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こんにちわっ☆
唐突ですが、皆さんは、自分を振り返る・顧みる、という作業をどのくらいのタームで繰り返していますか?
私は、実はそれこそが運命ではなかろうか?と思うのです。
自分というものを何とするのか?というのが、まさに人生の命題でありますから、この作業こそが悟りではないのか?という具合です。
そしてそれは、ふに訪れて、そしてまた忘れていく・・、これを輪廻というのなら、それもそうだと思うわけです。
そうゆうものを、どちらかというと、自分のものや崇高で有難いもの、と定義したくなるがゆえに、人は言葉を巧みに操って、自分の解釈のままに物事を醸成する・・、といったことを、人類は古来より繰り返して参りました。
・・が、文明が繁栄を極める昨今ですので、そうゆう根本的なことを忘れようとする作用やバイアスが働いている事実があり、また、当の私においても当該事物である、と言えるはずなのです。(人間も個であるが、文明や自然の一部であるということです)
つまるところ、どうやらそれが人間というもので、さしもの歴史上の偉人の方々も、同じような布石を記録に残し、彼らやその命と役割を遂げていきました。
今から過去を想像すると「役割」というものであり、今から未来を想像すると「使命」となるわけですねっ。
人間の存在とはつまり「そうゆうもの」、人間が勝手に「そう感じるもの・・」、ということなのでしょう。
・・と、いきなり宗教家みたいな書き出しで始まりましたが、最初の「自分を顧みる作業」、というのをちょっと意識したいと思って、今回の記事を進めて参りたいと思いますっ☆(笑)
当ブログに興味関心を持っていただいている皆さんにとって、どうゆう形式や姿が好ましいのか?というのが、私の専らの課題であり関心事であり、また面白い日課でもあるわけですが、やはり、ちょっと独りよがりの部分があろうか?という問いに差し迫っているわけです。
ですので、ちょっと日常的というか、哲学にも初歩と奥行きがあるわけですので、「表面的でつまらない」と思われてしまえばそれまでですが、「物事に奥も表もない!」、みたいに考えていただければ、人生に深みや面白みが出ると思うので、そうゆう取り組みということで、どうぞ了解を頂戴したいのでありますっ☆(笑)
そして、そんなことも考えつつ、朝令暮改というように、今日の朝考えていたことが、暮れには変わっている、ということもあろうかと思いますから、とりあえず、「今回は今回・・」、ということで、そのテーマとは「興味」という言葉についてなのです。
「好きこそものの上手なれ」という言葉が残っていて、今日においても用途されているように、やはり人間は自分の興味関心がある事由に対して、相応の動きが出来るわけです。
例えば、「爽快なスポーツが好き!」という人があれば、その方の置かれている境遇・環境が雪山ならば、ウィンタースポーツに付随したもので大成する可能性がある、とか、「緻密な作業が好き!」という人があれば、手先の細かさが必要な仕事につき、なんらかの成果を出して、世に貢献する、みたいなことにもなろうかと思うのです。
大小、強弱、境遇、状況、時期、というふうに、概要とはまさに様々でありますが、才能とはまさにそうゆうことで研ぎ澄まされていくものだと思うのです。
「将棋が好きでたまらない」、という少年から、将棋が出来る環境を奪ってしまえば、その少年の才能は才能とはならなかった・・、ということでしょう。
興味を持つ、興味がある、ということでも、その状況や環境次第で、その後の結果など「どうとでもなってしまう」わけです。
ですから、興味というのは、その個が勝手に抱くものであり、「夢を叶える」ということもそうですが、その按配が非常に重要になると思うのです。
どこまでがOKでどこまでがNGなのか?その判断こそが、まさに運命、今風に言えばターニングポイント、ということになろうかと思うのです。
その判断に勝てば正、負ければ悪、みたいに、そうゆう事由に対しては、グレーではなく、白黒ハッキリしているものが運命というものの、怖さでもあり、面白さでもあると思います。
自分の才能を開花させたい!と強く願うのなら、その環境や境遇をしかと考えてみて、それでも何かを果たしたい!と強く強く願うのなら、とにかく望むべく結果に拘ってみて、それでもどうかな?というぐらいの柔軟性や冷静さも必要であり、また幸せや成功とは、そうして得てみて、やっとその有り難みや価値、優れた人格、みたいになろうかと思うのです。
というぐあいで、単に興味という言葉からのテーマと記事の派生でしたが、皆さんは「興味」という言葉一つで、何を思いますか?
「興味こそが人間の人間たる所以である」という方がいても面白いと思いますし、「興味なんて持つものではない!」という、頑固一徹みたいな人があっても良いと思うのです。
それでその人がどうか?という問題ではなく、それぞれが、それぞれのユニークさや唯一さ、というものがあっての世界であり、また、「可能性であって未来である」と思えるので、このような記事を書かせていただいているわけですから、「40にして惑わず」と言いますが、私はまだ20代ですが、こうゆう大きな趨勢に関しては、もはや惑うこともあるまい!と思って、今日もこうして、どうゆうわけか生きているわけでありますっ☆(笑)
ここまで考えずとも、興味に関してはそれぞれが思うこともあろうかと思いますので、「好きこそものの上手なれ」ということに関して、どうぞ自由に色々とコメントをしてみてくださいねっ☆(笑)お待ちしておりますっ☆
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