
しかし、頭の中にある、それは残念ながらだれともそっくり共有できないが、イメージはこれらを一瞬にしてボクに毎回毎回正確に認識させてくれる。
Annoyingでも同じである。「うざいこと」という言葉に近いが「じゃ、うざいって何?」となるとまた説明が必要だ。でも蚊が飛んでいる情景を想像すると「あーあの状況ね」とボクは納得する。
でも、同じAnnoying同じでもこの「連想する情景」は人によって違うはずだ。蚊がほとんどいないイギリスでは「???」となる。

つまり物事に抽象的になると次第に言葉では言い尽くせないくなり、抽象性が高いほど言葉でなくイメージ(この場合、頭の中の映像)に頼らなざるを得ない度合いも高まる。
しかもその頭の中の映像は人から与えられたものでなく、自分で作ったものでないと使えない。
読み聞かせによって培った「言葉と想像の余地(空間)」の連携が言葉のみの認識の限界を補ってくれるのだ。
幼児期から読みか聞かせをしなくても、人はだれもこの連携はできるようになる(ボクがそうだ)。しかし、そのワザの完成度に差がでる。

続く

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