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女性指導者の像 一人は議事堂広場に
         〜 何故か足元や後方に 皆さんの目が・・・ 〜
 女性参政権100年、マンチェスター訪問のあとロンドンへ移動、まず国会議事堂周辺を散策した。議事堂脇の広場パーラメント スクエアには世界史に登場する重要

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人物の銅像が幾つかある。英チャーチル元首相、インドのネール元首相、南アのマンデラ元大統領etc,いずれも錚々たるメンバーだ。
 その一角に女性参政権運動の指導者ミリセント・ギャレット・フォーセットの像が立つ。
 マンチェスターで見たパンクファーストたちではなく、「穏健派」の指導者だという。
 パンクファーストら体を張ってたたかった女性たちの姿は立像の足元の周
   ミリセント ギャレット フォーセットの像 ↑   りに彫り込まれた小さな絵の中にあるのだ。我々の仲間たちは何故か目もカメラも足元や裏側の小さな絵の方に集中していた。

パンクファースト像は別の公園に
女性参政権獲得の激しいたたかい、サフラジェット運動の指導者エメリン・パンクファーストの像はパーラメントスクエアーから少し離れたところ、国会議事堂の南に広がるビクトリア・タワー・ガーデンズの入口付近に立っている。 
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 エメリン像の台座には同志である長
女クリスタルベルのレリーフもあり、
旅行仲間の一人がカメラに収めていた。長女のレリーフはあるが、負けず劣らずの活躍をした次女シルビアのレリーフは無い。第1次大戦が始まリ、戦争に協力するか否かで女性選挙権の運動が分裂、母娘も袂を分かったのだった。              

☛写真はエメリンパンクファーストのブロンズ像と台座に収まる長女クリスタルベルのレリーフ。                              20181025

  

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レーニンが勉強 アパート健在
 女性参政権・マンチェスターこぼれ話の続きで、ロンドンへと足を延ばそう。マンチェスターからロンドンへはマイクロバスで移動した。4時間ほどかかったかな、夕方大英博物館の近くのホテルに着いた。夕食にはちょっと早いので近辺を散策した。案内の中村先生が「近くにレーニンの住んでいたアパートがある」というので案内してもらった。歩いて10分もかからないところに長屋風のビルがある。

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                                         ↑ 若きレーニンの済んだ部屋 (丸いプレートの所)
 「あそこだよ」中村先生が指さすのは長屋風アパートの2階、丸い紫色のマークのある部分だ。よく見るとプレートには確かにレーニンと書いてある。「レーニンは若いころあの部屋に陣取り、大英博物館や大英図書館へ通って研究した。その後部屋は別人の住居となった。その人はレーニンのことを知らなかったが、何年か後にここがレーニンの部屋だったことを知り、レーニンの住居だったことを示す紫色のマークを付けた」とのこと。                        20181008

小公園にヒロシマの桜    

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 若きレーニンの住居の近くに小公園がある。散策を楽しめる緑の多い広場だが、中村先生によるとロンドンではこの規模の広場はパークと言わず、スクウエアというそうだ。正式には「タビストック スクエア ガーデンズ」と言い、木々の合間に非暴力の抵抗者ガンジーの座像とか「良心的兵役拒否」をした人たちを記念する石碑がある。片隅には幹が太く枝ぶりの良い桜の木があり「ヒロシマの桜」と言われている。原爆の犠牲者を悼むつどいがこの辺りで開かるそうだ。  
                                                        20181020
                             

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未完成・黒塗りの基本設計に8億円余の支出は違法!
 尾張名古屋は城で持つ――と言われるその名古屋城が地震でもないのに大揺れに揺れている。名古屋城は1945年アメリカ軍の名古屋大空襲で焼失したが、14年後の1959年、燃えにくい鉄筋コンクリート造り、外観は従前どおり――の現天守閣が再建された。
 以後年輪を経たので耐震改修の要はあるが、壊して作り直す必要はない。ところが現市長が観光の目玉・「木造」再建を唱えて選挙に勝ったことから「木造」への突撃が始まった。しかしもともと無理な話なので計画はボロボロと崩れ、日経新聞が「漂流」と書く(9月21日)ほどの「木造再建危機」、つまり現天守の「保存・長寿化」とのシーソーゲームとなって来た。そこへ今回の158人による住民監査請求のパンチが見舞う。

