|
こんばんわっ☆
今日は日中暑いくらいでしたね〜っ・・(驚)、皆さんは今日のお天気、どう感じましたか〜っ?? さてさて、日々忙しく生きる私思想家Sですが、ややもすると「希望」というかあるいは「展望」でしょうか、とにもかくにも、まずはそうゆうものが今の私の芯の部分をしかと形成しているように思いますっ☆(なんとなく・・笑) ・・と言いますのは、私が思うには、「想像力7、本能3くらいの割合で生きるのが現代人」だと考えるものですから、やはりそこは「希望」やら「展望」というものがあって、次に現実がそれに伴って行くっ☆、というのが自然であって、あるいは実際とも言えるのではないのかな?と思いますゆえに、今しがたそう書かせてもらったわけなのですっ☆(笑) それで、今日は一体何を申し上げたいのか?と言いますと、恐らく「一日」という単位の考え方・感じ方の話なんだろうと思うのですが、それで私が思う「一日」というもの括りですが、つまりそれは「寝て起きて、生きてまた寝る・・」という単純でそのままの事なわけでして、しかし実際には、単純でそのままの事が我々の一様の営みだと説明が出来ようかと思うのですが・・、まぁそれが長いスパンで行けば、「生まれて生きて、死んでいく・・」という事が世に言う「人生」という単位なわけですが、・・まぁ、そうこう考える以前に、まずは「幸せ」だったり「救い」だったり「成功」や「安楽」を望むわれわれ人間の事ですから、そういう事を望むそのための「良い人生」は、何を隠そう「良い一日からっ☆」という理屈がなんとなく通るはずですから(笑)、では、「どうすれば明日を今日よりも良く出来るのか?」と考えれば、なにはともあれ「善行ありき」なんではないのかな??と思うのでありますっ☆ ・・また「善」などと言うと、右だ左だと面倒な事にもなりかねませんので、ここは私らしからぬ一般論というか常識論で言わせてもらえれば、「善」とはつまり、「それが人のためになり、また巡って自分のためになる」という事だと思えるわけでして・・、あるいはその逆もありますし、または同時にそれが起こる事もあるでしょうけども・・、まぁ、そんな所がいわゆる「善」と言われる事の概要なんではないのかな?と思いまして・・、では、どうして良い人生には「善」が必要なのかな?と考えれば、自分が幸せになりたい! → 自分のために頑張る! → 自分のために!は巡って人のためにもなる! → では人のためにも自分のためにも頑張る! → 結果自分が幸せになるっ☆、という一見勝手なやじるしの進み具合でよろしいと思うのですっ☆(笑) (ちょっと強引ですが)・・ですから、なんとなく明日また一日という単位が始まり、また夜になり今日という一日が終わるという単調で退屈な繰り返しがまたどこかにあるとすれば、そこにふと「善」なんかがあれば、それはそれで、ふいにやじるしが勝手に上手く進むんだろうと思いますので、そうすれば、ほんの少しでもミクロンでも宜しいと思いますので、「この世界の一日は、何らかの自分の善によって形成されるっ☆」くらいの勢いで明日の自分の心構えをしておいてみて、また明日やってくる勝手な一日を、どうぞ充実させてみてみて下さいませませっ☆(笑)おしまいまい |
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
こんばんわっ☆
