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戦前・戦中に「スパイの子」として厳しい扱いを受けた体験を語る目崎久男三、名古屋市内で。
中日新聞8月12日朝刊
太平洋戦争直前から戦中にかけ、元愛知県職員の目崎久男さん(85)=名古屋市北区=は「スパイの子」「非国民」と、周囲から激しい非難を浴びせられた。何げなく口にした一言が誤解を呼び、「戦争の異常な雰囲気が生んだ、民衆のヒステリー」の標的となった。「あんな社会が、二度と来ないように」。終戦から七十三年の今夏、初めて経験を語る。
 太平洋戦争開戦前年の一九四〇(昭和十五)年春から年末にかけ、目崎さんは海運関係の仕事をしていた父親とともに一家で太平洋のサイパン島で暮らした。
 日本はそのころ、長引く日中戦争などによる経済の行き詰まりを打開するため、米国や英国との戦争に備えていた。サイパン島など太平洋上の島々が戦地になる可能性があることは現地の人にも知られ、国の「一般人は内地に戻れ」との指示で、四一年初めに東京に移り住んだ。
 小学校の二年生に編入した目崎さんは、同級生らから「なぜサイパンから帰ってきたのか」と尋ねられた。親から伝え聞いていた話をそのまま「近いうちに米英と戦争があるから、逃れてきた」と、深く考えずに答えてしまった。
 多くの日本人は、新たな戦争が起きるとは考えていなかったころ。うわさはたちまち広まった。目崎さん一家は、敵国の情報を知るスパイの家庭と疑われ、父親は治安維持法に基づき一カ月ほど勾留された。暴力を含む過酷な取り調べを受けたのか、自宅に戻ってからも、三週間ほど寝たきりに。家の前では、特高の官憲が三カ月ほど、家族の動きを見張っていた。
 しかし、官憲の姿が見えなくなってからが、本当の地獄だった。壁に「スパイの家」と落書きされ、近所の人たちから石やふん便、動物の死骸が投げ込まれた。火の付いたわらまでも。母や、幼い弟らを含む家族皆が「非国民、死んじまえ」とののしられ、目崎さんは学校で、教師から口に赤いテープを「×」の字に張られた。
 不安定になった母親は、ロープを手に「みんなで首をつろう」と迫った。四一年十二月に太平洋戦争が始まったころ、一家は逃げるように名古屋市に転居した。「自分が何げなく口にした一言で、危うく一家心中するところだった」
 名古屋では、そうした一家の事情を把握している人はいたものの、周囲は温かく目崎さんらを受け入れた。だが、終戦が近づき、軍事教練を受けていた際、教官の軍人から「根性が曲がったやつが一人いる」と木銃で殴られるなど、理不尽な暴力を受けた。
 戦後も、目崎さんは出張などで東京に行くと気分が落ち着かなかった。自分の一言が招いた悔いから、長く封印してきた経験だったが、年を重ね、体も衰えてきた今、伝えねばと決断した。「戦前、戦中の異常とも思える社会が二度と来ないために、どうしたらいいか。ただ、若い人たちに話を聞いて考えてほしい」。十二日午後二時から名古屋市名東区の「戦争と平和の資料館ピースあいち」での語り部会で、体験を語る。

転載元転載元: 猫と薔薇、演劇、旅ファン

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