「なんとかなるだろ」 イングランドの田舎に家族居残り

国際化社会。子供らに重要なのは英語なんかでない。大切なのは人間性だ。専門知識があればなお良い。ちゃんと将来を担う若者が育つ社会に

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子育ては難しい

やっている本人は当然一生懸命やっている。親で子育てに真剣に取り組んでいない人はいないだろう。
でも、はたからみていると「それはまずいんでないの」と思うことが多々ある人もある。しかしなかなか面と向かって「そりゃあかんで」とは言い難い。そういう意味では気がついていないだけで我が家の子育ても第三者から言わせればつっこみどころ満載だろう。

さて、ボクのよく知っている夫婦からの近況の手紙に「子供の反抗期」のことが書いてあった。まだ小学校の低学年なのに。

子育ての難しさなんて言っても範囲が広いが、「しつけと親の見栄」なんてのも悩ましい課題だ。
たとえば5歳の子供が電車の中で騒いだとする。周りの人への迷惑もあり、親としてはなんとか静かしさせたい。
「こらっ」と怒ったり、頭をはたいたり、はたまた子供が大声をあげているなら思わず口をふさいでしまうだろう。
こういう親の行為はしつけかだろうか? ボクはこれは親の見栄だと思う。5歳の子供に他人の視点での迷惑なんて認識できない。じゃどうする? やれることは怒ったり、頭をはたいたりして子供を黙らせるしかないが、問題は認識だ。間違っても「しつけ」をやっているなんて思ってはならない。親が恥ずかしいから子供にはすまないが頭をたたかしてもらっている、というのが正しい認識だと思う。

その手紙をよこした夫婦は残念ながら見栄と「子の為にやること」の区別がついていないのでは、と昔から心配していたが手紙の内容からして心配していたことが現実のものになったように思える。習い事や小学校お受験、、、確かに子供の為でもあるけど、そこには親のエゴも見え隠れしている。


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「7歳までは夢の中」というのを我が家は信じ、それを子供たちに与えたいと思って子育てをした(つもり)。 子供の為を思うなら のびのびできる環境と愛情を大切にしたい。簡単なことではない、が挑戦する価値はある。

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人間にとって言葉は重要なのだ。幸運にも進化の結果でやたらでっかい脳を持つことになって動物としては必要以上に頭がいいので、「物事をちゃんと理解し、考える」能力が伴っていないと、危なくてしょうがない。核の脅威が少し下火になったと思ったら次は温暖化で地球を滅ぼそうとしている。

日本では英語教育を小学校からやり始めることになるらしい。
その理由の一つが「従来の英語教育では実際に会話などに使えない」という声を取り入れてのことだそうだ。人々の声を政策に取り入れるのはいいことだが、その理由がまとを得ていないととんでもないことになる。

自分の体験から言えば今から30年以上前に自分がならった学校での英語の学習は30歳で海外に出た自分に大いに役にたった。しかもボクの場合、学校では英語が苦手科目だったのにだ。
まず、中学、高校で英語を習えば、この外国語の読み書きができる。もちろん、辞書のお世話になり、時間はかかるが。これはすばらしいことだ。
会話にしてもある程度の語彙と文法知識は身についているのであとは発音と聞き取りを頑張ればいいだけだ。もう半分勝ったようなものだ。どこが足りないと言うのだろう。

勝手に推論してみた。
まず、会話が出来ない本当の理由はそもそも会話をするに足る専門知識や人間的魅力が不足しているからではないだろうか。そうならなおさら小学校で英語など勉強している場合ではない。
基礎的な学力を身に着けたり、スポーツや社会に参加する活動などで自分を磨かないといけない。
ボクなんか英語が話せるようになってもやってる会話の内容は「ハエと人間どちらが幸せか」とか人から聞いたdirty jokeを披露したりとかと低俗なことしかきない。
ところでこの「ハエと人間どちらが幸せか」はボクの創作はばなしだが、アメリカでは結構うけたのにイングランドではいまいち皆ながのってこない。どうしてだろう?