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 ↗  住民監査請求提出後、記者会見する請求人の人たち   

3つのパンチ ―― 監査請求エレベーター石 垣  
 もともと、「木造」再建は難題が付きまとう話であった。何故か、江戸時代に殿様が木造で城を造るのなら問題は起こらない。しかし今21世紀に名古屋市が木造で地上6階以上の高層建築を建てるとなると、難問がいくつも立ちはだかる。       
まず第一に、それは合法か違法かという問題である。建築基準法で木造は3階までと決まっており、4階以上の木造建造物を新たに作ることは出来ない。作れば違法建築となる。                                            
 但し何事にも例外はあるもので重要な文化財の復元の場合、国(文化庁)の認可があれば木造も可である。名古屋市は文化庁の認可を得ることを前提にして計画を立てて業者を決め、準備を開始したのであった。そこへ3つのパンチが来た。      
第一のパンチ 住民監査請求  文化庁の認可が得られなければ木造再建は絵に描いたモチになる。平たく言えばバクチ話だ。それなのに基本設計の費用8億円がすでに支払われた。これは違法な支出だから市へ戻せ。関連する実施設計15億余円、木材費94億余円も支出するな――と、158人が監査を請求した。        
    
第二のパンチ エレベーター  障害のある人たちの団体から「木造再建の天守にエレベーターを付けてほしい」という要望が出た。市長は「史実に忠実な再建を目指す。エレベーターは着けない」と拒否、バリアフリーの「新技術」を模索しているが消防法、バリアフリー法をクリアーできる確証はない。                    

第三のパンチ 石垣保全 戦災で焼失した天守は国宝だった。現在の天守は国宝ではないが戦災復興のシンボルとして重要な価値のある建造物であると、国も市も認めている。これを壊して再建(新築)するなら、その木造天守は国宝でもなければ重要文化財でもない、いわゆるレプリカである。                      
 一方石垣は戦災でも消滅しなかった重要文化財であり、これを損傷することは許されず、保全に最善を尽くさなければならない。ところがこの石垣の扱いについて文化財の保全を重視するという専門家(石垣部会)と天守木造再建を急ぐ市長との間で意見調整に手間取り、文化庁への申請が出されないまま予算の執行が先行している。このため計画は地雷を踏み踏み進むような危なっかしい状態にあり、メディアも最近になって「漂流」「絶望的」などの言葉を使うようになってきたー―というのが実情である。                                20180923   
 
※ 監査請求の人数、当初154人と記しましたが最終的には158人と確認されました。追加補正いたします。                               

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8・15 砂川教授 講演など・・・
                   今回も 盛りだくさん
 JCJ東海の機関雑誌「東海ジャーナリスト」112号が2018年9月15日発行された。中身の濃い割にリーソナブル価格、一冊200円の雑誌だ。郵送込みは300円だが、実際には切手代が140円かかるので発行元は赤字になる。これじゃアマゾンに笑われるのでね、できれば手渡しで行きたい。例によって宙づり広告替わりのブログ広告をしよう。

