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こんばんわっ☆
「思い出せない事」をふと思い出せると、なぜ凄く嬉しいのか・・?、を、何となく考える・・、夜になっても雨が止まない埼玉平野で過ごす私でありますが、・・それは、やはり「人間は刺激を求める生き物である」ということで、「思い出したい事」というのは、前提として、それは「自分にとっては重要な記憶」であるわけですから、その「人生のアドバンテージ」を取り戻したいっ!、という欲求と、「思い出したくても思い出せない・・」という、抑圧されていた気持ちの開放から来る、いわゆる「達成感」というものですが、思うにそれは、自分の境地が広がることで、その事により、多くの刺激を得る機会が増える確認や自負・・、みたいな事が、その喜びの概要だと思うのですっ☆ 以前に観た映画(DVDで)なのですが、映画「主人公は僕だった」のワンシーンのフレーズなのですが、主人公がダスティン・ホフマン演じる、言語学の教授に刺激物として見初められるキーとなるフレーズがあったのですが、それが思い出せずに、先程まで苦悩していた私ですが、グーグルで検索しても検索しても・・、一向にその目的に全く辿りつかなかったのですが、ふと普通に映画の触れ込みを読んでみたら、「そのまんま紹介されていた・・汗」というオチでして、それでも自分で見出したわけでもないのに、凄く嬉しい気持ちになったので、ちょっと書かせていただいたわけなのですっ☆(汗) ちなみに「知る由も無かった・・」という文言でありましたっ☆(笑)、めでたしめでたし・・っ☆☆☆ さて、そんな折に今日のテーマの案内ですが、「やりたいことが分からない」っ☆、ということが言われている昨今の我が国の事情でありますっ☆(その対処法というか哲学というか思索というか・・、なんでしょう・・笑) ・・何故、今の日本はそんなことになっているのか?と、私なりに考えますと、現代人は何かと生物として満たされ過ぎているので、とかく、頑張って生きずとも、何でもかんでも不便なく生活が出来るために、人生にわざわざ哲学や信念などを用いなくとも、「なら〜・・っ」と生きられるわけですから、往々にして、その惰性で結構やって行けちゃっているものですから、アリとキリギリス理論で、本当に人生追い詰められた時に、何をどうして良いものか?分からなくなっている病?なわけなのですっ☆(汗) そして、これは「若者の男子」に特に多い病なわけでして、なぜかと言いますと、少なからず女性は、男を惹きつけるために、とかく、若い内(15歳〜25歳くらい?)に、自分の性的なピークが来ることを本能的に悟っておりますので、そうした時には、「若い頃こそっ☆」と覚悟を決めて、おしゃれなり流行なりで、あまねく女の子はこぞって自分磨きに力を入れるわけで、そうした女の子という生き物は、哲学や思想よりも本能的に性的な信念が移入しているわけですから、人生の道にそれほど迷うこともなく、真っ直ぐ円ら(つぶら)に生きられているわけなので、性差の消去法で、現在の日本では、やはり「男子がやりたいことが分からない病」なわけなのですっ☆(汗) もちろん、例外的に、特定の女性がその病魔に冒されている場合もありますが、全体としては、男子が主たる罹患者と言えるわけでして、では何故、男子はそうしたことになるのか?と考えれば、男子は先天的に、家人を自己にて形成しなくてはならない性質があるために、俗に言う「甲斐性」という奴ですが、現在の人間社会(特に日本)は、自分が置かれた環境が特に危機迫る?でもないわけで、しかも、取り立てて生活に困るわけでもなく、ぬくぬく育てられた甲斐性がない男子にとっては、女の子のように本能や信念に頼るべくも無く、そのまま人生が惰性でやれてしまえば、しかも男は性的なピークが女性よりも長いわけで、「若い時期」という条件で言えば、「そんなに急がなくてもいいべっ☆」的な、なんともダラシのない輩が増える傾向が否めないわけなのです・・。(汗) しかも、世の中の変化のスピードは年々加速して、競争原理の下、自己実現が厳しくなっておりますゆえに、よっぽど根性なり気概なりが据わっていない限り、「人生に勝負を賭けて自分探しをするっ☆」なんて無謀な事にもなりそうも無いわけで、勝ち負けといえば、これでは自然と「負け組」が増加しても、何らの不思議もないかなぁ〜っと、思想家的にも思えるわけなのですっ☆(笑) ・・そんな折に、「やりたいことっ☆」というキーワードで、この病的な?トレンドを考えてみた際には、やはり、大まかな時代の趨勢を勝手に変える由も無いわけですから、それが「分からない」となれば、その先には、(私の得意なっ笑)どうしても「哲学」というものが必要になったりするはずなのですっ☆(笑) 冒頭でお伝えしたとおり、やはり人間は「刺激を求める生き物」なわけでして、例えば、「生まれたばっかりの人間」を、「鳥カゴの鳥」の如く生育したとすると、おそらく言語も思考も運動も想像も出来ない、唯一、喜怒哀楽の感情くらいは芽生えるはずですが、永遠に、同じ風景、同じ栄養、同じ居住環境であったとすると、まさに「動く植物人間」と化すわけですっ。