・・たまには愚痴でも書いてみよーと思いまして、こうした↑タイトルになったわけでして・・。 何を隠そう、他でもない極度に私的な話で恐縮なのですが、ふいに・・、例えば私が嫌いな「全体主義」という思想形態がありますが、あれは単純に一言で言えば、「みんなのためにみんながあるっ☆」という明らかで明快でそのままの「理想」を語っているわけなのですが、・・ただですね、物理の世界で生きる我々の事ですから、つまり「現実」というものが何よりの「絶対」なのだと思う私からするとですね・・、つまりそんな「偽善」や表面的でうすっぺらい思想はですね、根っこの部分ではワガママで利己的な人間の事ですから、そんな理想は行き過ぎればエゴとなり、もしもそれが成り立っても、良くて「短命」若しくは「どこかに偏っている」に違いないわけなんですよね・・。(「利権」然り「体制のエゴ」然りです) それでですね、話はそこまで大袈裟ではなくて、「国家」とか「政治」とかでもないですが、つまりは何を隠そう私が何を言いたいのかと言えば、一重に「人間」だったり「個人」の事なんですが、考えてみればDNAとか遺伝とかの事なのかもしれませんが・・、ですが一般的に言う所の社会が創造する「世間体」というやつなんだろうと思いますが・・、それは対面性や対外的な上辺の正義を重んじる態度や姿勢や、あるいはそうした人生の歩み方とでも言いましょうか・・、それで、私が感じる日本人の80%とかそれに近い割合の雰囲気及び勢いにですね、そうした種類の人々が、それは例えば「偽善」だったり熱烈な全体主義者か社会主義者みたいな具合にて、結構それなりにそういう風潮が蔓延っている事実があるわけなんですね・・。(妙に遜っている人とか、絶対にそんな風に思っていないくせにイイ子ぶる人とか、いざのいざとなれば本性を出す・・みたいな) それで、結局私はそうした人が極度に苦手なんです・・。(いやホントに・・汗) ふいに・・、貝の「牡蠣」ってあるじゃないですか・・、あれは私の中では「エイリアン」でして、あの生臭い味も去る事ながら、見た目からもとてもとてもあれが食べ物だとは思えず、旧来より私の感覚器官がそれを食物だと認識してくれないわけなのですが・・、そうした「牡蠣」と、偽善者だと思える人の事ですが、私はそうした種類の人が、「エイリアン」か「絶対に食べたくないものNO・1」と似て非なるか若しくは同じくらいに苦手か嫌い思えるわけなのです・・。(汗) これまでの歴史が証明しているように、やはり「自由」と「競争」からの成長発展を望む事からすると、当然にその抵抗勢力になり得る社会主義者も私は嫌いなのですが、まず基本的にそういう考えと趨勢が世界にあるとして・・、まぁ、とにかく、「偽善者」は個を顧みない「社会主義者」とも似ているところがあると思うので、何を隠そう現実現実のこの世界の話なわけでして、それと人間はワガママで勝手で崇高な生き物ですから、それで党を成したり、全体としてどこかに偏ったりしていては、そこから純粋で活き活きとした本来の姿や結果が望まれなそうなわけですから、現在、社会として、ある程度の縛りありきで全体を考える事が出来ているのなら、やはりそこから先の事は、個がもっと活かされるべきであろうと思いますので、そうこうと考える事もそうですが、「とにかく偽善はおかしいっ!」と言える事が、個々の精神衛生の事もそうですし、おそらく昔から言われる「ヒトトナリ」もそうだと思いますので、そうした事を含めて、今回の記事で私が勝手に言いたかった事なのですっ☆おしまい |
|
こんばんわっ☆
・・まぁ、なんて事はない、今私の中で流行っている言葉なんですが・・、一重に「のど元過ぎれば熱さ忘れるっ☆」と言うじゃないですか・・。(たしか・・) これはつまり、たとえ退屈な仕事でどんなにイライラする事があっても、また人生の岐路にてどんなに困難な事があったとしても、その事がいざ過ぎ去ってしまえば、結構人間忘れるのが得意な生き物だという事なわけでして・・。 という事は、どんなに深い傷を負った失恋も・・、どんなに取り返しのつかなそうな失敗も・・、「長い人生、実はそんなに大した事ではない・・」って事なんだろうと思えまして・・。(笑) それとか、日本の法律とかもじつにそのように制定されておりまして、離婚なんてのは一応何度でもOKですし、あとは個人的に抱えた莫大な借金だって、いざのいざとなれば首をつらずに「破産」という制度だってありますし・・。