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おはようございますっ☆
久しぶりに朝型の生活リズムですっ☆(笑) 私は思うに、人生において最も困難かつ難しいこと、それは「自分に勝つ」、ということではないか?、と考えるのです。 「自分に勝つ」とは、つまるところ、欲求に対するセーブやコントロール、煩悩の克服、ということだと思うのです。 もし「理想」というものがあれば、そのためのコストやロスは必至でありまして、例えば、理想の体型が欲しいなら食欲に勝つ!、という具合で、仕事で理想の結果を出したいなら、睡眠欲に勝つ!、みたいなことですよね? 自ずから、自然の理法に逆らうことで競争力、つまり、「強さ」ともなるでしょうけども、そうゆう連鎖によって、社会や文明が高度に発展したり、便利や豊かになる、というのが、今とこれまでの世の中です。 ですが、その原動力というか、根本的にあるのは、現状からの進展、ということではないか?と思い、そしてそれは、自分との戦い、つまり自分に勝てば進展、負ければ、現状維持か衰退、ということだと思うのです。 ・・かなり当たり前なことですが、人間というものは、実は非常にそんなものだと思うのです。 困難な否か、実はただそれだけではないでしょうか・・?? 明日は困難か否か、今年の予定は困難な否か、次の仕事先は困難か否か、こんなことばっかりやっているのが人生であり、つまるところの「こんなこと」、というのが「人間の核」、みたいにも思えたりもします。 ですので、「不精」という言葉がありますが、「不精であるか?」、「不精ではないか?」、極としてこれが、ビルゲイツかルンペンかの差ではないか?とも考えるのです。 そして、それを望むか否か、あるいは、どの程度望むのか?、ということが、その人の器であり、位とも言えると思うのです。 さらには、こうゆう理屈は大抵において、人は皆理解していると思うのです。 頑張れば「是」、頑張らなければ「非」、単にこうゆうことが、人間の妙だとも言えるでしょうねっ☆ なので、生活習慣とは、その最たる事象でありますので、「是でありたい!」と願う、今日この頃です・・。(汗) ・・・では本題ですが、「先入観」についての考察です。 先入観 = 前もって抱いている固定的な観念、自由な思考が妨げられる観念、思い込み、ということです。 確かにこの通りの内容だと思いますが、私が思うに、さらにつっこんで考えると、先入観こそが、その人のアイデンティティーだと考えるのです。 なぜかと申しますと、人間には経験というものがあります。 その「蓄積」こそが、「その人そのもの」とも言えて、環境と習慣如何では、良くも悪くも、普通も異常も、健全も不健全も、かなりの部分において、人間性が培われる部分が多いのです。 記憶や癖、トラウマと経験、言い方は様々ありますが、是非も無く、とにかく人間とは、まっさらなコンピューターみたいなところから、経験や刺激というソフトフェアがドンドン入ってくるのだと思うのです。 臓器や感覚というセンサーを通じて、脳という中枢で、メモリーとCPUとOSの役割を果たす、そこから出た、行動や価値観がまさに「先入観」、というものだと思うのです。 さしたるものでもなく、その先入観によって、結果がどうにでもなりますが、世の中というものは、結構そんなものだと思うのです。 街や通行人なんかを普通に見ると分かり辛いですが、それをちょっと考えていると、ワンパターンな行為って、そこかしこに溢れていて、そして皆気づかずに、当たり前や普通、と考えているようです・・。 なぜか・・、それは、「先入観」があるためです。 こうゆうもんだ、大した差などない、結局変わらない、といった、愚拙な発想ともなりますが、もうちょっと考えてみると、先入観というものは、実はその人そのものであり、「尊厳」、などというと、大変高貴な印象を受けますが、尊厳か愚拙かは結果次第であり、人格や人間性などは、感じ方、現れ方、捉われ方、結局それ次第ではないでしょうか・・?? つまり、先入観≒人格、人格=経験÷結果×理想、みたいなことで、先入観とは、その人が崇拝したり、卑下にしたり、まぁどちらにふれても「らしさ」と成り得ますが、本質としてはその「ターニングポイント」と成り得るし、かつ「そのもの」にも成り得る、非常に極めつけた、言葉ではなかろうか?と思うのです。 という具合なので・・、「先入観」、皆さんは、どのように考えておりますか?? そして私が思うに、もしこの考えが支配出来れば、超人にも天才にもなることが出来ると思うのです。 なぜなら、そのように先入させてしまえば良いわけですからねっ☆(笑) 実に、こうゆうことが自分で出来ないのも、人間とも言えるでしょうか・・??(笑)。 ではでは、先入観や固定されていない、開かれた価値観のコメントをお待ちしておりますねっ☆(笑) |
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