(汗) ちょっと話はそれますが、ですから「文明」や「社会」とは、元々そうした植物的な生き物である人間が、より多くの刺激を求めるために発展させたシステムとも言えるのですっ☆ そして、ある程度の歴史の経過を経て、現在の刺激あふれる近代の文明社会に進歩したわけですが、「ある特定のカテゴリーの人」にとっては、それが極めて生きづらい環境となるわけで、その特定のカテゴリーの人とは、ズバリ「やりたいことが分からない男」ですっ☆(汗) 無論、女性と同じように、本能的には男も家庭を持って子孫を残すべく、自分が存在していることは承知しておりますが、そうではあっても、前提というか制約というか、とにかく現実的には、甲斐性を持たなくては、そうした営みにも派生しないわけですから、あまねく男は、より自分にとって刺激的な甲斐性を持つべく努めるわけですが、往々にして、同じようなことを考えるのも人間という生き物の習性でもありますから、相対的に人気の生計手段には、競合他者も多いわけで、惰性的に、あの手この手で色んな工夫もしようかと思いますが、そうであっても、その競合にはコストも醜い執着も必要なわけで、その代償に辟易した者は、いつしか全体からはぶられてしまうわけでして、その顛末は、往々にして流刑地とも言える居場所となるわけです。(汗) ・・まぁ、こんなのは有り難い哲学でもなんでもなく、明らかに退屈な現実ですから、よく考えると記事にもならない事ですが、では、どうすれば「やりたいことが分かるようになるのか?」ということですが、まず第一に重要なのが「一度、自分の限界を試してみるっ☆」、ということですっ☆ 人間、暫定的に動物でもありますから、誰しも「労力対効果」を差し引きで考えて、モノグサな部分が煩悩として存在しますから、思いの外簡単に、自分の限界値を定めてしまっている節があるのですっ☆ ・・もしそうだとしたら(大抵そうですが)、例えば、潜在的には100のパワーがあったとしても、限界値を勝手に60くらいに設定してしまっては、「80出せばよかったのに・・」、みたいなことになろうかと思うのですっ。(汗) ですので、「100の100っ!!」くらいに、いつもそのくらいの気合があれば、人間はいつでも素晴らしい生き物なのですが、一般的には「60出ればマシだろう・・」みたいな、「怠け癖」が存在するのも常識なわけでして、そんな常識もさることながら、人生にたった一度だけでも、「1000の1000っ!!」みたいな、スーパーサイヤ人3的な経験をすれば、「自分という生き物の裁量の幅」が分かるわけでして、それを元にして哲学的に考えれば、自分のやりたいこと→出来ること・・?、みたいに考える材料になると思うのですっ☆ そして、その幅が判明してからも、とかく、「全体のルール」というものの制約は絶対的でありますから、ある程度、すでに用意されている既存のレール上で勝負しなければならないわけで、数多ある既存のレールの中から、自分の「やりたいっぽい事」、「出来そうっぽい事」を選んで、また「1000の1000っ!!」を出すべく環境づくりをする・・、ということだと思うのですっ☆ そうして考えると、「自分の限界を知る」が①で、「やりたいっぽいレールに乗る」が②で、「やりたいっぽいレールで勝負するっ!」が③で、もしも、このプロセスで満足できれば問題ないのですが、やはり人間そんなに単純でないので、さらに④、⑤、と続きがあるわけで、私が思うには、④は「自分でレールを作って1〜10までやりたいっ☆」という気概の発生と、⑤は、「1〜10までやって、誰よりも優れていたいっ☆」、みたいなことだと思うのですっ☆ それにしたって、本当の本当にユリカゴから墓場まで、モノグサで一気通貫している人がいたら、よもや脱帽ものですが、人間どこかに気概や野心の欠片ほどくらいはあると思うので、もし「やりたいことが分からない男」でも、選択する環境さえ間違えなければ、なんとかなるだろうっ☆的に、私は考えてはいるのですが、「事実は小説より・・」と言いますので、ここから先の時代は、奇想天外・摩訶不思議にて、どんなヘンテコ人間が現れても全くおかしくないわけですから、とりあえず一般論としては、「自分で限界値を勝手に定めずに、脇目も振らずに試してみるっ☆」、ということからだと思うのですっ☆(あんまり哲学的でないですね・・、根性論かもしれません・・笑) 今思えば、小学校の体育の授業で「持久走」という題目がありましたが、あれは人生の全てを物語る尺度であったなぁ〜っと思うわけなのです・・。(汗) トンビは蛙には成らないので、やはり持久走をサボった人は人生をサボる人でありましょうし、持久走を才能でやり切った人は、才能に頼った人生設計を営むでしょうし、努力で順位を上げた人は、努力の人生を歩むと思うのですっ☆(笑) そして、私はどうゆう持久走をしたかと言いますと、「絶対に負けたくない奴にだけには絶対勝つっ☆」、という気概で取り組んだことを思い出しましたっ☆(笑) そして、その対象は、第一に「自分と実力が似かよった者」であって、第二に「持久走の外にも様々な事で負けたくないような奴」・・、といった定義になるでしょうかっ☆(笑) そういえば、中学校の時までの私の好きな言葉は「勝利」でしたっ☆(笑)、久しぶりに懐かしい事を思い出しましたねっ☆、最近の私の辞書に「哀愁」という言葉が見当たらなかったので、ちょっとビックリですっ☆(笑) 最後にサクッとまとめますと、「やりたいことが分かるまでは、人生のペースを落としてはならないっ☆」って事ですよねっ☆、なぜなら、人間(特に男子)は歳を取ると、我執というやつでしょうか、とにかく頑固にモノグサになるものですから、「若い内の苦労は買ってでも・・」というのは、本当だと思います・・。なぜなら、60を過ぎた老年の男性に持久走を強いるなど、正気の沙汰ではありませんからね・・。(笑)、人生手遅れになる前に、苦労は経験しておきたいものですっ☆ |
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