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こんにちわ!、29日、もぉホントに年の瀬ですねっ☆
私事で恐縮ですが、私の2008年は、まさに「試練の年」でしたっ☆ 精神的にも人間的にも、かなり追い込まれた、という印象ですっ!? ですが、その甲斐もあって、今は将来に対して希望があるように感じ、かなりやる気が満ち溢れていますっ☆ 対価と代償、ノーペインノーゲイン、トライ&エラー、というようなことでしょうけど、私にとっては、「人生はサウナのようなもの」だと、つくづく思いましたっ☆ 我慢して、長く熱い思いをすれば、サウナから出たときの爽快感は大ですが、熱いことは熱いです。 対照的に、サウナの入室が短ければ、我慢と熱さも軽減できますが、爽快感も減退してしまいますっ。 まさに「人生の法則」とも言える、比喩の論理ですねっ☆(みなさん、サウナ理論についてどう思いますか!?) では来年に向けて、という意味も込めて、今回のタイトルは、「ごまかした人生」ということです。 これまでの私の考えでは、人生の最も危惧するべきことは、「退屈」という感情です。 「孤独」や「病」も危惧されるべき事象の代表格ですが、私の考える「退屈」は、これらも含んだ、「負」の世界では万能の概念だと言えます。 例えば、なぜ人は「孤独」に抵抗感や嫌悪感を抱くのでしょうか・・。 独りで何をやっても、張りが無い、つまらない、面白く無い、寂しい、虚しい、ということなのだと思いますが、これらを総称した言葉が、私は「退屈」ということだと思うのです。 俗に言われる、「暇」という概念がありますが、これはその初期段階であって、この域を遥かに超えて、極限の閉塞状態、それが「退屈」という状態だと、私は考えています。 これは大変に恐ろしいことでして、このこと自体で自害を図る人がいるくらいですから、私は「退屈」という感情を最も恐れています。 また、「病」についても同様のことが言えると思うのです。 これだけ医学が発達していて、健康保険にも積極的に加入できる我が国のシステムがあるにも関わらず、病に掛かる事を懸念する原因の本質も、私は「退屈」ということで説明がつくと思うのです。 本能的に、自己の健全化を望む仕組みが人間には備わっていますが、その前提の他にも、理性的な抵抗感というものが存在します。 これは、自身の思考でコントロールできる、「感情」や「考え」のことです。 「病気になりたくない・・」、この感情は、病気になれば退屈な病院生活を余儀なくされる・・、やりたくもない治療を続けなくてはならない・・、という、理性的な抵抗感が、病に対する感情の本質だと、私は考えています。 ですので、このことについても、やはり「退屈」が本質的な元凶なのです・・。 今回のテーマであります、「ごまかした人生」とは、私は、「退屈な人生」とイコールだと考えています。 ごまかす = 自分にとって不利益な実態が表れないように取りつくろう、欺いて不正をする、ということですが、これが人生に対する姿勢だとしたら、大変に不健全で、非常に困ったことになってしまいます。 「自我」というものがありますが、その人間の中の本心の部分、つまりその人自身の「核」です。 「自我」に対して「ごまかし」が利くか・・・、これに対して少しでも考える時間がある人は、私は要注意状態だと思います。 なぜなら、先程説かせていただいた、「退屈な人生」というものの域が、直ぐそこに見えているからです・・。 「自分に嘘はつけない」と、よく言われるようですが、まさにこれはこうゆうことでして、自分の「自我」に「ごまかし」は利かない、あるいは、「退屈な人生」を打破するためには、「自分に素直になる」、ということが、何よりも重要なのではないか、と私は考えるのです。 人によっては、それぞれの事情や制約があり、「自我」などと言っていられない場合があると思います。 誰かのために自分を犠牲にする・・、これも私の尊敬する、ガンジーさん、マザーテレサさん、の考えに則した立派な考えだと思います。 しかし、自分があの方々のようになれるか・・・、否、おおよそ想像に値しない分不相応の発想だと、現時点での私の人格では、その判断が下されています。 ですから、自分の生き方に困惑されている方が多く存在しているこの国では、健全な意味としてですが、もっと自分に素直になる、本当にやりたかったことをやる、という、「ごまかさない人生」という概念が必要かと思うのです。 しなければならない、したほうがいい、こうするべき・・、たしかにその通りですが、では、何のために生まれてきたのか?、なんのための人生なのか?、こうゆう根本的な問いに対しては、一体誰が答えてくれるのでしょうか・・。 私は経験からも、この答えを知っています・・、やはり誰も教えてくれない、誰も助けてくれない、というのが、世の真実です。 ですから、「自分の人生は自分で切り開くしかない!」、これが一番手っ取り早く、最も優れた自己実現の近道ですっ。 しかしながら、この近道にはリスクもあります。 まさに、虎の巣に入らなければ虎の赤ちゃんを得ず、ということですっ。(↑サウナ理論・・・) そのリスクというのは、自我を通すには、常識や制約を打破しなければなりません。 その限りではない場合もありますが、往々にして、一般論に反する行為がそれに値する、ということは、通念とも言えます。 この国や世界の社会システムもそのようになっている、ということもありますので、まずは「人生や自分をごまかさない!」、こうゆう気概が個々の真理に求められているのでは?、と思い、今日の更新とさせていただきましたっ。 ここまで、ちょっとまとまりに掛ける内容でありましたが、みなさんは「ごまかした人生」という言葉に対して、どのような意見をお持ちでしょうか・・。 よかったら、コメントを頂戴したく存じ上げますっ☆ |
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正論ですね。仰ること色々と思い当ります。マハトマ・ガンジーは、中高時代に尊敬する人物でした。その後のマザー・テレサも素晴らしいです。確かに尊敬はしても足元に及ぶのは到底無理です。
命のピンチは3回有ります。何れも呼吸器や循環器系ですから生存確率は低かったです。そこで、人や社会を体裁以外で見える様になりました。
退屈のテーマ、私には永遠に解けないかも知れません。
2019/1/17(木) 午前 9:17
> aki12mariさんコメントありがとうございますっ☆
自己犠牲は無理ですよね〜。ガンジーさんとテレサさんはホントにその意味でこの二人は凄いと思います。ごまかした人生なんてホントつまらないですよっ☆自分に正直に、自分の進むべき道を探求したいものですね〜。
2019/1/18(金) 午前 11:10 [ 清水竜志 ]