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このブログの存在を「ある業界関係者」には、一躍有名にした「バトル」を
当ブログ読者の方々は記憶にあるかもしれません。
それは、今は『公開中止』としている書庫の中にある、
『教育の評価は、「主観的」にすべきである』
という主旨の記事です。
この記事に対して、猛然と反論を展開された方がいました
『評価は、「客観的」に行われなければ意味がない』と。
私の記事をきちんと読み取り、データと論拠をもって反論されたので、
私としても丁寧に対応したところ、お互い一歩も譲らず、
仲裁を買って出てくれた方がいたぐらいです。
この話を蒸し返す意図は毛頭ないのですが、
これと全く同じ状況を経験して、私は苦笑するばかりです。
それは、『ピアノコンクール』に関してです。
私の先生は、長期的な私の指導計画の中で、『コンクール』に出ることを勧められました。
コンクールで弾く曲の選定も、『コンクールで良い成績を得る』ということよりも、
『弾く必要がある曲であったから』という意味がありました。
ところが、コンクールの審査員の先生方は、私たち師弟のそんな意図とは無関係に、
『客観的に』評価します。
私の状況を一番よく知っている先生は、
『今はこの技術はできなくても仕方がない。この表現はまだ無理。
これは、ここまでできているのだから過程を考えると立派です。
でも、いずれはどれもできるようになってもらいますが・・・・・』
と、思っていることでも、
『この技術ができていないです』
『この表現が不足しています』
『もっとこれができるように練習してください』
このようにストレートに評価されてきます。
『客観的評価』とは、こういうものです。
その人がどういう状況にあって、どういう過程を経て現在があって、
今後どのように進展されていこうとしているのか、
こんなことは、全く考慮されない・してはいけない・わけです。
もちろん、『客観的評価』は、『世間一般の目で見て、自分はどの位置にあるのか』を
知る上では有益なものです。
しかし、これは、「テストで何点とったか?」、
「どの課目のどの分野はできて、どの分野はできなかったのか」
を、明らかにしただけのことです。
その評価を次につなげていくためには、
評価を受けた人の状況を、きちんと把握している指導者が必要だと私は思います。
コンクールの貴重な『客観的評価』を、私が直接受け取っても、
どんな方向で次に練習していったらよいのか、途方に暮れます。
ですから、コンクールの講評は、通常は、指導者に渡されます。
コンクールの後で、私の先生は、次のように言ってくれました。
『私は、KMさんのピアノに関しての今までの過程や、現在を一番知っています。
私は「ここまで弾ければ立派でしょう」と思っていましたが、世間は許してくれませんでした。
(コンクールに出る以上は)許してくれないことは、今後の練習に生かしていきましょう。
でも、私は、今まで一緒にやってきたことや、これから私たちがやろうとしていることは
間違っていないと確信しています。』
さすが、私が数ある先生の中から師事した先生です。
コンクールの審査員にあれこれ言われてもビクともしないところがスゴイです。
『世間になんと言われようが、あなたのいまやっていることは正しい道です。
私が言うんだから間違いありません。』
指導者のこういう態度・姿勢にどれだけ生徒は救われることか・・・・・。
『コンクールは、客観的評価で、正しい評価なんですから、絶対です。
コンクールで指摘されたことは、全部直していきましょう。
客観的評価には従わなくてはなりませんよ。
そのためにコンクールに出たんですから。』
私は、こういう先生には教わりたくないなぁ。
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