英語がしゃべれないという人の中には英語が「かっこよく」しゃべれないという人もいる。
そのとおりだが、だから何が問題なのだろう?
「かっこう」は物事の本質ではない。

間違えたり、理解されないので恥ずかしくて英語がしゃべれないという人もいる。
気持ちは分かる。ボクもそうだ。
でも、こういうのは乗り越えるしかない。若いときに体育会に入ってきれいな女人がいっぱい居るところで裸踊りでもして、若いうちに「つまらぬ羞恥心」という無用の長物とお別れしておくべきで、英語の学習では解決できない。

聞き取りができない人の中にはたとえば週に1回、アメリカの取引先と会議があるが、どうも聞き取れないというケースもある。
普通だと思う。週に1回程度であるなら、多少会議の効率が落ちても理解できるまで聞き直せばいい。その根性がないなら、若いうちから根性を鍛えておく必要がある。

海外の駐在員になって、長い期間住んでも普段の仕事や仕事外の付き合いが日本人中心でなかなか英語の聞き取りが上達できないひとも見かけた。
でも、それでいいのではと思う。英語圏に住んでいても普段の対話が日本語中心なら英語の聞き取りが効率が悪くても仕事も生活も成り立つわけなので、それでよしとすべきだ。

逆に英語圏に住んでいて普段の仕事や仕事外の付き合いに全く日本語が登場しない、という人は中学、高校である程度の語彙と文法知識は身についているので1年半くらいで聞き取りができるようになり、会話ができるようになる。英語の苦手なボクがそうだった。

英語圏に住んだり、あるいは英語が中心で仕事する場合でも英語がうまく話せないので差別されるというケースもある。
これは深刻な悩みだ。日本でも差別はあるが、残念ながら人がいるところどこでもある。
人種、肌の色、宗教、、、その理由は多岐だ。
で、少なくとも英語では差別されないように小学生から英語を習うのか?
じゃ、英語が完璧になったあとは「肌の色の変え方」でも教えるつもりなのだろうか。
教育すべきは差別を避ける方法ではなく、それが何かを理解し、どうしたら無くせるかを考える事、あるいは無くすことの重要性を教育すべきだ。

一番不思議なのは、文部省やいろいろな優秀な人がかかわっているのに、どうして「英語教育を小学校からやり始めることになる」という方針になったのかである。
みなさん、優秀な大学も卒業されて物事の本質を見る能力もおありだと思うが。
それとも小さい時に母国語で読み聞かせをしてもらわなかったので「本質の理解」の能力が不完全なのか?

この話題、続けるかどうか思案中。
グローバル化の中での子育てでも英語は重要ではない。でも言葉はとても重要。

今から10年以上まえ、長男が3歳くらいのとき、我が家はアメリカに住んでいた。いわゆる駐在員である(いまもそうだが)。テレビを消し息子に絵本の読み聞かせをしていた。もちろん日本語の本。
日本を出る前に参加していた読み聞かせ友の会みたいなグループから毎月会報が届く。わざわざありがたい。そこで、投稿をした。
海外に行ってもちゃんと読み聞かせ続けてますよとか『ベットタイムストリー』といって夜寝る前に必ず呼んでます、とかの内容を書いた。
翌月の会報に載り、その翌号から会員の方のコメントが載った。
読んで少し驚いた。ほとんどが「お父さんが読み聞かせをやっているのはすばらしい」と書かれている。
他の家庭では読みかせをやるのは多くの場合お母さんの仕事らしい。

俺の背中を見て子供は育つんだという人がいる。つまり、親の生き様が教育になるということだが、確かにそのとおりだ。しかし、これができるのは子供が少なくとも10歳以上になって、物事の理解ができるようになってから。
幼児には到底理解不可能。幼児は「親の顔を見て育つ」。
だから子育てには時間が必要だ。子供と接する時間が。
というボクも仕事や出張で家をあけることがしょちゅうだった。いまでもかみさんから「アメリカに引っ越して最初の3年はどこかへ出張していて7月4日の独立記念日に家にいたことない」と言われる。

たいていの家庭では仕事に忙しいお父さんは日々の育児の参加は困難な場合が多い。

「俺の子供だから俺が思うように育てる」は一理ある。
が「俺の子供だからおれの犠牲になってもしようがない」はとおらない。

仕事は生活の糧を得る手段であるが、社会からみるとそれは義務でもある。
社会はその構成要因である個人が知的あるいは肉体的労働を提供することにより、その維持ないし発展が可能となっている。その対価が個人に支払われる。

皆なが仕事をしなくなると社会はその維持すらできなくなる。

税金を納めるのは国民の義務だ。みんなが納めなくなったら、国や自治体は成り行かなくなり、その機能は停止する。

子育ても同じだ。「俺の子だから、どうなっても俺が責任をとる」って言ったて取れない。子供は次の世代の社会の構成要員である。「俺」は今の世代の要員で今の世代はなんとかできるが、次の世代やその次には手はまわらない。「俺」はいつかは死んでいくのだから。
だから「俺の子」は俺の子であって俺の子ではなく、「俺」には次世代の社会の構成要員を育てる義務がある。
社会から見ると仕事をすることも義務で子育ても義務だ。どちらも同じ重要度。義務ばかりいやになるが、それがないと社会はなり行かない。
仕事と子育てを両立させないといけない。実はこれも義務だ。