◆巻頭 ”報道の谷間”にしてはならぬ「安倍靖国参拝 違憲訴訟」
                      池住義憲  「NHKを考える東海の会」代表
◆安倍3選なら再浮上の「放送改革」 狙いは民放のトゲ抜き・弱体化 
                                                 8・15集会 砂川浩慶さん講演(テープ起し)
◆民間の船員・船舶を有事徴用へ! 「予備自衛官補」制度スタート
                      柿山 郎さん報告 (ユニオン学校)
◆解決の糸口もない! トリチウム汚染水処理(福島現地視察報告)
                      山田 明 (名古屋市立大 名誉教授) 
◆悠々と橘川の言論空間から出発  葉山茂樹、記者から作家に転身
                      木村直樹 (郷土研究家・メディア夜塾幹事)
◆仰向けに倒れし蝉の骸(むくろ)あり ―― 三十一文字で詠む「戦争と平和」
                                                 斎藤 孝 (「ピースあいち」語り部)
◆イギリス女性参政権獲得100年 マンチェスター・ロンドンの旅
                      水野磯子 (「慰安婦」問題解決進める会)
◆俳優・故加藤 剛さんミニ・エピソード ☞ 弾圧闘争加藤 剛へ激励の手紙 
                       加藤 剛 (JCJ東海 会員)
◆小説「うつせみの」(安保邦彦)感想   3話 読み応えあり                                   高橋幸子(主婦)  加藤 剛  
◆編集後記 古木民夫                          20180917           

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戦前・戦中に「スパイの子」として厳しい扱いを受けた体験を語る目崎久男三、名古屋市内で。
中日新聞8月12日朝刊
太平洋戦争直前から戦中にかけ、元愛知県職員の目崎久男さん(85)=名古屋市北区=は「スパイの子」「非国民」と、周囲から激しい非難を浴びせられた。何げなく口にした一言が誤解を呼び、「戦争の異常な雰囲気が生んだ、民衆のヒステリー」の標的となった。「あんな社会が、二度と来ないように」。終戦から七十三年の今夏、初めて経験を語る。
 太平洋戦争開戦前年の一九四〇(昭和十五)年春から年末にかけ、目崎さんは海運関係の仕事をしていた父親とともに一家で太平洋のサイパン島で暮らした。
 日本はそのころ、長引く日中戦争などによる経済の行き詰まりを打開するため、米国や英国との戦争に備えていた。サイパン島など太平洋上の島々が戦地になる可能性があることは現地の人にも知られ、国の「一般人は内地に戻れ」との指示で、四一年初めに東京に移り住んだ。
 小学校の二年生に編入した目崎さんは、同級生らから「なぜサイパンから帰ってきたのか」と尋ねられた。親から伝え聞いていた話をそのまま「近いうちに米英と戦争があるから、逃れてきた」と、深く考えずに答えてしまった。
 多くの日本人は、新たな戦争が起きるとは考えていなかったころ。うわさはたちまち広まった。目崎さん一家は、敵国の情報を知るスパイの家庭と疑われ、父親は治安維持法に基づき一カ月ほど勾留された。暴力を含む過酷な取り調べを受けたのか、自宅に戻ってからも、三週間ほど寝たきりに。家の前では、特高の官憲が三カ月ほど、家族の動きを見張っていた。
 しかし、官憲の姿が見えなくなってからが、本当の地獄だった。壁に「スパイの家」と落書きされ、近所の人たちから石やふん便、動物の死骸が投げ込まれた。火の付いたわらまでも。母や、幼い弟らを含む家族皆が「非国民、死んじまえ」とののしられ、目崎さんは学校で、教師から口に赤いテープを「×」の字に張られた。
 不安定になった母親は、ロープを手に「みんなで首をつろう」と迫った。四一年十二月に太平洋戦争が始まったころ、一家は逃げるように名古屋市に転居した。「自分が何げなく口にした一言で、危うく一家心中するところだった」
 名古屋では、そうした一家の事情を把握している人はいたものの、周囲は温かく目崎さんらを受け入れた。だが、終戦が近づき、軍事教練を受けていた際、教官の軍人から「根性が曲がったやつが一人いる」と木銃で殴られるなど、理不尽な暴力を受けた。
 戦後も、目崎さんは出張などで東京に行くと気分が落ち着かなかった。自分の一言が招いた悔いから、長く封印してきた経験だったが、年を重ね、体も衰えてきた今、伝えねばと決断した。「戦前、戦中の異常とも思える社会が二度と来ないために、どうしたらいいか。ただ、若い人たちに話を聞いて考えてほしい」。十二日午後二時から名古屋市名東区の「戦争と平和の資料館ピースあいち」での語り部会で、体験を語る。

転載元転載元: 猫と薔薇、演劇、旅ファン

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