思想家 清水竜志のブログっ☆

今までありがとうございましたっ☆m(__)mまたどこかで会いましょうっ☆ヽ(^o^)丿

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こんばんわっ☆
今回はヒューマニズムについての考察と展望ですっ☆

最近話題の自殺者数もそうですが、人間や社会が崩壊・限界に達している部分が、世間に露呈し始めていると思います。

これは統計や確率・割合の話なのでしょうけども、とにかく見て見ぬ振りが出来なくなって、さらに事態が悪化しているような具合です。

少子高齢化で生産労働人口が減少することもそうですが、人が人らしく生きていくのが困難な状況が色濃くなって来ている節があります。

これは、文明に人間が依存し過ぎてしまい、「人間のための文明」という性質から、「文明のための人間」、という具合になっていると言って良いのでしょう。

例えば、自動車の生産ラインでは、ロボット同然の動きを強いられる作業現場でありますし、公務員や教員なんかも、規則やカリキュラムが絶対、みたいな風潮・・。

非正規労働市場の問題でも、明らかに労働環境や待遇が悪く、生産やサービスは一流でも、その反動で、人道的な扱いが為されていない、それが美徳、というような悪しき風潮です。

「要領が悪い・・」、と言えばそれもそうですが、それがコングロマリット的に「結託こそが正義」、みたいな、旧日本陸軍による圧制とマインドコントロールのようなもので、本格的に融通の利かない風潮が、世のトレンドになりつつある、と私は考えています。

ちょっと冷静かつ柔軟に考えれば判りそうなものですが、現状や「慣れ」とは恐ろしいもので、日本人は「その他」との調和を最も重視致しますから、極限状態での判断が的確に為されない、というようなことで、それがどこにしわ寄せが行くかと申しますと、障害者の様な相対的な弱者ではなく、「絶対的な弱者」へ向かうのが世の常です。

凶悪犯罪の被害者然り、家庭環境・DV然り、学級崩壊・いじめ、等々です・・。

最後には、善人は馬鹿を見るよろしく、人間味のある人から崩壊していく・・、というトレンドが発生し、真面目にやっている人ほどそのダメージの歪みが大きく、薬物依存やアルコール中毒、自傷行為に、最後には身売りみたいなことにもなるわけです。

この原因とは何か?と問われれば、間違いなく、文明に依存した社会の顛末である、と、私は断言できますが、では、この文明国家の捨てて、旧来の第一次産業重視のライフスタイルに戻るか?と問われれば、決してそれが第一案となるべくもなく、大抵の場合は、文明の依存から抜け出せない、抜け出したくないというチョイスが為されるのだと思います。

電気の使用量や時間が制限される、自動車の利用量も申告制、着る物やる事すべてにおいて統制の下での選択となれば、それも可能ですが、自由競争、自助努力、自己責任、という正義の先にある利便性、これがあるからこそ今の生活水準が維持されているわけですが、その恩恵を真に賜るのは一部の勝ち組だけではないか?と言えば、おそらく、最も正当性のある主張であろうと思います。

なので、要は矛盾していて、単にみんなが「ワガママになってきている」と言ってしまえば、それだけなのですが、この現状のグチだけでは、私らしくもないので、この問題の本質から考えて見たときには、要は「調整局面」なのだ、ということでしょう。

少し想像して欲しいのですが、「イナゴの大発生」、ということが起きますが、あれは一体何故起きるのでしょうか??