読み聞かせをするにも「俺」に子育ての時間が必要だ。それも毎日の。
日本の場合、社会自身がこれを難しくしている。子育てに時間がとれない親がいても個人を非難できない。なんとかしなくては。

続く(かな?)
今の世の中、英語は必要だが重要ではない、しかし言葉は昔も今も変わらずに大変重要である。

言葉は会話をする為の道具であるが、それより重要なのはそれは人間が持っている「考える」ための唯一の手段であり、考えることそのものだから。

幼児の場合、ここで言う言葉は母国語(つまり両親がしゃべる言葉)なら何語でもいい。両親の片方が日本語で他方が英語なら両方でもいい。

さて、佐藤宗夫という人の講演(のビデオ)にすっかり感化されて読み聞かせを始めたが、そこに付帯条件があった。「幼児や小さい子供にテレビは見せない」
どうして? テレビを見ている分、本を読む時間が減るから?
というのもあるが、実はこれには読み聞かせの本質に意義に深くかかわっている。

読み聞かせとは「物語の語り聞かせ」である。しかし、親のほうはそらで暗記していて、しかも楽しい話なんてのはないのでやむを得ず本を読んで子供に聞かせることになる。
本といっても絵本で幼児のころに読むのは1ページに言葉は10語くらいの簡単な文章とページいっぱいの絵がかかれている。
絵本の絵はたいていが「いいかげんな」絵だ。ちゃんと名のある人が書いているが、まるで子供のいたずら書きのようである。
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うしかたと山んばという絵本だが、この手の絵が主流だ。一見、いい加減で未完成の絵である。しかも物語の場面を全て絵にしてあるわけではない。基本的にお話を聞かないと何が起こっているのかわからない。

これに比べるとテレビは実写の映像かあるいは漫画の類にしてもちんとした絵の画像である。
CGを駆使したStar Warsなどの映画の映像などは現実にないことでもあたかも実写のような迫力だ。
完成している映像なので観る側にはなんの負担もない。セリフが少々聞けなくても何が起こっているのか一目瞭然である。

しかし、ここがトリックなのだ。
絵本には想像の余地がある。絵本に描かれた静止画の山んばは物語の中では生魚を食べ、ものすごい速さで走って追いかけてきて、木にも登ってくる。その動きは読み手(聞き手)が頭の中で想像するしかない。

「想像の余地」と言ったがこの余地は実は宇宙のように無限に広がっている。そしてどんなCG技術を駆使しても追いつけない、超変幻自在なのだ。
しかも、読むたびに毎回同じとは限らない。聞き手が楽しい気分の日と悲しい気分の日では山んばの表情や動きまで違ってくる。

幼児に読み聞かせをするとこういう能力が自然に身に付く。すると絵本はますます楽しくなる。ただし、それを阻害する要因が無い場合に限る。それがテレビなのだ。

片や未完成で細部の詰めが甘い絵があるので大方の部分を聞き手の本人が物語を理解しながら自分で補うという補間作業を伴うものとその完成度の高さから聞き手(観手というべきか)は超リラックスモードで眺めていれば楽しめるものとは共存はできない。
リラックスモードで楽しめるテレビの方に慣れてしまい、補間作業が億劫(おっくう)になり、そのやり方が習得できない。

ところでこの「余地(空間)」はただ単に想像力を駆り立て物語を楽しみ、本好きになるための架け橋という意味だけではない。
それは将来ある程度成長してから「抽象概念」を認識するにあたり非常に大切な役割を果たす。

「いじめっ子」という言葉を聞くとボクは大きな丸い顔のわんぱくな子供が手に拳骨を握り、ものすごい形相でにらみつけている姿を想像する。しかし、その目は涙で潤んでいる。
どうしてそうなのかは分からないがこれがボクの「いじめっ子」のイメージなのだ。

英語にannoyingという言葉がある。いやな事を意味する。この言葉を聞くと蚊がが顔の周りをぶんぶん飛び回り掃っても掃いきれない情景が浮かぶ。

ボクの「いじめっ子」のイメージを言葉で正確に表現するのは至難の業だ。なぜ、丸顔かというといじめっ子は気が強くよく食べるて良く寝るのだ。拳はいじめの象徴だ。しかし、なぜ目が潤んでいるのか。それは辛いことがあるのだ。好きでいじめをやっているのではない、彼なりの理由がある。
概要はこんなんだがボクのイメージはもっと細部までいろいろあり言葉では語りつくせない。
しかし、頭の中にある、それは残念ながらだれともそっくり共有できないが、イメージはこれらを一瞬にしてボクに毎回毎回正確に認識させてくれる。
Annoyingでも同じである。「うざいこと」という言葉に近いが「じゃ、うざいって何?」となるとまた説明が必要だ。でも蚊が飛んでいる情景を想像すると「あーあの状況ね」とボクは納得する。
でも、同じAnnoying同じでもこの「連想する情景」は人によって違うはずだ。蚊がほとんどいないイギリスでは「???」となる。