(汗) ややもすると、とりとめもない感のある事が多い今の世の中ですから、「普通に生きていたい・・」という願いすらも高いハードルになっているかとも思いますが・・、どこかのどなた様でもないですが、もしそんな思いを抱いているとするのなら、つまりは「現状の負」というものは、いざそれが過ぎてしまえば「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も後で取り返すつもりで「なんくるないさー!」としてやってみればよろしいと思うのですっ☆(別に何かがあったわけではございませんが、・・と思ったのでこの記事を書いたのですっ☆笑)おしまい |
|
こんばんわっ☆
今日は時間が無いので短めに、記事の内容をタイトルのまま単刀直入にまとめますと・・、 1、消費税率を上げないなら社会保障の充実をあきらめる 2、これ以上の財源が無いのなら素直に移民を受け入れる 3、産業界の圧倒的な国際競争力を国家を挙げて大推進する という選択肢以外には、基本的に選択の余地と余裕が無いと思います。(大まかに・・) その他の選択肢には・・、 A、現行の国債の大量発行を継続し、長期スパンで義務教育にもの凄く力を入れる B、圧倒的な科学兵器を開発して日本が世界を統一する C、共産主義にする D、アメリカ合衆国に併合する G、宗教国家か芸術国家になる ・・という具合の、まるで突拍子も無い危険な思想に偏る可能性があります・・。 例えばAは、国の手形(国債)の乱発によって国の信用度が凋落し、永年に渡り債務超過の高利返済地獄に陥ります・・。(次の世代の子供達があまりに可哀そうです・・) 或いはB・C・D・Gは歴史がその末路を証明しているように、全く議論にも及ばない、正にあり得ない選択です。 それ以外・・、つまり何もしないで現状維持にて何でもかんでも保守的に構えているか、若しくは選り好みや無い物ねだり、或いは全てを欲張り過ぎて重大な決断が遅くなれば、日本という国家は自動的に勢いのある新興の外国資本に国の財産が解体されていってしまうでしょう・・。 その際、諸行無常・栄枯盛衰にて、「陸地」という意味での土地や財産は人類の歴史上も恐らく「JAPAN」という語源や名称として残りますが、純血の日本人や、古き良き日本の文化や美は著しく損なわれる事でしょう・・。 ですので、今の素晴らしい日本という国家を維持しようと思うのならば、当然痛みを伴いますが、古い殻を脱皮するつもりで、消費税をまずは2%上げる・・(しかも出来るだけ早く・・)、その後は、今後の高齢化の度合いを見計らって、段階的に3、5、7%というステップを踏むのが妥当であるし、現実的だろうと、私はなんとなくそう思います。 なぜなら、私は今の日本が好きですし、今更共産主義になったり不準備で無秩序なアメリカナイズも嫌ですし、戦争もルネッサンスもこれからの未来を想像すれば、恐らく悲惨で退屈な結末になると思います・・。おしまい |
|
こんばんわっ☆
何やらまだまだ雪なんかが降っている埼玉平野・・、そう思っていると、そろそろ春なんではなないのかな??という生ぬるいくらいの暖かい日も先日ありまして・・、日々の着る物や寝具の塩梅に気を遣う、大変厄介な四季折々の日々に感謝?する、今日この頃なのであります・・。 ・・さて、そうこうする内に、冬季オリンピックの開会式が今しがた始まったようでして・・、皆さんご存じの通り、今回の開催地は何を隠そうアメリカの上にあるカナダのバンクーバーという土地で開催されるようでして・・、それで、ふいに「オリンピック」と言って私が何を思うのか?と言えば、・・そーいえば、昔(私が子供だった頃には)は「オリンピック」なんて言えば、そりゃー夜も眠れないくらいに興奮してしまっていて、とかく「陸上男子100mの金メダルは誰だ??」