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人間にとって言葉は重要なのだ。幸運にも進化の結果でやたらでっかい脳を持つことになって動物としては必要以上に頭がいいので、「物事をちゃんと理解し、考える」能力が伴っていないと、危なくてしょうがない。核の脅威が少し下火になったと思ったら次は温暖化で地球を滅ぼそうとしている。 日本では英語教育を小学校からやり始めることになるらしい。 その理由の一つが「従来の英語教育では実際に会話などに使えない」という声を取り入れてのことだそうだ。人々の声を政策に取り入れるのはいいことだが、その理由がまとを得ていないととんでもないことになる。 自分の体験から言えば今から30年以上前に自分がならった学校での英語の学習は30歳で海外に出た自分に大いに役にたった。しかもボクの場合、学校では英語が苦手科目だったのにだ。 まず、中学、高校で英語を習えば、この外国語の読み書きができる。もちろん、辞書のお世話になり、時間はかかるが。これはすばらしいことだ。 会話にしてもある程度の語彙と文法知識は身についているのであとは発音と聞き取りを頑張ればいいだけだ。もう半分勝ったようなものだ。どこが足りないと言うのだろう。 勝手に推論してみた。 まず、会話が出来ない本当の理由はそもそも会話をするに足る専門知識や人間的魅力が不足しているからではないだろうか。そうならなおさら小学校で英語など勉強している場合ではない。 基礎的な学力を身に着けたり、スポーツや社会に参加する活動などで自分を磨かないといけない。 ボクなんか英語が話せるようになってもやってる会話の内容は「ハエと人間どちらが幸せか」とか人から聞いたdirty jokeを披露したりとかと低俗なことしかきない。 ところでこの「ハエと人間どちらが幸せか」はボクの創作はばなしだが、アメリカでは結構うけたのにイングランドではいまいち皆ながのってこない。どうしてだろう? 英語がしゃべれないという人の中には英語が「かっこよく」しゃべれないという人もいる。 そのとおりだが、だから何が問題なのだろう? 「かっこう」は物事の本質ではない。 間違えたり、理解されないので恥ずかしくて英語がしゃべれないという人もいる。 気持ちは分かる。ボクもそうだ。 でも、こういうのは乗り越えるしかない。若いときに体育会に入ってきれいな女人がいっぱい居るところで裸踊りでもして、若いうちに「つまらぬ羞恥心」という無用の長物とお別れしておくべきで、英語の学習では解決できない。 聞き取りができない人の中にはたとえば週に1回、アメリカの取引先と会議があるが、どうも聞き取れないというケースもある。 普通だと思う。週に1回程度であるなら、多少会議の効率が落ちても理解できるまで聞き直せばいい。その根性がないなら、若いうちから根性を鍛えておく必要がある。 海外の駐在員になって、長い期間住んでも普段の仕事や仕事外の付き合いが日本人中心でなかなか英語の聞き取りが上達できないひとも見かけた。 でも、それでいいのではと思う。英語圏に住んでいても普段の対話が日本語中心なら英語の聞き取りが効率が悪くても仕事も生活も成り立つわけなので、それでよしとすべきだ。 逆に英語圏に住んでいて普段の仕事や仕事外の付き合いに全く日本語が登場しない、という人は中学、高校である程度の語彙と文法知識は身についているので1年半くらいで聞き取りができるようになり、会話ができるようになる。英語の苦手なボクがそうだった。 英語圏に住んだり、あるいは英語が中心で仕事する場合でも英語がうまく話せないので差別されるというケースもある。 これは深刻な悩みだ。日本でも差別はあるが、残念ながら人がいるところどこでもある。 人種、肌の色、宗教、、、その理由は多岐だ。 で、少なくとも英語では差別されないように小学生から英語を習うのか? じゃ、英語が完璧になったあとは「肌の色の変え方」でも教えるつもりなのだろうか。 教育すべきは差別を避ける方法ではなく、それが何かを理解し、どうしたら無くせるかを考える事、あるいは無くすことの重要性を教育すべきだ。 一番不思議なのは、文部省やいろいろな優秀な人がかかわっているのに、どうして「英語教育を小学校からやり始めることになる」という方針になったのかである。 みなさん、優秀な大学も卒業されて物事の本質を見る能力もおありだと思うが。 それとも小さい時に母国語で読み聞かせをしてもらわなかったので「本質の理解」の能力が不完全なのか? この話題、続けるかどうか思案中。
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