つまり物事に抽象的になると次第に言葉では言い尽くせないくなり、抽象性が高いほど言葉でなくイメージ(この場合、頭の中の映像)に頼らなざるを得ない度合いも高まる。
しかもその頭の中の映像は人から与えられたものでなく、自分で作ったものでないと使えない。
読み聞かせによって培った「言葉と想像の余地(空間)」の連携が言葉のみの認識の限界を補ってくれるのだ。
幼児期から読みか聞かせをしなくても、人はだれもこの連携はできるようになる(ボクがそうだ)。しかし、そのワザの完成度に差がでる。

続く
たまたま仕事で海外で生活をすることになった時期が子供の幼児から少年の時期になったので自然と言葉というものに対する関心は高くなった。

以前、このブログでも書いたが英語は世界の共通語であるというのは紛れもない事実であるが、国際社会で活躍している人には当然、英語が母国語でない人大勢いる。そういう人、全員が英語が非常に堪能かというとそういうわけでもない。ボクが今まで会った人の中にはかなりわかり難い英語を話す人もいれば、ほとんど理解不能(とくに博士号をとった中国やインド方)の英語を話す方もいる。
だから、英語は必要だが重要ではない、という結論だ。しかし、それは言葉の重要性を否定しているのではない。実は言葉は大変重要なのだ。

今から16年ほど前に長男が生まれた。
かみさんが友人からあるビデオをもらってきた。佐藤宗夫さんという人の講演を録画したものだった。
子供に対する読書、読み聞かせの大切さをご本人の体験も交えながら上手に説明していた。
いい加減な性格のボクもさすがに人の親になるという事で多少は気合が入っていたのと、直感的に感じた危機的な感覚からすっかりそれにのめりこんでしまった。
正確には覚えていないが、「抽象概念の認識力」「本質の理解力」「論理的考察力」などの言葉が繰り返し謳われていたと思う。それらの力を育てるために読み聞かせが重要だと。

そこで、2つのことを実践することにした。いずれも推薦されていたことだ。
1.子供の前ではテレビを見るのを止めて、本の読み聞かせをする。
2.子供の早期教育はしない。

子供が1歳半のとき、仕事で渡米することになったが、読み聞かせは続けた。もちろん日本語の本だ。相当数の本を買って引越しの荷物として持っていった。その後も日本に帰国するたびにダンボール箱1個分の絵本を抱えてアメリカに帰るということを繰り返し、いつのまにか小さな図書館の子供コーナーくらいの本が揃うようになった。

子供が寝るときの「パパの読み聞かせ」は毎晩の習慣になった。当然、昼間などはかみさんが読み聞かせをした。
アメリカ駐在が決まり仕事をやめ、専業主婦になったかみさんにとって、この「子供の前ではテレビを見るのを止めて、本の読み聞かせをする」の実行は決して楽なものではなかった。
頼る人も居ない外国暮らしで疲れた時に「ちょっとテレビに子守を」が出来なかったのはかなり辛かったはずだ。
かみさんがよく口にしていた「子供は洩れなくついてくる。24 hours a day, 7 days a week」というのが今でも思い出される。

ボクらが読んだのはすべて日本語の本だった。英語が不自由な僕達に英語の本での読み聞かせは出来ない。日本語の本なら感情移入だろうが、登場人物に応じての声色の変化だろうが自在だ。

この「子供の前ではテレビを見るのを止めて、本の読み聞かせをする」は実は7歳までという時限立法で、8歳の誕生日からは制約は設けない方針だった。ところが長男が7歳の時、次男が生まれた。
まさか、露骨に差をつけることも出来ず、次男も同じ方針をとったので、もう15年も続いている。

長男は当然、本好きになる。学校で字を習って読み書きができるようになると自分でも読み出す。習った文字が英語なので読む本はすべて英語だ。しかも半端でない本好きなので膨大な量の本を読む。読むのも早い。1日で900ページが小学校の記録だ(Harry Potterの本、1冊以上)と本人が言っていた。
母親からは「Nerd」と呼ばれていた。「がり勉のもやし野郎」みたいな意味かな。

日本語での読み聞かせが実は後に「英語が不自由な両親に英語圏で育てられたという不利な環境を克服」する重要な要素となるとは誰も予想しなかった。

続く
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