という問題で頭がパニックになる程の高揚感が得られたものですが、・・ですが、大人になった現在の私の感覚や感性というものは、なぜかそうした世間の動向に対し大変にドライなのであり、世間が騒いでいるふりをしていても、私が別にオリンピックの内訳に興味があるわけでもなく、・・まぁそれでも、なんとなくは、素直なお祭り好きの人にはウケるんだろうな〜・・というくらいの考えには及ぶわけですが、・・当然に、開会式を記念に録画をするわけでもなく、さらには日本人選手のメダル云々に興味をそそられるわけでもなく・・、ではこれはなんだろうかな?と思えば、最低限、このご時世の経済効果としては世界的にも結構プラスなんだろうな・・といった程度の感覚を、やっと自己内で形成するのが関の山・・というくらいの、非常に冷めた見方しか出来ないのが事実なのです・・。(正直に) これは何も「ミーハー嫌い」とか「オリンピック」に限られた事では無くて、思い起こせば、例えば小学生の頃は、年に一度の地元の神社のお祭りに繰り出すのが何よりの楽しみだった記憶がありますし、あるいは中学生にもなれば、ようやく一人で入れるようになった市民プールに同級生と夏休みに行くのが楽しみだったですし、それとか、17歳でバイクの免許を取って、県内のあちこちに行くのが楽しかった時期もありますし、18歳で自動車の免許と車を買えば、今度は友人と遠出をするのが楽しかったり・・という事で、現在ではそういった一通りの経験を済ませた結果、そんな事より長い人生これからどう生きるのか?という事を考えれば、今更バイクにまたがって風を肩で切る気分にもなるわけもなく、・・ましてや、たかだか地元の小さなお祭りに行くのも面倒くさいな〜、別に屋台とか出店なんてなんでもないな〜・・というのが本当のところなわけでして・・(汗)、やはり日本男児が30も前になれば、よほど自分の子供でもいない限り、大人は本当に次第に外で遊ばなくなるんだなぁ〜・・と、世間の真実をまさに自分の人生で実体験してみたりしまして・・、それでこの記事とテーマで私が結局何が言いたいのか?と言いますと、人生の体験や経験値・個人の感性などもそうですが、私が思うには、今の時代の娯楽やあらゆる選択肢が、文明と科学の発展により、異常なまでに簡単に用意されてされに増え続けている・・という事が言いたいように思うわけでして・・、そうした事で、それが私の感覚と感性に多大なドライ感をもたらしているんだろうとも思うのですっ。 ・・具体的にどうゆう事かと言いますと、例えば、昔(昭和時代)においては、「巨人・大鵬・卵焼き」と言われたように、娯楽や楽しみ、喜び・驚き・情熱・ハッピーなんていう感覚は、当時からすれば、野球・相撲・食事くらいのものだった・・という事の裏付けが、そうした言い回しを発現させているわけでして、・・例えばそこにカラーテレビや自動車、エアコン、ファミコン、パソコンなんていう具合に、徐々に現在までの高度の文明化が果たされてしまえば、おのずと選択肢を拡大させる趨勢が、便利で刺激的で面白いが故に、非常に多くの人が、そうした感覚を性急に求めてしまって・・、そうした先に何があるのか?と考えれば、例えばそれがオリンピックなのであれば、趣味が違ってもっとそれ以外の選択肢で楽しもうとする人もあるでしょうし、あるいはそれ以外の娯楽の影響力が強まれば、やはり「オリンピックなんて毎回ワンパータンでつまらないっ!」という人があっても、自由社会においては、それはそれなわけですから、・・つまりは、野球・相撲・食事なんていう時代ではない2010年の現在においては、とかく選択肢に困らない、宗教の思想もゴチャゴチャの日本社会で生きる私ですから、地元のお祭りはおろか、大袈裟に言えば、哲学的に「我が道を追求する以外に生きる術は無い!」という事になり、・・という事は、「催事がドンドン普通の出来事になっていく・・」のは、これは恐らく自然や当然の摂理にもほど近い、「偶然以上必然未満」の普通の流れなんではないのかな?と思いますっ☆(笑) ・・ですので、長い人生においては、まぁ普通でいられる事が、何より大事なんではないのかな?と思う今日この頃なのでしたっ☆(笑)おしまい |