気候の変化もそうですが、生態系の偏重や繁殖環境の充実、というのが、生物学上も正しい見解だと思います。

単なる例や憶測で、私は専門化ではありませんから、あまり信憑性を問われても困りますが、温暖化によってイナゴの食料が自然増産され、それによって繁殖を謳歌できる条件が整ってしまった・・。(という例で・・)

そして、次の時期には繁殖の成功により、大量の生体が発生、同一の行動が強いられる種であれば、一度に大量の生体が確認される・・、これが大量発生のメカニズムの簡単な説明でよかろうと思います。

そして、これを比喩で考えた時には、人類は農耕技術により大量の食料の確保を成功させ、飢餓に脅威を覚える必要がなくなり、大いに工業やその他の産業に力を入れることが出来るようになった。

人間の繁殖が謳歌できる環境を、幸か不幸か、自ら整えることが出来てしまった・・。

そしてその先には、文明の獲得と同時に行き過ぎた競争が待ち受けており、やってもやってもゴールがない戦いが待機していて、総力戦と言うか、疲弊合戦・消耗戦が勃興する。

そして調整のための戦いが始まる・・。

その戦いは、実質的には富める人・支配する人のための戦いであって、人権が1人に対し1あるとすれば、その社会的な地位や待遇の差たるや、健全性が認められる水準を1とすると、健全性が認められない人に対しては、5分の1や、酷い例では10分の1、とも考えられる事例があることでしょう。(この根拠は単に収入格差、世帯当り年収1000万円を基準として考える・・。)

ちょっと知恵を働かせて、その文明を謳歌し切った時期を考えると、私は西暦2000年がその時期としてふさわしいのではと考えています。

「丁度キリが良いので・・」、と言ってしまえばそれもそうですが、世に言うITバブル(1997年〜2000年)が起きる前までは、産業の成長こそが正義という風潮で、富める人も富まざる人も、コンセンサスが得られていたように思うのです。

その後の通信技術の進化と共に、本格的な個人主義が台頭し、携帯電話文化とパソコン文化の到来で、人と人との関係が希薄になり、それでも一線での戦いの様相は厳しくなって行きますから、趨勢が険悪になっていっても、なんら異論の余地などなく、安穏とした精神状態で過ごしている人など、今の世には皆無ではないか?とも思えるのです。(私もそうです・・・)

そして現在西暦2009年ですが、2000年から9年弱も経過してみると、その調整は極めて顕著になってしまっている、その末路が例年(11年連続)の自殺者が30,000人越え続け、家庭崩壊や薬物等の問題もより深刻になるのだと思うのです。

刑務所には受刑者が収容しきれない状態が恒常化しているようですし、生活保護の受給者は08年12月時点で160万6714人というニュースも先日報道されておりましたが、まさに、我が国の財政難と高齢化問題と共に、最も深刻な問題であると言えるでしょう。

・・ですので(そろそろまとめますと)、これらのセグメントを調和させて考えた時には、2000年頃までは成長局面、それ以降は徐々に、「調整の様相が色濃くなってきた」、ということだと思うのです。

その調整の「圧」や「向き」に屈してしまえば、行く末は「死」か、「社会からの排除」のどちらか?ということになり、まさにイナゴ同士の共食い状態であり、何のために働くのか?、何のために生まれたのか?という、根本的な問題に直結するのだと私は考え、当ブログについても、「相応の意義がある」、と勝手に考えておりますっ☆

そして、当記事のタイトルにもなっておりますが、コンプレックス(劣等感・自己嫌悪)、ジレンマ(板ばさみ)、トラウマ(心的外傷)、そういったものを皆一様に背負い込んで生きているのが、今の人間というか日本人・・・。

逃避先があれば直ぐにでも駆け出したい・・・、というような人って、現在の世にしてみれば、決して少なくないのだと、私は断言できます。(私の経験があります・・汗)

地上波のテレビを録画して、様々の情報を得るのが私の日課なのですが、ちょっとしたドキュメント系の番組を見てみると、リアル社会というか、現実の厳しさ、険悪さ、みたいなのがひしひしと伝わって来ますし、現にそうだと思います・・。ので、たまにはこういった真面目な社会問題も書いてみようと思ったわけなのですねっ☆

調整や圧に負けない、それこそがダーウィンの言う「適応力」ではなかろうか?と思い、とりあえず終了ですっ☆(笑)

皆さんは適応力持っていますか??(笑)、よかったらコメントしてみてくださいねっ☆



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清水竜志
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